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イマジン、のひと言につきた

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 ジョン・レノンの名前を見たり聞いたり、あるいは彼についてふとなにかを思ったりするとき、僕はまっ先に頭に思い浮かべるのは、一点の絵だ。ジョンがまだリヴァプールでアート・スクールの学生だった頃、同級の女性がジョンの肖像画を描いたことがあった。背もたれのあるごく普通の椅子に、逆むきにすわったジョン・レノンの全身が、その絵のなかにとらえてある。黒いブーツにおなじく黒に見える細いスラックスをはき、やはり黒に見えるジャケットを着たレノンは、眼鏡をかけて画面のすぐ外を見ている。この頃すでに、人の心を直接にとらえる不思議な魅力のある力を、レノンは自分のものとして持っていたらしい。なにも感じさせない人をモデルに、その全身像を人は描いたりはしないはずだから。

 いまはもういないジョン・レノンに関して思いめぐらすとき、彼の写真や映像が、複製されて世のなかにたくさん出まわっていることに、あらためてふと気づく。写真のオリジナル・ネガやポジ、おなじくオリジナルの映画フィルムとヴィデオ・テープによる映像は、オリジナルだけを一堂に集めて見ていくなら、何日もかかるほどたくさんあるにちがいない。

 そのなかには、ポール・マッカートニーの弟が撮った、僕の大好きな写真も含まれている。リヴァプールの『キャヴァン』という地下の店で、ジーン・ヴィンセントと肩を組んでふりむいている、若いジョン・レノンの写真だ。独特のユーモアを発揮しながらインタヴューに答えているときのレノンも、フィルムやテープで見るとたいへん楽しい。

 数多く存在しているはずのジョン・レノンの写真や映像が、時間の彼方にむけて作る遠近法のいちばん奥に、僕にとってはさきほど書いたアート・スクールの同級生によるポートレートがある。すべてはこのときすでにスタートしていたのだ、とあのポートレートを見るたびに僕は思う。なるほど、やはりこうだったのか、と心から思う。あのポートレートは、リヴァプールにあるビートルズ博物館に、いまでも展示されているそうだ。リヴァプールへ何度もいき、ビートルズの面影さがしをおこなった友人が、そう言っていた。

 なるほど、このときすでにジョン・レノンはこうだったのか、と僕がつくづく思うときの、こうだったのかというレノンの魅力とは、ごくおおざっぱにひと言で言うなら、柔軟をきわめた精神の力により、ほとんど無意識的にひょいとわきへ踏みはずし、それまでとはまるでちがったことを思ってみることの出来る力だ。もっと簡単に、しかも英語のひと言で言うなら、イマジンだろう。イマジンすることによって心のなかに思い描かれ、ごくたまには現実になったりもする、なにかたいへん良いこと、いまあるものよりもさらに良いこの総体を志向する力を自分のなかに作る行為、それがイマジンだ。

 ジョン・レノンがいまも生きていれば、彼は50歳であるという誕生日に、彼のすべてを記念して、国連の提唱によるものだったと思うが、アメリカ国内そしてヨーロッパその他で、いくつものラジオ局が、おなじ日のおなじ時間に、『イマジン』のレコードをオン・エアした。多くの場所でさまざまな人たちが、彼をしのぶひとときを持った。

 アート・スクールの同級生がリヴァプールを描いたレノンの全身像からスタートして、無数と言っていい数の写真や映画フィルム、ヴィデオ・テープによる映像、そしてビートルズとしてあるいは個人として残したレコード、何冊かの著作や絵、そして他人が書いた文章や本などが膨大に散らばっている遠近法のいちばんこちら側では、すべてがイマジンという一点に凝縮されて存在している。イマジン、というひと言にすべてはつきたのだ。素晴らしいではないか。

 いまこれから、ほんのすこしでもいいからジョン・レノンについて知っていこうとするとき、いったいなにからはじめればいいのだろう。手がかりは多いように見えて、そのじつは意外に少ない。だから、ぼんやりしていると、名前だけが勝手にイメージのなかで肥大していき、内容はいっこうに伴ってはこない、という嘆くべき状況がたやすくいくつも生まれてしまう。知ろうとするとき、手がかりは多くないのだ。

 残されたレコードを漫然と聴いても、なにごともはじまらない。写真を眺めても、映像を見ても、ただぼんやりとそうするだけなら、やはりなにごともスタートしない、どこへもいけない。イマジン、というきわめて基本的なひとつの動詞が入りこむ余地は、生まれないままになってしまう。これは残念なことだ。イマジンというひと言からジョン・レノンを逆にたどるにしても、相当な用意や能力が要求される。

 どのようにしたならいま私はジョン・レノンを知ることが出来るのですか、という素朴な質問に対する、単純なノウハウ的な回答はあり得ない。ビートルズのすべてに、たとえばジョン・レノンが持っていた夢を見る力の強さが深く密接に関係していたとするなら、夢を見てそれを実行に移すのは、途方もなく大変なことだとわかる。

 これまでの人間の歴史のぜんたいを支えているのは、じつはイマジンというひと言だと言ってもいい。人間の歴史をイマジンのひと言が支えている。『イマジン』という歌になにごとかを託したレノンは、まちがっていなかった、正しかった。

(『ノートブックに誘惑された』1992所収)

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2015年12月8日 05:30
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