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ジェーン・フォンダというアメリカ女性の場合

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 映画『黄昏』のなかに、ジェーン・フォンダがバックフリップをやってみせるシーンがある。バックフリップ、つまり、背面回転飛びこみだ。ヘンリー・フォンダが演じている父親を相手に、彼の娘役のジェーンが言い争いをし、激しく感情をたかめた彼女が、「バックフリップぐらいできるわよ。やってみせるから、見ててごらんなさい」と、バックフリップで湖のなかに飛びこんでみせる。

 このシーンを見ていて、バックフリップのところだけスタント・ウーマンが代役をつとめるのかなと、ぼくはちらっと思った。しかし、ジェーンは、このバックフリップを自分でやったのだった。

 けっして上手なバックフリップではなかったし、自分の肉体によるこのようなかたちでのパフォーマンスの才能が彼女にはあまりないことを感じさせてくれるバックフリップでもあった。しかし、努力のあとがはっきり見てとれるあのバックフリップは、ジェーン・フォンダらしくて、とてもよかった。

 そのジェーンが書き、いまでもさかんに売れている本、『ジェーン・フォンダのワーク・アウトブック』を読んでいたら、『黄昏』のなかで彼女がやってみせたバックフリップのことが出てきた。

 ロケ地のスクォム湖で、ジェーンは、ある日、母親役のキャサリン・ヘップバーンに「バックフリップは自分でおやりになるつもりなのかしら」と、きかれたのだそうだ。

 そこからふたりがいろいろ語り合っていると、キャサリン・ヘップバーンはかつて飛びこみの選手だったのだ、ということがジェーンにわかった。『フィラデルフィア物語』という昔のアメリカ映画のなかで、キャサリンは美しい飛びこみを披露している。

 バックフリップのひとつくらい自分でやってみなさい、とキャサリンにけしかけられたような気持ちになったジェーンは、キャサリンに好かれたいという気持ちも手伝い、キャサリンに指導されてバックフリップの練習をはじめた。

 スクォム湖の水は体が縮みあがるほどに冷たく、はじめのうちはバックダイヴにすらならないひどいありさまだったが、ついにジェーンはバックフリップができるようになった。

 バックフリップと呼んでさしつかえない飛びこみがはじめてできたジェーンが、冷たい水からあがってくるのをむかえて、キャサリンは「気持ちいいでしょう」と、きいた。

 きかれるまでもなく、ジェーンは、最高の気分だった。かたい決意のもとに自分なりにトレーニングをかさねてなにごとかをなしとげたあとは、体も気持ちも快適にひきしまっている。精神も肉体も、完璧に高揚している。

 どんなことでもいいから、とにかくうれしさとか気分のよさ、あるいは満足感、達成感、やりがい、自分自身の向上、などといったものがもしほんとうに欲しいなら、自分でトレーニングや努力をかさね、強固な意志によるコミットメントをしっかり持続させて、自分自身の手でつかみとるよりほかないのだし、そういうことが人生のいろんな領域できちんとできてはじめて、その人はほんとうの自分自身となるのだ。

 というような考え方で自分を支えてきたのがキャサリン・ヘップバーンという大女優であり、ジェーン・フォンダが自分のものとして大切に守っていきたいと考えているのも、キャサリンとまったくおなじ以上のような考え方だ。

 現在のジェーン・フォンダの、女優としての活躍ぶりは、多くの人たちが知っている。ヴェトナム反戦の運動や環境問題にはじまるいろんな社会問題に関しての実践的な活動家ぶりも、よく知られている。ワークアウトというシェイプ・アップの教室をかつて持ち、自らも体のトレーニングに熱心だということも広く知られている。

 だが、ジェーン・フォンダというひとりのアメリカ女性の、内面の歴史に関してはよく知られているとは言いがたいし、人々の関心もなかなかそこまで深くなったりはしないようだ。

『ジェーン・フォンダのワークアウトブック』には、彼女自身の手によって、彼女の内面的なあるいは外面的な変化の歴史がきちんと書いてある。そして、その内容はたいへんに興味深い。

 多くのアメリカ女性がそうであるように、ジェーン・フォンダもまた、幼いころから少女時代、そして高校生、大学生のころまでずっと、自分はぶざまな女性だと思いこみつづけていたそうだ。自分は救いがたく肥っていて、身のこなしは不器用で、美しい女性へと育っていく可能性など皆無にちかい、とジェーンは考えていた。

 ジェーンが子供だったころのアメリカでは、主としてハリウッド映画がつくりあげたところの、女性の美しさに関する強力に頑迷な基準がしっかりと存在していた。スリムで若々しく、身のこなしは優美さそのものであり、グラマラスで性的な魅力に満ち、子供っぽさなどみじんもない完璧に成熟した大人の女でなければ、美しい女性とは呼んでもらえないような雰囲気があった。つまり、女性は、外面的な見てくれの良さだけで、良し悪しを判断されていた。いまでも、この傾向は、かなり強力に残っている。

 女性の価値観に関するこのようなゆがんだものさしの存在によって、自分はぶざまに肥ったブスだ、と思いこまされていたジェーンは、子供のころからずっと、そして女優として有名になってからもまだ、自分というものに満足できずにいたし、自分が完璧に自分であるという自信も持てずにいた。

 十四歳のとき、ジェーンは、女のこだけのボーディング・スクールに入った。ここでは、食べたいものを食べほうだいに食べては、その後始末として、市販のいいかげんなやせ薬を飲みまくった。歴史の時間に学んだローマ帝国の貴族たちのやり方を応用し、食べまくりパーティで腹いっぱい食べては胃のなかのものを強制的に吐き出し、再び食べるという、信じがたいむちゃをくりかえしたりもした。

 大学はヴァサーという名門の学校に入った。とにかく肥ることだけは絶対に避けなくてはいけないという呪縛にかかっていたジェーンたち女子学生は、デキセドリンの愛用者となった。デキセドリンは商品名で、通称をスピードというアンフェタミンだ。一種の興奮剤だが、副作用のひとつに、食欲の極端な低下がある。食欲をおさえて食べずにいれば肥るに肥れないわけだから大学を出てアクターズ・スタジオに入り、勉強の資金かせぎにモデルになってからも、スピードを常用した。常用すると妄第に大量に必要とするようになり、しかも体調は低下し気持ちはダウンする。モデルとして彼女は一流の売れっ子になるのだが、煙草とコーヒー、それにスピードとストロベリー・ヨーグルトだけで生きていた。そして、モデルをやっていたころに、スピードよりもはるかに強力な人工的やせ薬を知り、これは二十年ちかく常用した。

 一九五六年に、ハリウッド流のかわいい女で映画にデビューしたジェーンは、『バーバレラ』というファンタジー映画でハリウッド流のセックス・シンボルになった。ハリウッド的な女、という枠のなかに自分を押しこめることにいちおう成功したのだが、内面的にはすこしも幸せではなかった。

 現在の夫であるトム・ヘイドンと知り合い、反戦運動のためのスライド映写会で、ヴェトナムの村に生きる生気あふれる女たちを見て、それまでの他律的な生き方が、いっぺんに、そして完全に、ひっくりかえった。自分を自分の手のなかにとりもどすための、自前の作業がそこからはじまった。これまでの自分がいかにまちがっていたかをいったん知ると、その自分を大幅に修正していくためのエネルギーを、自分の内部から、ひっぱり出す。そして、現実に、自分をどんどんつくりかえていく。このようなエネルギー、そしてそれにもとづく作業が、じつは人をもっとも美しくさせる。自分が完璧に自分自身であるとき、その人は最高に美しいとジェーンは言う。現在のジェーンを『ワークアウト・ブック』のなかに出ているいろんな時期の写真とくらべると、やはりいまの彼女がいちばん美しく、生きとしている。

『ブックストアで待ちあわせ』新潮社 1983年所収
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』太田出版 1995年


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2016年3月5日 05:30
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