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午後五時の影

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 ぽっちゃり、という日本語をなんとか英語で言うことは出来ないか、と考えた時期があった。いまから二十年くらいは前のことだ。ごく平凡には、plumpだろう。しかし日本語のぽっちゃりは、語感として明るく、ぽっちゃりしているという状態が、肯定されてもいる。このふたつの要素がplumpにはないと言っていいほどに少ない。Plumpになにかひとつ、言葉を加えればいいのかな、などと思っていたら、pleasantly plumpという言いかたに出会った。イギリスの作家の、確か小説のなかだった。作品名と著者名とを僕は記録しそこなった。けっして僕の創作ではない。見ていて気持ちのいいplumpな様子が、pleasantlyという一語で、言いあらわされている。

 恋わずらいを、英語でなんと言うのか。日本語で言うところの恋わずらいとおなじ状態は、英語圏にもあるはずだ。だとしたら、恋わずらいに匹敵するような言葉があるに違いない、などと考えるまでもなく、lovesickという言葉をずっと以前から知っているではないか。恋わずらい、という日本語からアプローチすると、lovesickにたどりつくのに、やや手間どったりする。

 伝線は、どうか。いまではほとんど聞かない言葉だが、女性のナイロン・ストッキングがまだ世のなかにたくさんあった頃には、伝線もたくさんあった。伝線はrunと言う。なるほど、あれをそんなふうにとらえるのか、と思った日は遠い。子供の頃ではなかったか。太陽の黒点は、英語でなんと言えばいいのか。身も蓋もなく、sunspotだ。Sunをsolarに換えると、少しだけ知的な言葉になる。この場合はもちろん、solar spotと、二語になる。

 まんなか分け、と英語で言えるだろうか。主として女性の、長めにしたまっすぐな髪を、頭のまんなかで分けることを、まんなか分け、と言っている。ジョニ・ミッチェルについて書いたアメリカ人の文章のなかで僕が遭遇したのは、central partingという言いかただった。まんなかで分けているから、そのことをそのまま言葉にすると、日本語ではまんなか分け、そして英語では、central partingとなる。ジョニ・ミッチェルのあの頰骨の描写には、severeという言葉をその書き手は使っていた。Severe cheekbonesだ。

 いまではすっかり聞かなくなったが、かつてシビアという日本語があった。Severeをシビアと片仮名で書いた日本語だ。厳しい、という意味だった。シビアな条件を出してきたよ、というふうに使った。僕がこの言葉に接したのは、一九六〇年代前半、大学を卒業して三か月だけ商事会社の社員だったときだ。男の社員の誰もが、シビアを連発していた。

 いけいけの時代、という日本語を英語にするには、どうすればいいか。どうもこうもありはしない高度経済成長からバブルにかけての日本は、いけいけの時代のなかにあった。英語圏のなかでも、おなじような日々はあったようだ。新幹線のなかで読んでいた『ザ・ニューヨーク・タイムズ』の記事のなかに、go-go eraという言いかたを僕は見た。いけ、という日本語に、英語ではgoが対応している。

 俺ってそういう男だよ、という言いかたを英語にすることは可能だろうか。多くの日本の男性たちが、あちこちで、毎日、こう言っている。いま自分はこう言っているのだ、といった認識などまったくないままに、無自覚に、こう言っている。それほどに、俺は、そういう男なのだろう。

 That’s the way I am.と言うなら、俺ってそういう男だよ、という日本語にたいそう近いのではないか。いちばん近いかもしれない。つまり、これ以上には、接近することが出来ない。That’s the wayまでが、そういう男だよ、だと理解するなら、I amは、俺って、に相当する。That’s the way I am.と言うと、主語であるIという人の個別性が残り続けるのに反して、俺ってそういう男だよ、と言う日本語の言いかたでは、俺の個別性が限りなく薄れていくのと同調して、俺という男の一般性が顕著になっていく、というとらえかたをしてみると、両者の差異はきわ立つ。

 深爪、という日本語がある。きわめて絵画的だ。この言葉には情緒すらあるではないか、とも言いたくなる。理由もなく荒っぽい母親に深爪をされた経験が記憶になくとも、そのような深爪に共感を持つことは可能だ。深爪、という言葉の力がそこにあるからだ、などと僕は書いてみる。この深爪を英語で言うと、どのようなことになるのか。いくつかの言葉を、論理に沿って、つなげなくてはいけない。一例として、cutting fingernails too closeとなる。身も蓋もないとは、このことだ。しかし、現実には、深爪とはこういうことであり、英語はその現実のとおりに言っているに過ぎない。

 朝、洗面台の鏡の前で髭を剃った男が、その日の夕方の五時頃になると、髭が少しだけのびている。はっきりそうとわかる人もいる。夕方になって少しだけのびた髭を影ととらえてそれにshadowという言葉をあてがい、ぜんたいとしてはfive o’clock shadowと、英語で表現することもある。午後五時の影だ。

『フリースタイル』2019年12月


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2020年6月24日 07:00
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