アイキャッチ画像

一九四五年秋、民主主義の始まり

LinkedIn にシェア
LINEで送る
Pocket

 仕事の現場で、珍しく、久しぶりに、同世代の男性と知り合った。落ち着いたスーツにネクタイ、やや白髪の紳士だ。見た目での年齢の見当は僕にはつけがたかったが、太平洋戦争に日本が大敗戦した年の四月に、小学校一 年生になったという。大敗戦の直前だが、日本はまだ軍国主義の戦時下にあった。だから彼が入学したのは国民学校だ。そしてその年の夏に大敗戦があり、次の日から日本は民主主義でやっていくはずの国となった。この日本の民主主義という神話の創世を、くだんの紳士は語った。

 その年の夏休みの残り何日かは、この紳士にとっては、戦後日本の初等教育の、いちばん最初の部分となった。そしてその延長としての、九月からの新学期を幼い彼は迎えた。一九四五年の秋が深まるにつれて、日本の民主主義はその度合いを高めつつあった。敗戦前の、つまり戦時下の国民学校では、男子生徒と女子生徒とは別々だった、と彼は述べた。おなじ学校のなかで男女が別々のクラスに分かれていたのではなく、学校そのものが別々だったという。皇国の母の予備軍だった小学生の女性たちは、そして小学生だけではなく、学校で学んでいたすべての女性たちは、男性たちとは別の学校に通って勉学にいそしんでいた。

 一九四五年の秋が深まるにつれて、日本の民主主義はその度合いを高めつつあった、とたったいま僕は書いた。そのとおりのことを、僕と同世代の紳士は体験した。ある日の朝、登校して教室に入ってみると、クラスの編成替えがなされていた。ひとクラスの人数は半分となり、残りの半数の席は空席だった。どのクラスでもおなじことがおこなわれていたから、一年生がぜんたいで一組から三組まであったとすると、クラスの数は三クラスから六クラスへと、二倍に増えていた。いきなり半分もできた空席はいったいどういうことなのだろうかと、坊主頭の小学生たちはその頭を捻った。

 授業の開始を告げる鐘が鳴ると、男の小学生たちに担任の先生は次のように言った。「民主主義の国となった日本では、男女共学が始まります。この学校でも男女が仲良く席をならべて、いっしょに勉強することになりました。いま半分だけ空いている席には、今日から女子生徒諸君がすわって、みんなとおなじクラスの友だちとなります。いまからその女子生徒たちが教室に入って来て、席につきます。さあ、新しい友だちを、拍手で迎えましょう」

 先生は教室の前の引き戸へ歩いていき、その戸を開いた。アイウエオ順ですでにきめてある席順どおりにならんで待機していた女子生徒たちは、やや恥ずかしげに、とまどいはあるけれど嬉しさは隠しきれず、何人かは頬を紅潮させ、男子生徒たちの拍手を受けながら教室へ入っていった。そして先生の指図にしたがって、すでに決めてあるそれぞれの席についた。

 「自分の隣の席にどんな女の子が来るんだろうかと、生まれて初めての、ほんとに興味津々の状態でしたよ」と、平成二十年の紳士は僕に語った。僕はこの紳士より一歳だけ年下なので、以上のような場面に身を置く幸運を体験していない。小学校に入ってみたら、そこには女子生徒と男子生徒とが、ほぼ半々にいた。僕も含めて誰もが平々凡々たる子供であり、女の子たちはひどく静かでおとなしく、あれが控え目というものだったのだろうか、彼女たちが自らなにかを提案したり行動を起こしたりすることは、いっさいなかった。ただしそれは小学校一年生のときのことであり、三年生くらいになると状況は一変していた。女子生徒たちは闊達であるだけではなく、ある種の強権をほとんど常に発動しては、クラスをさまざまに仕切るまでになっていた。

 女子生徒たちを拍手で迎えましょうと言った先生は、その場を盛り上げるために、もっともたやすく思いつく常套手段である拍手を、ごく軽い気持ちで使ったのではなかったか、と僕は思う。現在の日本の全国津々浦々で、なにかの集会があればそこに女性の司会者がいて、「それでは皆様、カタオカさんを拍手でお迎えください」とか、「それでは皆様、カタオカさんにいま一度の盛大な拍手をお願いいたします」などと、常套句を駆使してその場のひとつひとつをかわしていく様子と、質的にはまったくおなじだったのではないか。

 あっけなく煽られて、と言っていいかと思うが、一九四五年秋の小学校一年生の男の子たちは、笑顔で拍手して女の子たちを教室に迎えた。その拍手がどのような拍手だったら、その後の日本にとってもっとも好ましかったか、六十年以上をへた後知恵として、いまの僕は次のように思う。いまこうして教室へ入って来て自分たちの隣にすわった女の子たちは、ひょっとしたら自分たちよりも賢い人たちかもしれないと、心の底から謙虚に思ってそのとおりに行動するための、民主主義の第一歩を我が身の上に確認する拍手だったら、なんと良かったことだろう。

底本:『ピーナツ・バターで始める朝』東京書籍 2009年


1945年 2009年 『ピーナツ・バターで始める朝』 学校 戦後 民主主義 男女 関係
2016年3月6日 05:30
サポータ募集中