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お詫び申し上げる人

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 走行中の大型トラックからタイアがはずれ、通行人を直撃して死亡事故となった、という出来事から事態は展開し、設計不良、時間切れで走行実験をしないままに製造、他にもおなじような事故がいくつもあった、そうしたことに関する情報の隠蔽を図った、十万単位でリコール、といった「世間を騒がせる」反社会的な企業活動に関して、三菱ふそうトラック・バスという会社は記者会見を開き、ヴィルフリート・ポート社長はその冒頭で頭を下げ、世間をお騒がせしたことをお詫び申しあげます、という意味の言葉をまず述べた。

 その言葉は英語だった。We apologize for having caused public disturbance. というようなごく簡単な構文のワン・センテンスだった。おや、もう謝るのかい、と思った人はいたはずだが、僕の反応はその反対だ。社長が英語で言ったこのワン・センテンスは、「世間をお騒がせしましたことをお詫び申し上げます」という、ひとまずこう言っておけばそれでよしとされる社会通念のようなきまり文句を、英語に翻訳しただけのものだ、と僕は考える。翻訳としては直訳の部類に入るだろう。「世間を騒がせる」という部分が、パブリック・ディスターバンスという名詞形の言葉に置き換えられている様子は、英語の勉強として参考になるかもしれない。

 日本語におけるきまり文句を英語に直訳しただけのこのセンテンスで、日本語では「お詫び申し上げます」という言いかたの部分が、apologize という動詞ひとつの基本形でしかも丸裸と言うべき状態である様子は、さらに参考になる。apologize と言ってしまうと、「詫びる」と端的に言うことになり、それ以上でもそれ以下でもあり得ないが、適用される範囲は個人的な小さなものだ。

 ところが日本語での言いかたでは、「詫び」の頭に「お」がつき、もっとも簡素な言いかたをするとしても、「詫び」のあとには「申し上げます」という言葉が従う。本来は動詞であるはずの「詫びる」という言葉が、頭に「お」の字を頂いて名詞のようになり、それを「申し上げる」のだから、「詫びる」という行為を言いあらわす動詞は姿を消したも同然となり、行為を表現する言葉としては「申し上げます」だけになってしまう。

 動詞を前後から他の言葉ではさみ込み、覆い隠してどこかへと運び去る語法が、「お詫び申し上げます」という言いかただ。これはもっと複雑にすることが可能だ。たとえば「お詫び申し上げなければならないと考えておる次第でございます」というふうに、端的な行為を言いあらわすはずの動詞に何重もの間接性をかぶせ、話者当人がおこなう直接の行為ではないものにしてしまう。それにくらべて英語では、日本語からの直訳であろうとなかろうと、apologize というひとつの動詞が直接にそのままのかたちで、話者その人の行動として用いられる。これもまた参考になる。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年


2004年 『自分と自分以外ー戦後60年と今』 日本語 英語
2016年1月30日 05:30
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