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あの店でコーヒーを飲みたい

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 あの店でコーヒーを飲みたい、という気持ちを純粋に心のなかで高めて、コーヒーだけのためにわざわざでかけていく店が、いまのぼくには二軒ある。一軒は国内、そしてもう一軒は、国外だ。

 国内のほうの店には、簡単にいくことが出来る。もっとも横着ないきかたは、自宅までタクシーに来てもらってそれに乗り、店のすぐ近くまでいく方法だ。これだと、雨の日に傘なしでも、濡れることはない。15分かからないと思う。電車でいっても、ひと駅だ。25分くらいだろうか。

 この店で、ぼくは、エスプレッソを飲む。たいへんによく出来たエスプレッソだ。コーヒー豆の種類やブレンド、そのローストの加減、そして挽きかた、使う粉の量など、すべてにわたってバランスがとれている。ドゥミタスは、ぼくが持ってるのとおなじものであることが多い。ひと口飲むと、その瞬間から、ぼくの内部には、異った時間が流れはじめる。

 商店街のなかの、とある建物の二階にある。板張りのフロアの、すこしだけ凝った造りの、ややほの暗い、じつによく落ち着ける店だ。いつも静かだ。音楽は、ないことが多い。そしてこの店では、静かな雰囲気を保ちたいという店の方針が、客にも伝わっているのだろう、たとえば大きな声で喋る人はいないし、自分たちとしては普通にしているつもりでも周囲から見るとがさつでさわがしい、という種類の客も、ぼくの経験した範囲内では、きわめてすくない。

 夜の十時まで営業している。午後のあいまいな時間に、エスプレッソを相手にぼうっとしているのはたいへんいい気分だし、タ方もいい。そして閉店一時間くらいまえも、捨てがたい。ひとりですわっていてもいいし、友人と話をしてもいい。店の造りが、ちょっとした物語の背景に使えるような気がして、いついっても、ぼくはほどよい刺激を受ける。

 もう一軒の、国外の店は、ハワイにある。しかも、ワイキキのまんまんなかだ。コーヒーだけの店ではなく、ある種のレストランだ。食事をするのも嫌いではないけれど、ぼくにはコーヒーがいちばんいい。ここへ来てコーヒーを飲むと、ああ、ぼくは帰るべきところへ帰って来ている、という安堵の気持ちすら、感じてしまう。この店の、こういう雰囲気こそ自分にもっとも近いものなのだと、ぼくはその店へいくたびに、つくづく思う。

 こんな話を、たとえばアメリカ人の友人にすると、きみはぼくに冗談を言ってからかっている、と言って友人はまともにとりあってくれない。その店は、じつは、それほどに陳腐なところなのだ。

 しかし、ぼくにとっては、大事な場所だ。一杯めのコーヒーを半分ほど飲みおえた頃、ぼくのいるテーブルを受け持ってくれているウエイトレスが大股にやって来て、「コーヒー、もっといる?」と、ポットをかかげ持って、きいてくれる。「ください」と答えると、彼女は無造作にコーヒーを注ぎたし、クリーム・サブスティテュートの入った小さな容器をエプロンのポケットからいくつかつかみ出し、テーブルの上に転がしていく。この二杯めのコーヒーこそ、ぼくにとってこの店での、真のコーヒーなのだ。

 コーヒーといっしょにとったドーナツをすこしずつ食べていると、受け持ちのウエイトレスは、「イズ・エヴリシング・オールライト?」と、きいていく。すくなくともぼくにとっては、これ以上ではあり得ないほどに、すべてがオールライトだ。

 この店は、ワイキキのほんとに中央にある。しかし、観光客のための一種の架空地域であり、地元の人たちの日常とはほとんどなんの関係もない特殊な地域であるワイキキにありながら、店の内部には観光ハワイや観光ワイキキを感じさせるものは、なにもない。ごく平凡な、うんざりするようなアメリカが、そこにある。幼児体験がいまだにぼくの内部で尾を引いていることを、この店でぼくはいつも確認する。

(『きみを愛するトースト』1989所収)


1989年 『きみを愛するトースト』 アメリカ コーヒー ハワイ ワイキキ
2015年10月31日 05:30
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