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1957年のラブ・ミー・テンダー

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 下北沢のあの映画館の名称をついに思い出した。下北沢映画劇場だ。かつての下北沢駅の北口を出て道幅の狭い商店街に入り、最初の十文字を左へ曲がるとすぐ左側に、その映画館はあった。この映画館がここにあった頃の下北沢には、映画館が四軒あった。まず下北沢映画劇場、そして日本映画だけを上映していたグリーン座、それからスズナリの踏切の脇にあったオデヲン座、さらにもう一軒、南口商店街を駅からくだり始めたところで右に入った奥に、エトワールという映画館があった。合計で四軒だ。

 エルヴィス・プレスリーが主演した最初の映画「やさしく愛して(Love Me Tender)」が、1957年の梅雨の季節に、下北沢映画劇場で上映された。なにかと二本立てだったかとも思うが、覚えていない。これ一本だけだったような気もする。上映は一週間続き、その一週間毎日、僕は下北沢映画劇場へいき、「やさしく愛して」を一日に二回は見た。この映画館で上映される以前、一年ほど前、どこかの映画館でこの映画を僕は見た。それ以来の「やさしく愛して」であり、このとき僕は高校の三年生だった。

 一週間続けて、学校へはいかなかった。病欠の届けを提出したような気がする。学校へはいかなくてもいいのだから、気持ちはたいそう楽だった。下北沢映画劇場は当時の僕の自宅から早足で歩いて十二、三分ほどだった。一週間毎日、午前中の最後の上映に間に合わせて、僕はこの映画館の年若い客となった。

「やさしく愛して」の物語は一度見ればよくわかった。南北戦争直後の南部を舞台にした西部劇だ。『リコ兄弟』という題名で原作の小説があったそうだ。エルヴィスが演じたクリントという青年は、最後に銃で射たれて死んでしまう。だからすべてが終わったあとエルヴィスのバスト・ショットが画面に写し出され、それに〈Love Me Tender〉の歌が重なった。

 この部分は映画のいちばんおしまいだから、毎回、僕は見た。ここよりはるかに僕をとらえていたのは、劇中で彼が歌う三曲の歌だった。これは大勢の人が見る映画だからいつもよりおとなしくやれよ、と注意されたエルヴィスは、そのとおりに歌ったという。それでもなお、彼の歌いぶりは、何度も見ることに充分すぎるほど、値した。〈We’re Gonna Move〉、〈Poor Boy〉、〈Let Me〉、この三つの歌だ。

 1950年代そのなかばから後半にはいった頃のエルヴィス・プレスリーが歌う様子を、その全身の動きとして見ることが出来るのは、この映画のなかのこの三曲なのだが、そのことに言及した文章を読んだ記憶が、僕にはない。一日に二度は見たから、一週間の上映が七日間だったとするなら、〈Love Me Tender〉と合わせてこの三曲を、僕は下北沢映画劇場で十四回、見たことになる。見るそのつど、夢中で見たから、劇中の三曲はずっとあとになってようやく、覚えた。

 1950年代の歌うエルヴィスを見ることの出来る劇映画は、さらに二本ある。1957年の「さまよう青春(Loving You)」と、次の年、58年の「闇に響く声(King Creol)」だ。

 映画「やさしく愛して」はリチャード・イーガン、ロバート・ミドルトン、ウィリアム・キャンベル、ネヴィル・ブランドといった男優たちを楽しむことが出来るし、エルヴィスの母親としてミルドレッド・ダノクが出演している。欠かすことの出来なかった美人女優はデブラ・パジェットだ。かなり本気で西部劇を作ったのではなかったか。あるいは当時のハリウッドでは、この程度はごく当たり前のことだったのか。なにがどう特別でもない、よくまとまった西部劇の小品のなかにいるエルヴィスは、周囲にあるいろんな物とよく調和している。フェアの会場に作られた木製のステージで彼が歌う場面では、当時の彼がステージ活動を常にともにしていた三人のミュージシャンたちが、そのまま出演している。

 二作目そして三作目は、公開されてから三十年近くあと、VHSのテープで見た。その前に「ブルー・ハワイ(Blue Hawaii)」(62)を日比谷の映画館で見た。僕が大学を卒業した年のことだ。「バギー万才!!(Live a Little, Love a Little)」(69)というエルヴィス主演の映画をなぜ見たのか、いまとなってはとうてい思い出すことは出来ない。新宿東口の映画館で見た。いまでもおなじ場所に映画館があるとは思えない。いまはそこになくてもかつてはここに映画館があったのです、と場所を示すことはまだ可能だろう。

 次の「Change of Habit」(69)が二十九作目で、エルヴィスが劇映画で主人公を演じたのはこの作品が最後だったという。原題は皮肉な解釈が可能だ。主演映画が二十八本もあればそれはもう立派な習慣であり、二十九本目でその習慣からついに脱するのだ。

『キネマ旬報』2019年8月下旬号


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2020年4月15日 07:00
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