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日本人なら誰もが知っているあの曲は、海を越えてカバーされていた

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なぜか聴くと長方形をイメージする曲

「荒城の月」という歌のオリジナル、つまり後年に山田耕筰が編曲したのではないほうは、Bマイナーの八小節で、僕はこのメロディからおなじかたちの長方形ふたつを想像する。子供の頃からそうだ。初めて聴いたときからではないか。

 最初の四小節を聴いて思い浮かべるのは縦横比が十三対九ほどの長方形をひとつ、縦に置いたものだ。次の四小節は、おなじ長方形を横置きにして、最初の長方形に重ねたものだ。重ねた位置は縦に置いた長方形の下半分で、やや左にずれたところだ。

 作曲者は瀧廉太郎だ。明治31年に始まった中学校唱歌への、作曲部門での公募に応募したものだ。明治34年に出版された『中学唱歌』に収録されている。応募したのではなく、依頼されて作曲したのだ、という説もある。

 1891(明治24)年、瀧廉太郎の父親が大分県直入郡の郡長となり、一家は竹田へ移住した。そこには岡城跡という城跡がある。「荒城の月」を作曲するにあたって、岡城跡が果たした役割は大きい、と瀧自身が語ったという。

 作詞した土井晩翠は詩人としての位置を確立していたと同時に、仙台の旧制第二高等学校の教授をしていた。彼は依頼されて作詞したという。四番まである歌詞のなかで、仙台の青葉城は三番に色濃く影を落とし、第二高等学校の生徒だった頃に訪れた会津若松の鶴ヶ城の思い出も、いくつもの言葉に実ったそうだ。以上、三つの城に、「荒城の月」の石碑がある。

「荒城の月」を聞く機会は、日常のなかにはあまりないようだ。ただし、思いがけないところにあるから、遭遇する機会がけっしてないわけではない。僕の場合は、なんらかの理由で買っておいたCDやLPのなかに、九通りの「荒城の月」を見つけた。その九通りを一度に聴いてみた。こういう体験はごく小さな非日常だろうか。

アメリカのギタリストとピアニストがカバー

 チェット・アトキンスの『日本の詩』というCDの英語の題名は、Discover Japanという。日本語の題名のなかにある「詩」とは、かつては存在した日本、というような意味なのだろう。そしてそれは、1970年代の前半には、ディスカヴァーの対象だった。「浜辺の歌」「ゆりかごの唄」「里の秋」など十三曲のなかに「荒城の月」がある。

BMGビクター

 1965年のチェット・アトキンスは「ポップ&カントリーフェスティバル」というツアーに参加するために来日した。スキーター・デイヴィス、ザ・ブラウンズ、ハンク・ロックリンが同行したという。この日本ツアーはチェットにとっては良き体験だったようだが、日本の曲を知るための時間がなくて残念だった、と彼は語っている。

 その思いを土台にして、この十三曲の「日本の詩」を彼は作った。「編曲ももちろんチェット自身によるものだそうです」とライナーにはある。十三曲ともたいへん良い。「荒城の月」では彼のギターの周囲に作られた雰囲気が、本当にチェットによる編曲の結果なのかどうか。

 カーメン・キャヴァレロは幼い頃からピアノを学び、コンサート・ピアニストをめざす途中、ポピュラー音楽へと転じた。自分の楽団を最初に持ったのは1939年のことだった。「ショパンのポロネーズ」がヒットして、彼は広く知られることになった。

 1955年のアメリカ映画『愛情物語』で、タイロン・パワーが演じたエディ・デューチンのピアノ演奏を担当したのが、カーメン・キャヴァレロだった。主題曲のTo Love Againは、「トゥ・ラヴ・アゲイン」としてある時期には完全に日本語でもあった。海を越えた果ての遠いはるかな夢だった。そしてその夢はいつもの日本の身辺には絶対になかった。To Love Againの原曲はショパンの「夜想曲第二番」だ。

 カーメン・キャヴァレロは日本でも人気があった。その日本に初めての演奏旅行を試みたのは1962年だったという。『日本の詩情』というLPに収録された「荒城の月」はこの頃の録音だろう。これだけ音数が多いと爽快だ。そしてどの音も陽気で理にかなっている。チェット・アトキンスをいっぽうの極だとすると、カーメン・キャヴァレロはもういっぽうの極だ。

ユニバーサル インターナショナル

編曲で半分のスピードになった

『琴のしらべ ベスト』という全二十曲のCDのなかに「荒城の月」がある。チェットとカーメンの曲とはまったく別の方向へ奥行きを作る例だ。『オーケストラで綴る抒情歌』という二枚組全四十曲のCDにある「荒城の月」も、おなじ方向への奥行きだ。

キングレコード

 山田耕筰が「荒城の月」を編曲したとき、八分音符を四分音符にして一小節を二小節に分け、八分音符以外の音符もほぼおなじ比率でのばした。「荒城の月」という歌が進行していく速度は、これによって半分に落ちた。その結果として、不思議なことが起きた。「荒城の月」の歌詞は現在についてなのだが、編曲によって、気持ちが過去に置かれている歌、という印象が強くなった。

 琴とオーケストラそれぞれの「荒城の月」は、気持ちが過去にある「荒城の月」の典型だ。四番まである歌詞のどの番にも、「いま」という言葉がひとつずつある。たとえば一番の歌詞の最後の行には、「昔の光いまいずこ」とあるとおり、この歌は「いま」という現在の歌だ。

ムード音楽の巨匠もカバー

 1964年にイギリスとアメリカで発売されたマントヴァーニ楽団の、Folk Songs around the WorldというLPのなかに、「荒城の月」がある。日本では『マントヴァーニ 世界の旅』というLPで、おなじく1964年の発売だ。

Decca Record

 その一年前、1963年に、B面が「ラ・ゴロンドリーナ」で「荒城の月」のシングル盤が日本で発売された。オリジナルの八分音符で進行する。冒頭には銅鑼が鳴る。そしてオリエンタル・リフがある。このリフは曲の最後にも登場する。一聴ただちにチャイナあるいはオリエントの雰囲気となるが、けっして日本にはならないリフだ。このリフのオリジナルは、1910年のヒット・ソング、Chinatown, My Chinatownで使われたものだということだ。

 アヌンツィオ・マントヴァーニは1905年にヴェネチアで生まれた。父親はクラシック音楽のヴァイオリン奏者で、スカラ座歌劇場のオーケストラの、コンサート・マスターを務めるなど、音楽で成功を収めた人だった。

 1909年に一家はロンドンへ移り住んだ。八歳からピアノを学んでいたアヌンツィオは、当然のことのようにトリニティ・カレッジで音楽を学び、十八歳のときに初めて自分のバンドを持った。このバンドはやがて五重奏団となり、ラジオ出演やSPレコードの録音を盛んにおこなったという。日本でマントヴァーニのレコードが発売されたのは1930年からだ。

 戦前における活動の蓄積の上に、第二次世界大戦が重なった。1939年には舞台劇の音楽監督を務め、1941年にはミュージカルの舞台で、劇場オーケストラを指揮した。いずれも大成功となり、マントヴァーニの名をいちだんと高めたということだ。

 彼のレコードは1947年からアメリカでも発売されていた。そのアメリカでは、1950年になると、新しいポピュラー音楽のオーケストラが次々に誕生し、それらのオーケストラの音楽はレコードという商品となって数多くの購買者を獲得していた。

 これに対抗するポピュラー音楽を創り出すことを、ロンドン・レコードはマントヴァーニに求めた。マントヴァーニはそれに応えた。編曲の才能と最先端の録音技術でLPの時代を切り開いたのが、マントヴァーニ・オーケストラの「カスケイディング・ストリングス(=滝が流れ落ちるような弦楽器)」という魅力だった。

 弦のセクションを五つに分け、分担して交互に少しずつずれながら、何層にも弦が重なり合い、他の楽器のすべてがこれを支え、増幅し、影をつけた。たとえば横幅の充分にある滝を流れ落ちる水を、左から右へと見ていくときのように、重なり合いつつ次々に受け渡される弦の音は、レコードで聴く人たちを魅了した。

「シャルメーヌ」という曲は、そのようなマントヴァーニ楽団の、最初のミリオン・ヒットとなった。SPで1953年に、シングル盤では1955年に発売された。「シャルメーヌ」といえばいまだにマントヴァーニだし、マントヴァーニといえば「シャルメーヌ」だ。カスケイディング・ストリングスを日本で受けとめた世代の中心は、1950年代の後半に十代の後半だった人たちだ。

ジャズの大御所たちもカバー

 ヨーロピアン・ジャズ・トリオの1991年の作品であるNight Train(『夜行列車』)のなかに「荒城の月」がある。ジャズの柔軟性のなかで可能になった、じつにきれいな「荒城の月」のお手本のような出来ばえだ。

ポニーキャニオン

「荒城の月」の英題はThe Moon of Wild Castleとなっている。月は夜空の高くにあり、そこからその光が荒れ果てた城を照らしている、という理解がなければ、英訳は一例としてこうもなるだろう。だからmoonはoverやonではなくofなのだ。これはこれでひとつの翻訳だ。そして「荒城」の「荒」の字を、「荒くれ」の「荒」、という意味に理解しているから、荒れ果てた城は、荒くれ城、つまりWild Castleになる。

 ジャズ・ピアニストのセロニアス・モンクに、Straight, No Chaserという傑作がある。この曲を四人で演奏した録音が収録されている同名のLPないしはCDに、「荒城の月」が入っている。『モンクの「荒城の月」』として知られていた。

 1966年の5月に、モンクはおなじ四重奏団で日本へ演奏旅行に来た。1963年の公演に続く、二度目の日本公演だった。セロニアス・モンクに加えて、テナー・サックスのチャーリー・ラウズ、ベースのラリー・ゲイルズ、そしてドラムスのベン・ライリーだ。

 この二度目の公演の最終日は五月十六日の夜で、場所はサンケイ・ホールだったという。このステージでセロニアス・モンクは「荒城の月」を初めて弾いた。6月なかばのニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでも彼は「荒城の月」を弾き、次の年、1967年1月に、「荒城の月」をニューヨークで録音した。

 そしてそれが収録されたLPは、春に発売された。ベースがぜんたいを簡潔に要約している。このくらいの短さなら覚えられるのではないか、などとふと思う。自分にとっての現在というものの表現として、この「荒城の月」は素晴らしい出来ばえだ。LPやCDに記載されている題名は、Japanese Folk Songとなっている。

Sony

「荒城の月」はA面の四曲目で、三曲目にあるのが、さきほど書いたStraight, No Chaserという曲だ。モンクの代表作と言われている。この題名が、「まっすぐに、追う者はなく」と翻訳されて日本語の著作のなかにある、ということを教えてくれた人がいる。確認はしていないが、これはこれで翻訳だ、と僕は思う。The Moon of Wild Castleとよく似ている。きっとこうだろう、と自分が考えた意味をそのまま、誰かがかたや日本語に、かたや英語にしたまでだ。

女性歌手による「荒城の月」

 歌われた「荒城の月」が僕のところにふたとおりあった。ひとつは美空ひばりだ。1965年の録音だろう。遅いテンポのほうを歌っている。きれいに歌う部分と、ひばりの声になる部分との対比が楽しめる。

 もうひとつは山口淑子だ。1942年5月28日に内幸町にあったスタジオで録音されたものだという。もっとも低くなる音が、最後の音を含めて、譜面のなかに三ヵ所ある。その最後の音を低くせず、高い音のままで山口淑子は歌い終えている。

 1950年に公開された日本映画『暁の脱走』に、山口淑子は主演女優として出演した。田村泰次郎の『春婦伝』を原作に、谷口千吉と黒澤明が脚本を書き、谷口千吉が監督した。

東宝

 映画の冒頭で、「華北戦線 昭和20年」と画面に文字が出る。華北とは中国北部の総称だ。現在の行政区分では、北京と天津のふたつの市に、河北と山西のふたつの省、そして内モンゴル自治区だ。

 戦線と言うからには日本から軍隊が出て中国と戦争をしていたのだろう、ということくらいは僕にもわかる。1937年からの日本による中国への全面的な侵略を目的とした戦争だ。中国は抗戦して戦争は長期化し、1941年には太平洋戦争につながった。支那事変、日支事変、日華事変、という言いかたを見たことがある。すべて日中戦争のことだ。

 日中戦争、という四文字を見て、昼間だけ戦争なのですか、と訊ねた女性編集者がいた。僕はそこまではいってない、と自分では思っている。しかし、国語辞典で日中のところを見ると、確かに、陽が空に高く昇っているあいだのこと、といった説明がしてある。

 昭和20年の8月には敗戦だから、『暁の脱走』の画面にあらわれる帝国陸軍の兵隊たちは、誰もが疲れている。なにかの作戦行動を終えたあとなのだろう、兵隊たちは隊列を組んで駐屯地のある町へ帰ってくる。彼らの意気はまったく上がらない。

 軍隊に同行している慰問団の若い女性たちが、二階のヴェランダから兵隊たちを眺めている。三上という上等兵とともに捕虜になった慰問団の歌手、春美が、三上とともに釈放され、いっしょに帰ってくる。この春美を演じているのが山口淑子だ。

 帰還した日の夜なのだろう、兵隊たちは酒を飲んで歌っている。酒宴ではなく食事のあとでもなく、娯楽のひとときでもないように見える。ただ捨て置かれたような時間なのだろう。兵隊たちが単純な身ぶりとともに、自棄のように歌う歌の歌詞の一部分を、僕は書き取ってみた。ツーツーレロレロツーレーロ、ツレラレツレラレツレラレロ。

 その様子を慰問団の女性たちが見ている。酔えば彼らはいつもこうなのか。明日の自分の運命を直視するのが怖いのだ。などと彼女たちは会話する。

 捕虜になったのちに帰ってきた三上上等兵は自動的に国賊だ。春美をめぐる上官の奸計も作用して、三上は軍法会議にかけられることになる。そのための書類を上官は作成しなくてはいけない。

 三上上等兵が慰問団の女性歌手、春美と知り合ったきっかけはなにか、と上官はまず春美に詰問する。画面はフラッシュ・バックする。三上が春美と知り合ったきっかけが描かれる。慰問の一環として春美が舞台で歌を歌った夜だった。このとき春美が白いドレス姿で歌うのが、「荒城の月」だ。歌詞の一番と四番を彼女は歌う。僕が『伝説の歌姫』というCDで聴いたのと、まったくおなじ歌いかただった。

 僕が聴いたどのCDのライナーにも、「荒城の月」に関して、日本を代表する名曲、という言葉があった。オリジナルを色づけや解釈などなしに、演奏したり歌ったりした、「荒城の月」とはこれです、と誰にでも差し出すことの出来る普遍的なものは、どうやらどこにもないようだ。

出典:『現代ビジネス』講談社 2017年7月16日
表紙:Photo by iStock


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2018年11月9日 00:00
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