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ヒラリー・ロダム

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この作品は、『日本語の外へ』「第1部 アメリカ──遠近法のなかへ」
に収録されたものです。

 ビル・クリントンが大統領になってからずっと、アメリカ国内で放映されるTVニュースの画面に彼の妻、ヒラリー・ロダム・クリントンが現れるたびに、僕は彼女の姿を不安と期待の重なり合った気持ちで受けとめてきた。ヒラリーの髪が、僕は気になっていた。

 髪の作りは、服や靴その他、身につけるものすべてと密接な関連を持っている。だから彼女の髪が気になるとは、彼女のいわゆるファッションの全体が気になる、ということだ。気になるとは、不安や心配、そして期待が、半々に重なるという意味だ。自分のヘア・スタイルを彼女はもう見つけただろうか、という期待。それをまだ見つけてはいず、したがって今度も前回とはまったく違うヘア・スタイルなのだろうか、という不安と心配。

 知力や才能、理解力や行動力、組織力などを別にして考えても、彼女は素材としてけっして悪くないと僕は思う。就任式のときのボールガウン姿は、たいへんに素晴らしかった。ヒラリーにはイーヴニング・ドレスが似合う。これはたいへんなことだ。それから、スーツもいい。まだ選挙運動中の一九九二年十一月、バーバラ・ブッシュとともにどこだったかに現れたときのヒラリーは、バーバラがブルーの服で来ることをおそらく前もって知っていたのだろう、じつに良く似合う小気味のいいブルーのスーツで登場した。

 バーバラのブルーは、いかにも地位と生活を保証された、家庭を守る年配の婦人そのもののようなブルーであり、アクセサリーは首もとの三連の真珠だった。ヒラリーのブルーは、顔の肌の色と髪によく調和した、若くて行動的で、なおかつ充分過ぎるほどに知的なブルーだった。スカーフもアクセサリーも完璧と言ってよく、このときは髪も良く出来ていた。

 似合う服と髪が、ヒラリーには確かにある。ファッションにおけるパーソナル・スタイルを、充分に発揮することの出来る素材だ。そのことに間違いはない。しかし、この一年、ヒラリーの髪と服は次々に変化した。かなりうまくいったときと、まったくうまくいかないときとが、交互して繰り返された。なんとかして自分のスタイルを発見しようとしている苦労が、服と髪の変化の連続から伝わってきて、僕はその変化を楽しみつつも、次の変化を心配し期待したというわけだ。

 若い頃から、あるいは子供の頃から、そして現在までずっと、ヒラリーはファッション・パワー(見かけやイメージ)の人ではなく、ブレイン・パワー(頭脳力)の人であったことは確かだ。服や髪などに興味はなかったのだ。一般的には人気投票以外のなにものでもない大統領選挙中でも、ヒラリーが自ら表現した自分の価値は、「ひとつの値段でふたつ手に入る」ということだった。うちのビルを大統領に選ぶなら私の頭脳もついてくる、というわけだ。ヒラリーの頭脳に期待をかけてのビル、という意味で、ビルとヒラリーを造語的にかけ合わせ、ビラリーという呼び名すら出来たほどだ。

 そのヒラリーは、自分がファースト・レディと呼ばれるのを嫌っているという。ファースト・レディではなくプレジデンシャル・パートナーと呼んでほしい、と彼女はおおやけに発言しているという。これまでの大統領夫人たちのような、単なるセレモニアルなあるいはデコレーショナルな役割を越えた次元に私はいます、という意志と知力の表明だ。

 医療保険制度の改革という大難問を、ヒラリーは引き受けた。こういう難問を大統領はその正面に掲げるべきではない、というような意見があるが、それは純粋にポリティカルな意見というものだろう。ヒラリーは本気だ。改革案に関して議会を前に公聴を受けたときのヒラリーは、素晴らしい出来ばえだった。彼女はこういうことの得意な女性であるらしい。

 ヒラリーのような女性は、ある程度以上の階層になると、いたるところにいるのがアメリカだ。現在の、そして今後のアメリカ女性にとってのロール・モデルとして、あるいはプレジデンシャル・パートナーとして、この公聴会でのヒラリーは、早くもひとつの高みに到達した感があった。あまりの出来ばえに感激した議長のダン・ロステンカウスキーは、「いまの大統領は将来の歴史のなかでは、あなたのご主人として記憶されることになるでしょう」とまで言った。

 さて、そのヒラリーの、髪だ。一九九三年から九四年にかけての一年間、彼女の髪はいったい何度、変わっただろう。プレジデンシャル・パートナーを越えて、プレジデンシャル・マテリアルとしてのヒラリーのような女性は、いまの日本からはやはり存分に遠いのだろう、彼女の髪は日本での話題ではないが、アメリカではたいへんな関心を広く集めた問題だ。女性の髪や服は、日本では単なるファッションのセンス、お洒落、身だしなみ、個性の表現、生活信条の表明などにとどまるが、アメリカでは自分の意見をどこまで真剣に聞いてもらえるかに核心的にかかわる、生きるか死ぬかの大問題だ。

「なかなかいいじゃないか、これでいけばいいんだよ」と言えるヘア・スタイルから、「うわっ、駄目、やめろ、似合わない」と言わざるを得ないスタイルまで、ヒラリーの髪は僕を楽しませてくれた。髪をひとつのスタイルにまとめることを総称してヘア・ドゥーと言うが、ヒラリーの場合はヘア・ドント(してはいけないヘア・スタイル、というほどの意味の造語)であることのほうが、圧倒的に多かったようだ。

 だらんと垂れる長いボブはまったく良くない。ヘア・バンドもアウト。いかにも仕事に生きるふうの、よくあるいまふうの髪も駄目。昔の映画に出てくる仕事をしている女ふうの、いまではパワー・パームと呼ばれているようなパーマをかけた髪も、古くて好ましくない。服は、昔からあるいわゆる女性服のような服は、着ないほうがいい。現代の、すっきりとシャープなスーツが、彼女にはもっとも似合う。

 一年がかりでヒラリーは正しい髪になんとかたどり着いたようだ。どちらかと言えば短めの、夜も昼も兼用出来る、無理をまったく感じさせない、すっきりとした、これが頂点で完成、と宣言していいスタイルだ。女性のブレイン・パワーは髪をとおして相手に届く。髪が不出来だと、ブレイン・パワーは自動的に割り引きされてしまう。ヒラリーの髪は、しかし、これからも変化を続けるかもしれない。将来に関するそのような予測を過去に対してあてはめてみると、彼女のブレイン・パワーを別の視点から見ることが出来るような気がする。

 ヘア・スタイルが何度も変わったのは、これというひとつのスタイルをみつけることの難しさであると同時に、ヒラリーのブレイン・パワーの、たとえばホワイト・ハウスにおける、いまのアメリカといえどもけっしてないわけではない、すわりの悪さやおさまりの悪さなどのあらわれであるかもしれない、と僕は思う。ヒラリーを大統領にふさわしい人材だととらえている人は、僕の勘ではアメリカに三分の一はすでにいると思う。と同時に、大統領のかたわらにいるもうひとりの大統領として、ヒラリーを良く思っていない人たちもまた多い。

 切り抜けていく道はただひとつ、これこそアメリカと言えるような種類の、プラグマティズムだ。ヒラリーのブレイン・パワーは、要するにアメリカの高等教育で鍛え抜かれたことをとおして生まれたものだ。ご主人のビルも、高等教育では奥さんにひけをとらないどころか、もっとも高等な高みを体験した人だ。高等教育とは、どんな問題にせよ、ありとあらゆる視点から、およそ考え得るすべての選択肢について、考えられる限度いっぱいに考え抜く能力のことだ。ヒラリーにおけるヘア・スタイルの模索は、この能力がまだ全面的には受け入れられていないことを、物語っているのではないか。

 一九九六年十月現在では、ヒラリーの髪はひとつの完成域に達している。あるいは、自分にはこの髪だ、と心から思えるようなスタイルを、彼女は見つけている。ヒラリーの髪に、少なくともいまは、僕は心配も不安も持っていない。

底本:『日本語の外へ』角川文庫 2003年


『日本語の外へ』 アメリカを知っているのか?
2018年9月10日 00:00