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バブルは消えたのか、目の前にあるのか

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〈書評〉永野健二著バブル 日本迷走の原点 1980—1989

 日本におけるバブルの起点は一九八六年だという。当時の働き盛りの日本人男性が四十六歳だったとすると、彼らが社会的な第一線をしりぞいてすでに十数年が経過している。バブルは彼方へと消えつつある。バブル、という言葉がまだ通じると仮定して話を進めなくてはいけない。

 バブルが始まった頃、僕は四十代だった。年齢的にはバブルと重なっている。僕のようなフリーランサーは、僕の隣にはもう誰もいない、なにもない、という最末端の働き手だ。その僕にとってさえ、バブルの時期は特別に多忙だった。あの忙しさが自分にとってのバブルだった、といま思う。小説だけならさほどではなかったはずだが、小説以外の署名原稿を書くのに多忙だった。かなり遠いところでおこなわれた、なんらかの経済活動に、最末端の僕も巻き込まれたのだ。

 その僕がいま振り返ると、バブルは日本だ、という思いが強い。この文脈での日本とは、外から入り続ける影響力を、可能なかぎり改変・変質させて自分たちのシステムの都合に合わせ、そのなかでの従来どおりの生存を確保していく営み、というような意味だ。バブルとその消滅はこのような日本が限界に達して破綻した事実を示している、と僕はとらえている。

 すべては日本の歴史や文化のなかでの出来事だから、振り返ると根は深いかと思うが、僕の記憶に残っているところによれば、一九七三年の、通貨価値の変動が各国の国民生活を直撃する変動相場制の始まり、そしてオイル・ショックから勉強していけば充分だ。本書のなかにあるレーガノミクスについての簡潔な記述は、そのような基礎的な勉強にとってたいそう役に立つ。

 一九八一年に出来たレーガン政権は、減税や規制緩和などによって供給力を上げることで、経済成長を実現させようとした。アメリカの都合でしかなかったこの考えかたを、グローバルを当然の前提として、レーガン政権は世界各国に強要した。レーガン政権の二年前に出来たイギリスのサッチャー政権の経済政策はほぼおなじであり、アングロ・サクソンの側からの次なるお手本として、たとえばレーガン政権と期間の重なる中曾根政権は受け入れた。

 まずとにかく金融と経済において、どんなに好ましくない影響でも、外国から日本へ直接に届く世界へと大きく転じたのが、一九八三年だったとしておこうか。この年の十一月、レーガン大統領は中曾根政権の日本を訪れていたのだから。冒頭に書いたバブルの起点は、この三年後のことだ。

 バブルとは、それまでの日本を支えてきた日本的なシステムによる、グローバルな世界に対する最後の抵抗だった、と僕はとらえてもいる。バブルが消滅してからの失われた二十年は、いったんグローバルになってしまったものは、それがどのようなものであれ解決策はいまのところない、ということの如実な反映ではないか。

 存在していること自体が途方もないリスクである時代のなかに誰もがいる。「日本のリーダーたちは、構造改革の痛みに真っ正面から向き合うことを避けた。制度の変革や、産業構造の転換を先送りしたのは、大蔵省をはじめとする霞が関官庁であり、日本興業銀行を頂点とする銀行だった」とこの本の著者は書く。「彼らは残された力を、土地と株のバブルに振り向けた」

 グローバル化されてからの経済活動の現実と、日本の現在の政権の現実との、目もくらむような乖離のなかに、日本の人たちは今日も生きている。「バブルの時代を知らず、その弊害を何も学んでいない世代が、80年代を懐かしんだり、バブル待望論を口にすることも増えてきた」と著者は書いている。バブルはいまも目の前にあるのだろうか。

出典:『週刊朝日』2017年2月17日号


2018年6月6日 00:00