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姿を隠したままの存在に気づこう

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 とっくに姿を消していまはもうない『アサヒグラフ』は、1923年、大正12年に、驚くべきことに無休の日刊タブロイドとして、創刊された。多くの写真に説明文が添えられてページを構成する、というスタイルの写真新聞だった。

 1940年7月に、誰が言い出して広めたことなのか、僕はまだ知らないが、出版新体制、という一種の自主規制が生まれた。娯楽や啓蒙をいっさい排して、国家の推進する国策を国民大衆に説く作業に専心しよう、という規制だ。この規制を全面的に支持して、『アサヒグラフ』は「国内向け国策宣伝グラフ誌」へと方向を転じた。

『復刻アサヒグラフ昭和二十年』と題した本書は、月に3回刊行されていた『アサヒグラフ』の、昭和20年に刊行されたもののなかから、1944年12月27日/1945年1月3日合併号から1945年12月5日号まで、10冊を選んで当時のままに復刻したものだ。「日本の一番長い年」と表紙にある。こう言われてなんのことだかわからない人が、すでに多いのではないか。日本の歴史の上でもっとも大変なことがあった年のことだ、と言っておこうか。

 もっとも大変なことがあったとは、起こしたからあったのであり、起こしたのは国策として戦争を画策し、開戦し、勝利をめざしてそれの遂行を図った、日本国家だ。

 途方もなく無知で無策だった日本国家が戦争を始め、おなじく途方もなく生真面目だった日本国民が、その戦争を支えた。どのように支えたか、その驚愕すべき一例を、昭和20年3月21日号の『アサヒグラフ』に掲載された広告に見ることが出来る。

 当時の日本では、醤油は、国家によって厳しく統制された配給制の食品だった。この配給醤油一升に水を一升加え、そこへさらに、食栄素と名づけたおそらくは調味料のようなものを、匙で十杯加えて攪拌すれば、貴重な醤油の一升がたちまち二升になる、と広告されている。多くの国民がそのとおりに使ったことだろう。缶入りで大小ふたつあり、大阪市東区にあった伊藤万という会社が発売していた。この広告に添えられたコピーは「決死増産! 全機撃墜!」であり、この恐ろしい八つの文字には、アメリカの最新鋭爆撃機B29の絵も加わっていた。

 皇軍の戦死した兵士たちを別にして、この太平洋戦争を直接の原因にして命を失った日本国民は、戦争が遂行されていた3年8か月ほどのあいだに、87万2900人にのぼった、という数字がある。多数の国民の努力と命が戦争を支えた。そのことを主として写真で国民に伝えて戦意を高揚させるのを目的としたのが『アサヒグラフ』だった。昭和20年6月25日号の表紙は、出撃寸前のまだごく若い特攻隊員が、優しい笑顔で子犬を抱いている写真だ。

 復刻されて一冊にまとまった昭和20年の『アサヒグラフ』は、当然のことながら、大敗戦をその途中に持っている。戦中と戦後が、指先でページを繰る目の前で、切り替わる。写真雑誌ならではの、これは貴重な体験だろう。

 なぜ貴重かというと戦中に戦争を存分に煽った言葉と、戦後になって復興を煽った言葉とその調子が、まったくおなじではないか、という発見があったりするからだ。

 貯金に励んで国に奉仕することをうたう定額郵便貯金の広告に添えられたコピーは、「現金で持っていてはこの決戦に間に合わぬ! 手持現金は定額郵便貯金へ」というものだ。そして戦後、復興をうたう三和銀行の広告では、ツルハシで作業する男の絵に、「皇国再起 一切の無駄を廃し一路貯蓄へ!!」というコピーを添えた。

 こうした見えやすいものの陰に、姿を隠したままの存在がある事実に、もう気づいてもいいはずだ。

出典:『週刊朝日』2015年9月18日号


2018年5月23日 00:00