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故国を探した作家の失望の旅とは

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 ジョン・スタインベックというアメリカの作家は、一九〇二年にカリフォルニア州のサリーナスに生まれた。スタンフォード大学に入った十七歳くらいの頃まで、スタインベックはサリーナスで過ごしたようだ。サリーナスやモンタレーなどを中心としてとらえたカリフォルニアの地形や気候など、自然の複雑きわまりない様相と、そこに住みついて代を重ねていく家族との緊密な関係の記述や描写を、『エデンの東』の冒頭に読んだときに受けた感銘を、いまから五十年ほども前のことだが、僕はよく覚えている。カリフォルニアの大地や自然と、そこに生きる人々の関係を小説にしていく、カリフォルニア作家なのだと、そのときの僕は彼をとらえた。

 カリフォルニアを舞台にしたジョン・スタインベックの小説を、もっと読まなくてはいけない、と僕は思っている。処女作である『カップ・オヴ・ゴールド』が出版されたのは、一九二九年のことだ。そこから彼の作家生活が始まり、一九六二年にはノーベル賞を受賞した。アメリカ人としては六人目の受賞者だった。そして一九六八年にこの世を去った。アメリカで彼の作品をマス・マーケットのペイパーバックとして出版してきたのは、バンタム・ブックスという叢書だ。一九七〇年現在で、バンタム・ブックスから刊行された彼の作品は、二十三点ある。半分くらいは持っているだろうか。しかし残りの半分は持っていないから、出来るだけ早くにすべてを入手しよう。そしてそれらを年代順にならべ、そこからカリフォルニア物を抜き出し、最初から順番に読んでいくのだ。どんな内容でどのように彼がカリフォルニアという自然をとらえたかが、こうすることによってわかるはずだ。自然という背景をどんな視点でどう描いたかは、作家を理解する上で重要な鍵になる。

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 今回の写真にあるのは、一九六二年に刊行された、『アメリカを探して チャーリーとの旅』という、ノン・フィクションのペイパーバックだ。生きた年月から言うと最晩年にあたる一九六〇年、ジョン・スタインベックはチャーリーという名のフレンチ・プードルを連れて、キャンピング・カーをひとりで運転し、アメリカを複雑に縦断する旅に出た。この旅を題材にして紀行文で一冊にまとめたのが、『アメリカを探して チャーリーとの旅』という作品だった。大地にすわっているスタインベックにチャーリーが寄り添っている表紙絵のペイパーバックが、バンタム版だ。そしてそれ以外は、装丁を変えてはさまざまに版を重ねていくのを得意とする、イギリスのペンギン・ブックスという叢書のものだ。どの表紙絵にもチャーリーとキャンピング・カーが描いてある。キャンピング・カーにスタインベックがつけた名前は、ドンキホーテの馬の名をそのままとった、ロシナンテだった。ペンギン・クラシックスという版では、チャーリーとともにいるスタインベックを撮影した写真が使われている。当時の彼が住んでいたメイン州で撮影されたものだろう。

 スタインベックの小説で最後のものとなったのは、『我らが不満の冬』という作品で、これは一九六一年に出版された。『アメリカを探して チャーリーとの旅』は、その次の年、一九六二年に刊行された。そしてその次の『アメリカとアメリカ人』という作品が、生前に出版された最後の作品となった。作家としての日々を送るようになってからのスタインベックの本拠地は、ニューヨークとロング・アイランドだった。外国へ出かけていくのを彼は好み、一九五十年代のかなりの部分を、彼は外国で過ごした。カリフォルニアを舞台にした最後の小説は、一九五四年の『甘い木曜日』という作品だ。

 カリフォルニアという大地との、自然を緊密な接点とした関係を自分は失って久しい、という自覚が、チャーリーとの旅の起点になった。スタインベック自身がそのような意味のことを書いている。アメリカという大地との関係を取り戻したい、と彼は考えた。それにはアメリカを東から西に向けて、複雑にたどりながら旅をするにかぎる、とも彼は思った。自分の知らないアメリカがそこには巨大に横たわっているのではないか。知らないアメリカのなかへ、身を挺するかのように分け入り、大地と人との関係をさまざまに見聞しては、それを自分の内部へと取り込むだけの力は、いまもまだ自分には残されているはずだ、ともスタインベックは思った。さらにもうひとつ思ったのは、いまあるアメリカは自分がかつて生きて体験したアメリカとはまるで異なる別ものであり、自分が知っているアメリカはもはや自分の記憶のなかだけにしかないのではないか、ということだったと、僕は推測する。この思いを確認するために、彼はチャーリーというフレンチ・プードルを旅の友として、アメリカ横断の旅に出発した。一九六〇年九月二十三日のことだったという。

 その旅は四十州を走り抜けていく旅となった。まずロング・アイランドからメイン州へ。そしてシカゴへ向かい、中西部をミネソタ、北ダコタ、モンタナ、アイダホと抜けていき、シアトルへ。そこから南へと下ってサンフランシスコ、そして生地のサリーナス。これが往路だ。復路はニュー・メキシコからアリゾナ、テキサスをへてニューオルリンズへ。アラバマ、ヴァージニア、ペンシルヴァニアを抜け、ニュージャジーからニューヨークへ。アメリカという大地を、スタインベックは充分に感じ取っただろう。いろんな人と出会い、さまざまな話をしたはずだ。そのアメリカは、そしてそこに生きる人たちは、どんなだったか。ひと言でかたづけるなら、それは失望の旅だった。

 第二次世界大戦でアメリカが戦勝国となってから、まだ十五年しかたっていなかった一九六〇年だったが、旅するスタインベックが見たのは、まったくなんの意味もない放漫きわまる浪費と消費のなかで、肥大し続ける自己中心主義という無知蒙昧さの極致としてのアメリカだった。彼が見たアメリカは、そっくりそのまま、現在のアメリカにつながっている。市場万能主義のなかを資本主義が突進し続けていくという歴史をアメリカは歩んで来たのだから、四十数年前をさらにいっそうひどくしたのがいまのアメリカであっても、そこに不思議はなにもない。巨大な大陸の国を旅する面白さに、スタインベックのセルフ・ポートレートが重なり、さらにそこへ、惨憺たるアメリカの、当時の現状が重なるのだから、『アメリカを探して チャーリーとの旅』が、面白く読めないわけがない。南カリフォルニアの沿岸をメキシコへと船で下っていく紀行文である『コルテズの海』や、写真家のロバート・キャパと旧ソヴィエト連邦の中心へと入っていく紀行文『ラシアン・ジャーナル』など、スタインベックの紀行文はいずれも興味深いものがある。幼少年期にカリフォルニアで培った、大地という自然とそこに生きる人間との関係の理解は、ジョン・スタインベックという作家のほとんどすべてを支えていく。たいへんな成功のうちに送った長い作家生活の、最後にごく近いところで、その作家は自分のすべてを作った故国と、このようにして向き合った。

出典:『Free&Easy』2009年5月号


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2018年4月2日 00:00
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