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ジャック・リーチャーを十一冊、積み上げてみる

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 リー・チャイルドの作品を十一冊、記念写真に撮ってみた。どれもすべてジャック・リーチャーという男性を主人公にしていて、ぜんたいは発表年の順に彼の武勇伝のシリーズとなっている。いちばん左の下にあるのが一九九七年のもので、ジャック・リーチャー・シリーズはここから始まったようだ。写真のなかで十一冊は年代順に重ねてあり、いちばん右がペイパーバックとしてはもっとも新しい二〇〇七年の作品だ。二〇〇八年の作品がほどなくペイパーバックになるだろう。

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 一九九七年から二〇〇二年まで、ジャック・リーチャーのシリーズはペンギンという出版社グループの、ジョウヴというペイパーバック叢書から刊行されてきた。二〇〇三年からは他の出版社のデルという叢書に移った。可能なかぎり有利な条件のもとにペイパーバックが刊行出来るよう、リー・チャイルドのエージェントが辣腕を振るった結果だろう。バンタムという叢書からも僕の知るかぎりでは十一冊のペイパーバックが出ている。そのなかには二〇〇〇年の『来訪者』という作品が含まれていて、これは他のペイパーバック叢書では読むことが出来ない。シリーズがスタートして以来、二〇〇八年の四月で、リーチャーのシリーズは十三作を数えることになる。

 リー・チャイルドのジャック・リーチャー・シリーズを僕が読んだきっかけは、都内の洋書店の棚でこのシリーズが目立っていたからだ。一冊の厚さがほぼ三センチだから、十冊もあれば棚の一角を横幅三十センチにわたって占拠することになる。ある日のこと、その目立ちかたに僕は気づいたわけだが、そのときリー・チャイルドという作家をまったく知らなかった。こんなにたくさん刊行されているからには需要があるわけで、それだけの需要があるなら内容は面白いに違いないと、ごく当然のことを僕は思った。

 ジャック・リーチャーのシリーズは確かに面白い。文章やストーリーの展開は僕の好みだし、ストーリーの内容とその組み立ても、合理に沿ったリアリズムで押し通していくから、読んでいて気分がいい。いったいどういう話なのか、この謎はなになのか、ここから先へどんなふうに展開していくのか、といった興味に引っぱられて、前半をひと息に読んでしまう。前半を読んだなら後半の展開はさらに気になる。だから他にやらなくてはいけないすべてのことをあとまわしにして、後半を読んでしまう。ジャック・リーチャーのシリーズは読み始めたらやめられないし、癖になって次々に読みたくなる。

 主人公ジャック・リーチャーの設定のされかたは、よく考え抜かれた結果の巧みなものだと言っていい。父親はアメリカの海兵隊員で一生を終えた人で、フランス人の母親とのあいだに生まれたのがジャック・リーチャーだ。アメリカの軍人は転属が人生だと言っていいほどに転属が多い。軍人の子供であるリーチャーは、世界各地にあるアメリカ軍の基地を転々として成長した。故郷を持たず、生まれ育った家や、卒業するまで通いとおした懐かしい小学校といったものを、彼はいっさい持っていない。主人公の生い立ちはそのまま彼の性格でもあるとするなら、このような設定はたいそう面白い。

 世界じゅうにあるアメリカ軍基地のなかの学校で教育を受け、ウエスト・ポイントで仕上げをし、父親とおなじく軍人となり、ミリタリー・ポリースで捜査官として十三年を過ごしたのち、除隊した。除隊してからは住所不定で定職はなく、運転免許やクレディット・カード、ソーシャル・セキュリティなど、一般市民が持って当然のものをいっさい持たず、気の向くまま風の吹くままに安モーテルを泊まり歩き、ホーボないしはホームレスの一歩だけ手前のような日々を送ってきた、という設定になっている。

 その彼が、ふとした成りゆきで、事件に巻き込まれる。事件を構成する要素の重要な部分が、かつて敏腕で有能だったMPとしての彼の過去と、なんらかのかたちでつながっている場合が多い。リーチャーは徒手空拳の私人だから、巻き込まれた事件を追うにしても限界がある。そこを救うために、FBIや警察、あるいはかつて所属していたミリタリー・ポリース、ペンタゴンなどが、彼に協力を提供する。巻き込まれたリーチャーが事件を解決にまで追い込むための動機づけは、てめえ、やりやがったな、というようなことなので、たいへんわかりやすい。正義感とその全面的な発揮を、彼個人の情念と行動のなかに閉じ込めてあるところは、著者にとっては工夫のしどころなのではないかと僕は思う。

 十三冊のうち五冊を僕は読んだ。贋のドル札作りにはげむ悪人たち。武器の密輸出入に精を出す悪人たち。裕福な地方都市の建設工事で利権を我がものとする悪人たち。航空機を射ち落とすための携行ミサイル発射装置の恐るべき新型を外国のテロリストたちに売りさばこうと企む悪人たち。遺産相続にからむ殺人をカモフラージュするための連続殺人にいそしむひとりの悪女。五冊のなかに描かれた悪は以上のようだった。

 悪人たちは徹底して悪人であり、自分たちの目的のためにはいかなる極悪非道も辞さない人たちばかりだ。いま少し悪に奥行きがあればそれは魅力としての影にもなったりするかと思うし、もうちょっとユーモアがあってもいいのではないかとも思うが、ジャック・リーチャーが得意とする射殺、撲殺、絞殺、その他、いろんな殺しかたとその実行にとって、これだけ悪ければこんなふうに殺されるのも当然だろうと読者は納得するほどに、悪はどこまでも悪として描かれている。悪人たちの悪事が事件を作りだし、その事件がブラック・ホールのように持つ吸引力が、リーチャーを巻き込んだ物語のぜんたいとなっていく。いろんな悪人たちがさまざまな悪事を働かないことには、リーチャーがいかにリーチャーであろうとも、いっさい何事も始まらない。

 リーチャーの思考は、要するに正しい推理の力、ということにつきる。行動力はそれに沿った的確なものであり、その描写は合理の因果関係だけで成立させてあるから、読んでいくにあたっての気持ちの動きは、基本的にはじつに爽快なものだ。彼の行動力つまり体力は、武勇伝にふさわしい不死身のものだ。彼が自動車と飛行機で動きまわる距離や範囲の大きさは、そのことの端的なあらわれのひとつだ。

 悪人たちがどこまでも悪人として描かれていることと、おそらく作者の意識のなかでは対になっているのだろうと僕が思うことは、女性たちの描き分けかただ。ごく普通の女性はごく普通の人として描かれ、魅力の薄い人はそのとおりに描かれる。魅力的な女性を支える柱は、ひとつは体とその動きかた、雰囲気のあらわれかた、などにおける性的な魅力であり、もうひとつは性格だ。リーチャーが体の関係を持つにいたるほどに魅力的な女性たちは、僕が読んだ五冊のなかでは、みんなよく似ている。作品のなかに面白い部分は多種多様にあるのだが、僕にとってもっとも興味深いのは、女性の描き分けかた、なかでも魅力的な女性を描くときの、視点の取りかたとそれを言葉で紡いでいくにあたっての、選択される言葉とそのつなげかただ。魅力的な女性がリーチャーの前にあらわれたとき、瞬間的にリーチャーが彼女のどこに目をとめ、それを彼の気持ちの動きとして、三人称によるどんな言葉にしていくか、その部分だけを拾い出して観察すると、面白い遊びが出来そうだ。

出典:『Free&Easy』2008年6月号


2018年3月12日 00:00