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もっともハードなハードボイルドとは

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 ダン・J・マーロウという作家の最初の長篇『死を賭けて』と、その続編である『ワン・エンドレス・アワー』の主人公、アール・ドレイクという男性は、犯罪の世界とは関係のないまともな社会に存在するものに例えるなら、彼は優秀な海兵隊員である、と僕は書いた。このアール・ドレイクの物語を、スティーヴン・キングは「ハーデストなハードボイルドだ」と高く評価したが、その評価がドレイクの海兵隊員ぶりと直接に関係しているかどうか、僕には判断が下せない。

 アール・ドレイクのものの考えかたやそれにもとづく行動、そしてそこから展開していく物語のいっさいが、きわめて反道徳的なものだ。自分が引き起こす一連の出来事に関して、主人公のドレイクが道徳的な判断をまったく加えない様子を、キングは「ハーデストなハードボイルド」と呼んだ可能性はかなり高い。純客観、という文芸用語がある。主観的な判断を可能なかぎり排し、純粋な客観に徹して書いていく、といった意味だ。そういったことが本当に文章で出来るのかどうかはまた別な問題として、そのような立ち位置が文芸的に存在していることは確かだ。アール・ドレイクの物語は、スティーヴン・キングにとっては、純客観の物語だったのかもしれない。

 僕は現在の英語による文章をかなりたくさん読むが、ハードボイルドという言葉はめったに見かけない。関心のある言葉だから遭遇すれば覚えているはずが、見ないのだから覚えようがない。ハードボイルドという言葉を使うと、珍しい感じがしたり、さらには、かすかに違和感があったりするのではないか。ハードという形容詞は頻繁に目にする。ハードボイルドな男、というような意味でハード・マンという言いかたはごく普通にあるし、いま少し下世話な日常語では、ハード・アスと言ったりもする。余計なことはいっさい抜きにして、問題となっている事柄の核心へ、なんの遠慮も仮借もなしに、単刀直入に切り込み突き入ってくる男、それがハード・マンだ。そのような態度や方針が反道徳的であるかどうかの判断までは、この場合のハードは受け持っていない。

 このようなハードな男は、状況によっては、きわめて有能な男でもあり得る。そんな男に共通している顔つきを端的に描写する言葉として、a hard, capable face(ハードで有能そうな顔)という言いかたをマーロウは『ワン・エンドレス・アワー』のなかで使っているし、ハード・マンやハード・アスも使っている。さらにこの作品のなかには、銀行強盗をともに働く仲間のひとりについて、ハードボイルドなサンタクロース、という表現もマーロウは使った。見た目の印象、あるいはそこから推測することの出来る内面についても、ハードボイルドという言葉は成立するようだ。

 スティーヴン・キングがマーロウの最初の長編に関して言った、「ハーデストなハードボイルド」を常に念頭に置きながらその作品を読んだ僕は、「ハーデストなハードボイルド」を体現する主人公アール・ドレイクが、記憶のなかで優秀な海兵隊員と結びつくのを体験した。ハードで有能なマリーンは、少なくとも戦場では、敵を倒すことに関しては、純客観の立場だろう。そうでなければハードにも有能にもなれないのだから。そのようなグッド・マリーンにとって、戦場で戦うときの基本的な方針は、自分のバディたちのために自分が持っている能力のすべてを投入する、ということだ。この文脈でのバディとは、戦場を敵兵に向けて進む自分の前後左右の至近距離にいる戦友たちを意味する。バディの誰もが可能なかぎり機能出来るよう、自分も最大限に機能する。不運にして自分が敵弾に倒れたなら、その自分はバディたちを助けるために命を差し出した、ということになる。

 戦場で戦う兵士たちは、いったいなにのために戦いますか、という問いに対する答えとして、いまの日本で圧倒的に多いのは、国のために戦い、そしてそこに生きる愛する人たちのために戦う、というような答えだろう。「国のために死んでいく兵隊が多い国ほど、戦争に負けるんだ」という言葉を紹介しておきたい。この連載で以前に紹介した、『父親たちの星条旗』のなかに登場する、海兵隊あるいは海軍だったか、かなりの地位にいた高官がそう言っている。原文の英語ではどのような言葉になっているか、興味があるなら原典にあたってみるといい。ハードボイルドと言うならこれほどにハードボイルドな言葉もないだろう、と僕は思う。個々の兵士が持つ戦闘能力を組織ぜんたいにいきわたらせるためには、個々の兵士がそれぞれのバディのために戦うと効率はもっとも高くなる、という考えかただ。アメリカが得意とする機能主義は、その根底のところで、こうしたハードボイルドさを自明の理のように前提としている。

『死を賭けて』の物語が、銀行強盗を発端にしてそこからどのように展開していくのか、始まりの部分だけをこの連載の第十四回で書いた。その続きを手短に紹介しておこう。現金を奪った銀行から逃走するとき、アール・ドレイクは左腕に被弾する。仲間のバニーとふたりで、もう一台用意してある自動車までいき、当座に必要な現金を抜き取ったドレイクは、すべてをバニーに託して彼とそこで別れる。自分の取り分の現金を千ドルずつ、フィーニックスの局留めで郵便で送ってくれ、とドレイクはバニーに頼む。

 ひとりになったドレイクは地元の開業医院で傷の手当てを受ける。ラジオで聞いたばかりの銀行強盗のニュースをドレイクと結びつけた医師は、ドレイクが持っているはずの現金に惹かれて欲を出し、下手に動いてドレイクに射殺される。こうした展開は、スティーヴン・キングの視点からは、ハードボイルドそのものなのだろう。ドレイクはモーテルの部屋に身を潜め、腕の傷が多少とも癒えるのを待つ。バニーからは現金が届く。百ドル札で十枚、千ドルが、オイルスキン・ペーパーにくるまれて、封筒に入っている。

 現金はまったくおなじようにして、三度まで届く。四度目が届かない。そのかわりにアール・ドレイク宛てに電報が局留めで来ている。「トラブルあり、連絡を待て、電話する」という内容で、発信人の名は現金を送るときとおなじ、ディック・ピアースという名だ。バニー以外の人が打った怪しい電報だということが、ドレイクにはただちに判明する。現金や物を郵便で送るときの名はディック・ピアースだが、電報のときにはどちらもエイビーという名を使うことになっている。それに、ドレイクとおなじく犯罪世界に生きるバニーは、かつてナイフで喉を切られたことがあり、声帯をやられて声が出せない。したがって、電報にあるように、「電話する」ということはあり得ない。

 ドレイクはその電報の発信地であるフロリダ州のハドソンという田舎町へと向かう。そこまでを自動車で走る様子は驚嘆に値する。途中で自動車を奪って乗り換えたり、銀行強盗をドレイクのしわざと嗅ぎつけて奪いにあらわれる犯罪世界の男を仕留めるなど、反道徳なありかたをきわめたようなアール・ドレイクは、スティーヴン・キングが言ったとおり、もっともハードなハードボイルドなのだろう。

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出典:『Free&Easy』2007年8月号


2018年2月19日 00:00