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ひき続きダン・J・マーロウを読む

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 今回はまず写真について説明しておこう。横にならんでいる三冊のペーパーバックのうち左端にあるのは、僕にとっての最初のダン・マーロウとなった、『死を賭けて』の一九六二年に刊行された初版だ。かつて僕はこれを持っていたし、読みもした。早川書房の編集者に紹介し、それがきっかけとなって翻訳もされた。紹介したときその編集者にこの初版を僕は進呈したのだろう。

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 なかなか雰囲気のあるいい表紙だ。ハードボイルドと言うよりもノワールだが、どことは言いがたくあらゆる部分が、アメリカ的だ。アメリカン・ノワール、とでも言っておこうか。まんなかで斜めになっているのは、『死を賭けて』から七年後、一九六九年におなじくゴールド・メダル叢書から刊行された、『ワン・エンドレス・アワー』という作品だ。そしてこれが『死を賭けて』から話の続いている続編あるいはもっと正確には、後編であることを僕は偶然に知った。物語はこの後編で完結しているのだが、主人公のアール・ドレイクという男性が、第三作以下に続くシリーズ作品の主人公へと、延長されることとなった。

 その第三作目が、いちばん右にある『オペレーション・ファイアボール』だ。そしてこの三作目以降、題名には「オペレーション」という一語が冠のようにつき、シリーズ作品であることがひと目で識別出来るようになった。『死を賭けて』と『ワン・エンドレス・アワー』が、ともに頭に「オペレーション」をつけたシリーズものらしい題名に変更される、ということはなかった。都合に合わせてあっけなく変更されてしまうのがペーパーバックの世界だと僕は思う。変更されなかったのは珍しいことだと言っていい。ただし表紙は三作とも、一九七三年前後に、シリーズものとしてのテンプレート表紙に変わった。かつては持っていた『死を賭けて』を、インターネットで注文してアメリカの古書店から買った。スティーヴン・キングが自作の『コロラド・キッド』の献辞のなかで、この『死を賭けて』を「ハーデストなハードボイルド」と評したことと関係しているのだろうか、印刷と製本がカナダ製の、四十数年前のものにしては程度のきわめて良好なこのペーパーバックに、四十ドルという値段がついていた。シリーズものの第一作として再版されたとき、主人公の名前ロイ・マーティンが、アール・ドレイクへと変更された。本文にも少しだけ修正が加えられたが、内容はまったくおなじだと考えていい。

 スティーヴン・キングが言う「ハーデストなハードボイルド」とはどのようなものなのか、という興味で『死を賭けて』を読んでみた僕は、「もっともわかりやすく、しかもいちばん近い比喩で言うなら、アール・ドレイクはアメリカ海兵隊員だ」と、先月号(*14「ザ・ネーム・オヴ・ザ・ゲーム・イズ・デス」②)のこの連載の末尾に書いた。半分あたりまで読んだ頃から、ドレイクというこの男性のこういう行動力やそれを支えたり推進したりする判断力などを、自分はかなり近いところで、直接の体験ではなく観察や見聞のようなかたちで、ずっと以前に知ったはずだ、と思い始めた。読み進むにつれてその思いは次第に強くなり、二、三十ページを残すあたりで、そのような思いの発生源に記憶のなかでたどりついた。いろんなかたちと内容で、主として子供の頃、アメリカ海兵隊員に僕は見覚えがある。見覚えは僕の内部に浸透していて、小説のなかの架空の存在であるアール・ドレイクによって、それが鮮やかに蘇った。

 アメリカの海兵隊には、グッド・マリーンしかいない、と言われている。優秀な海兵隊員しかいないとは、優秀な海兵隊員でなければ海兵隊員ではない、ということだ。優秀でなければ海兵隊員にはなれない。この文脈での優秀とは、なになのか。先月号に書いた文章を引用しよう。必要と想定されたあらゆる猛訓練を徹底してほどこされた結果、「いかなる戦場の修羅場でも、的確な判断のもとに正確に動くことが本能的に可能になっている、したがって敵を倒しつつ前進していくことの出来る」のが、優秀なマリーンだ。

 戦闘兵として高い能力を身につけたひとりのマリーンは、想定され得る限度いっぱいの戦闘力、というひとつのユニットだ。このユニットが、戦場ではいくつも横にならび、縦にもならぶ。縦にならぶとは、必要なかぎりどこまでも後続がある、ということにほかならない。エクスペンダブルズ(消耗品)という考えかたはここから生まれてくる。俗世間での個人史や個性など、戦闘力のユニットにとってはなんの価値もない。だから海兵隊員にほどこされる訓練の最初のものは、俗世間ではそれなりに有効だったはずの、個人史や個性、ものの考えかた、自負、誇り、自尊心などを、出来ることなら根こそぎ削り落とすことを唯一の目的とした、徹底した作業だ。

 こうした戦闘力としてのアメリカ海兵隊員との、日本人ぜんたいがけっして忘れるべきではないすさまじい遭遇は、太平洋戦争で戦場となった島々におけるそれだ。ミッドウェー海戦以降、ガダルカナル、ソロモン、ブナ、アッツ、マキン、タラーワ、クェジェリン、ルオット、サイパン、グアム、ティニアン、沖縄、レイテ、硫黄島。装備や弾薬、食料など充分以下とはいえ、日本軍が陣地を構築して待ち構えるこれらの島のビーチヘッドに強襲上陸し、雨あられと降り注ぐ弾丸に吹き飛ばされながらもかいくぐり、地獄をはるかに凌駕する地獄を戦ってどの島をも奪ったのが、USマリーンだった。スティーヴン・キングのひと言をそのまま受けとめるなら、日本人はこれらの島々で究極のハードボイルドととっくに遭遇している。

 硫黄島に上陸したアメリカ海兵隊員たちは、究極のハードボイルドの最高度の見本として、日本人にもとらえやすいのではないか。この島はぜんたいが要塞だった。そのほとんどは地下にあり、マリーンが上陸してくる海岸は、どの要塞からも広々と丸見えで、とにかく射ちまくればマリーンたちはばたばたと倒れた。そこをくぐり抜け、五十センチ、一メートルきざみで前進し、ついには島ぜんたいを奪取した。上陸したマリーンの最小単位を十人から二十人のプラトゥーンだったとすると、上陸した初日の夜には平均してどのプラトゥーンも半減していて、なかにはひとりしか残っていない場合も珍しくはなかった。日本軍のいる太平洋の島をひとつひとつつぶしては自分たちのものとし、日本列島へと近づいていった。ロード・トゥ・トーキョーだ。硫黄島の日本軍戦闘機は健闘し、サイパンから日本へと向かう爆撃機の群れを攻撃し、アメリカ軍にとってはやっかいな存在だった。ここを奪ったアメリカ軍は飛行場を建設し、B-29を集結させて日本を爆撃した。

 アール・ドレイクはまさに海兵隊員だ。高度な戦闘力と研ぎ澄まされた判断力を持ち、俗世間を捨てて銀行強盗という修羅場に生きる。銃器を持って押し入り、邪魔する警備員を射ち倒し、警官が駆けつければ銃撃戦を展開し、逃げおおせる。俗世間での唯一の武器であるはずの、生まれたときからのアイデンティティを彼は持っていない。少なくとも名前は、ひとつに固定したままだと犯罪世界では生きていけないからだ。そして島を奪取するかわりに、彼は現金をかっさらっていく。

出典:『Free&Easy』2007年7月号


2018年2月16日 00:00