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現実に対処するクールネスの論理

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 はっか煙草、という言葉はもう死語だろうか。地方都市のクラブやバーで、年増のホステスたちがいまでも、この言葉を使っているような気がする。アメリカのメンソール煙草が日本に入って来た頃の言葉だ。そしてそれがいつ頃だったのか、正しい見当をつけることが僕には出来ない。ずいぶん以前のことだ。メンソール煙草そのものは、いまでも現役で市販されている。

 一九六十年代のなかばから後半にかけて、アメリカの家庭雑誌にごく普通にいつも掲載されていた煙草の広告から、クールという銘柄のものを三点、選んでみた。メンソール煙草の代名詞のような銘柄だ。このクールをどこからか手に入れてきて喫うのが、たいへんに先端的で格好いいアクションのひとつとされていた時代が、日本にもあった。ちょうどこの広告の時代だ。

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 メンソール煙草のクールな味と感触は、屋外の気分のいい場所を連想させたのだろうか。ここにあるこの三点の広告は、ある時期のシリーズ広告だ。ほどよい森の、ちょっと奥まった場所に、緑の木々や草に囲まれて、渓流が流れている。身も心もクールになるような状況のなかに仲良しの男女がいて、彼らはメンソール煙草のひとときを楽しんでいる。

 現実のなかにはさまざまな問題が発生する。複雑にこんがらがってもはやどうにもならないような問題が、現実のいたるところで、誰の身の上にもからみつく。ぎりぎりのところまで追い込まれたなら、泣いてもわめいてもどうなるものでもない。頼りになる唯一のものは、冷静さに徹した理知でしかない。冷静さ、自信、あわてない態度、といった意味がクールという言葉にはある。クール・ヘッドと言えば冷静な頭脳の持ち主のことだ。

 この時代のメンソール煙草が魅力としていたクールな味と感触は、やっかいな現実に対処するクールネスという冷静な理知への、大衆レヴェルでの願望を体現していたのではなかったか。一九六十年代はアメリカにとって途方もない激動と激変の時代だった。クールな頭で現実に正しく対処したいと願う大衆にできたのは、いつもの現実に埋もれながら一本の煙草に火をつけることでしかなかった。自らのこのような不甲斐なさが不愉快さの次元に達したとき、大衆は煙草に対して嫌悪の感情を持ち始め、そこからアメリカ的な禁煙のムーヴメントが立ち上がっていった。

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出典 :『Free&Easy』2001年5月号


『Free&Easy』 アメリカの色とかたち
2017年12月22日 00:00
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