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ブラックベリーとスニーカーの靴ひも

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 東京からひとりで自動車を走らせて三時間、彼女は高原のホテルに着いた。

 よく晴れた明るい秋の日の午後のなかに、静かに、ゆっくりと、夕暮れが溶けこみはじめる時間だった。荷物を持ってホテルに入り、チェック・インした。ベルボーイが荷物を持ち、エレヴェーターで三階の部屋まで案内してくれた。

 落ち着いた、きれいな山荘のような造りの部屋だった。ホテルが背にしている森と、そのむこうの山が、大きな窓からすぐ近くに見えた。彼女は、シャワーを浴びた。熱い湯に体を叩かせていると、いつもの東京での生活からすくなくともいまだけは完全に切り離されてひとりで秋の高原に来ている自分が、くっきりと実感できた。

 シャワーを終え、軽快な服に着替えた。テーブルのうえに置いた小さな紙袋を開き、可愛らしい瓶に入ったブラックベリーのプリザーヴと、つげの木から削り出したバター・ナイフを、とりだした。

 この高原へのぼってくる道路の途中に洒落たコーヒー・ショップがあり、彼女はそこでコーヒーを飲んだ。ブラックベリーのプリザーヴとバター・ナイフは、そのコーヒー・ショップの売店で買ったのだ。

 透明な瓶のなかのブラックベリーのプリザーヴは、深みのある濃い紫色で、とても美しかった。彼女は、ふたを開けた。瓶を顔に近づけてみた。愛らしい香りがした。つげの木でつくった可憐なバター・ナイフのさきに、彼女はプリザーヴをすくいとってみた。口のなかに入れた。しっとりとした甘さが、ブラックベリーの香りによく調和していた。

 黒に近い深く濃い紫色のプリザーヴを見ているうちに、なにか白い布のようなものをこのプリザーヴの色に染めてみたい、という思いが、ふと、彼女の気持ちのなかを横切った。

 白いハンカチの端をすこし染めてみようかと思った彼女は、さらにいいことを思いついた。

 小旅行用のかばんを開き、スニーカーの入った箱をとりだした。東京を出るまえに買った、新品のスニーカーだ。

 箱のなかからそのスニーカーを出し、彼女はテーブルに置いた。色を一色も使っていない、ぜんたいがまっ白なスニーカーだった。そのスニーカーの靴ひもを、二本とも、彼女は抜きとった。

 プリザーヴの入った瓶とバター・ナイフ、そして二本の白い靴ひもを持ち、彼女は化粧室へ歩いた。

 バター・ナイフでプリザーヴを何度かすくいとり、グラスのなかに入れた。水をすこし注ぎ、バター・ナイフでかきまわした。美しい紫色の液体が、グラスのなかにできた。そこへ、二本の白い靴ひもを、彼女は沈めた。

 紫色の液体をよくしみこませてから、バター・ナイフでひっぱりあげた。指さきで丸め、しぼった。

 よくしぼってから、両手でまっすぐにひきのばしてみた。靴ひもは、濃い紫色に、美しく染まっていた。タオル・ラックの端に、その靴ひもを、かけた。グラスのなかの液体をすて、プリザーヴの瓶にふたをし、バター・ナイフと自分の手を洗った。

 早目に夕食をすませ、彼女はホテルを出た。駐車場へいき、自分の自動車の幌を降ろした。彼女の自動車は、ヨーロッパ製の、二座席のオープン・カーだ。幌を降ろしおえると、持ってきたダウン・ジャケットを着た。運転席に入ってドアを閉じ、ライナーのついた皮手袋を両手にはめた。

 夕暮れからはじまって夜どおし、そして夜明けまで、彼女は高原のターンパイクを、そのオープン・カーで心ゆくまで走りまわった。澄みきった星空の下に広がる高原は、久しぶりに彼女を解放してくれた。夜明けに、彼女は、ホテルに帰ってきた。

 部屋に入って熱いシャワーを浴びた。部屋にそなえつけの電気ポットで湯をわかし、紅茶を一杯だけ、飲んだ。そして、ベッドに入った。小鳥の鳴き声を窓の外に聞きながら、彼女はすぐに眠った。

 昼すぎに目ざめ、シャワーを浴び、タオル・ラックの端にかかっている二本の靴ひもを見た。靴ひもは、すでに乾いていた。濡れていたときよりはすこし明るい、しかし充分に深みのある美しい紫色に染まっていた。

 テーブルのうえのスニーカーに、彼女はその靴ひもをとおした。ひもをブラックベリーで染めたこの白いスニーカーで、やがて来る冬の街を歩こうと、彼女は思った。

底本:片岡義男エッセイ・コレクション『「彼女」はグッド・デザイン』太田出版 1996年

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2017年9月27日 00:00
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