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家庭から遠かった男たち

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 自分の家庭以外のところで食事をすること、たとえば街の軽食堂で昼食にせよ夕食にせよ、一回の食事としてなにかを食べることは、子供の頃の僕にとっては、家庭を中心とした日常のなかに成立しているルーティーンから、明らかに逸脱した出来事だった。

 それは常ならざること、特殊なこと、めったにないこと、例外的なことだった。食事は自宅で家族とともに食べるものだった。食事の時間よりも早くに帰宅し、着替えをして顔や手を洗い、みんなそろってきちんと食卓につき、いただきます、と言ったのちに、会話をしながら食べるのが、守るべきかたちだった。

 大学生になってからも、この気持ちと態度は続いていた。大学の周辺に軒をつらねて大繁盛していた各種の食事の店に、級友たちがじつに気楽に入っては、中華そばやカレーライスなどを当然のことのように食する様子に、僕は違和感を持ち続けた。彼らに関するやや淡くなりかけた記憶をいまたどると、高度経済成長の時代からこちら側の日本に、外食産業を定着させ成長させた人たちの層の基礎を作ったのは、じつは彼らだったのだという事実にいきつく。

 久遠の理想を仰いで全国から子弟が集まっては散じていくという大学だったから、地方から出て来た青年たちはたいそう多かった。下宿、居候、さもなくばアパート生活を送る彼らにとって、三度の食事はたいへんな問題だった。下宿の賄いに完全に満足している友人もいたが、下宿の賄いはうっとおしい、かと言ってひとり暮らしの自炊も面倒だし、そもそもなにひとつ作れない、という男たちに残された唯一の選択肢は、外食だった。

 高度成長期の前半を日本で大学生として過ごした青年たちは、三度の食事のどれをも外食することに、なんら抵抗を感じない人となって社会に出た。その彼らも定年でとっくに退いたが、外食産業の礎となったことは確かだ。そして彼らの子供たちが、ただちにそのあとを継ぎ、外食産業の成長に多大の貢献をした。

 故郷の家庭から遠く離れて勉学の日々を送り、会社員となってからも少なくとも結婚するまでは、家庭とは接触のきわめて少ない人として、平均して十年は過ごした学友たちは、いま言われているような家庭の崩壊は、まださほど深刻には体験しなくてすんだ世代だ。しかし彼らは、家庭というものから、充分に遠かった。そしてそれゆえに、彼らと外食との結びつきは、きわめてたやすくしかも強固に作られた。いまになってようやく、僕はこんなふうに納得し、そのことぜんたいに感銘に近いものを感じている。

 家庭というものを組み上げているいくつもの要素が、ひとつまたひとつと緩んでは落下していき、いつのまにかぜんたいとしては崩壊の様相を色濃くしていく過程とぴったり重なった出来事のひとつとして、外食産業の定着と成長があった。後日、家庭を持ってみずからその主となるにはなった彼らだったが、会社に完全にからめ取られた労働力というありかたの当然の結果として、家庭からは遠いままに彼らは勤労の日々を送ったのではなかったか。

 江戸の町には、屋台その他、簡便な食事の店がたくさんあったという。江戸に住む人たちの食事ぜんたいのうち、およそ半分は、屋台などの手軽な食事の店が受け持ったそうだ。外で忙しく立ち働く浮動票のような人が江戸には多く、彼らは寿司をつまんだり蕎麦をすすったりして、一回の食事としていた。ひょっとして、この東京は、江戸のままなのだろうか。大学の頃の同級生その他、自由気侭に外食していた彼らは、大江戸八百八町の町人の末裔として、新たなる江戸を右往左往していたのだろうか。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年

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2017年8月29日 00:00
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