明日への希望は社会の財産
一九六二年に公開された日活映画『キューポラのある街』で、若い女優としてまず最初の頂点をきわめた頃の吉永小百合をめぐって、スクリーンに投影される彼女のイメージとして大衆がもっとも歓迎したのは、彼女の全身、その一挙手一投足、あらゆる表情そして声など、どこからでも、どんなときにも発散されてくる、賢さのイメージではなかったかと僕は思う。怜悧さ、賢明さ、明敏さなど、賢さという多面体がなんの無理もなしに彼女には常に宿っていて、彼女から他者に向けてきらきらと放射されていた。
人生という日常のなかで次々に目の前や周辺に立ちあらわれる…
底本:『ピーナツ・バターで始める朝』東京書籍 2009年
初出:『週刊昭和』朝日新聞出版 2009年3月10日
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