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やがてはカウボーイも、インディアンとおなじく保護居住地に囲われる身となるだろう、と本物の西部男が言っている。

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 モンタナ州とアイダホ州の州境を、大陸分水嶺が東へむかってのびてくる。ワイオミング州の西側の州境にぶつかり、ワイオミング州の北西部に入りこんで、南東にむかって斜めにくだっていく。くだりきると、大陸分水嶺は、コロラド州との州境のほぼまんなかあたりから、南のコロラド州に入っていく。

 この大陸分水嶺はロッキー・マウンテンズだが、ワイオミング州に入ってきたあたりの大陸分水嶺のすぐ西側には、グランド・ティートン・ナショナル・パークがある。このナショナル・パークの最南端からさらにすこしだけ南にむかってくだっていったところに、ジャクスンという町がある。ランド・マクナリーのロードマップによると、人口は二〇〇〇人ちょっとだそうだ。

 このジャクスンという町は、ワイオミング州のウィンター・スポーツ・エリアとしてかなり有名だ。町じたいは、西部の町によくある観光客むけのウェスタン・タウンだ。インディアン・ジュエリーの店やウェスタン・ショップがならび、町を出はずれるとデュード・ランチやモーテルがたくさんあり、町では、毎週、観光客のために西部劇そっくりの銃撃戦や決闘が、けっこう複雑なプロットにもとづいて、立体的に演じられて好評だ。場所としてはほんとうに西部なのだが、雰囲気はなんとなくうんざりしなくもない。

 ジャクスンの町を、ハイウェイが南北に抜けている。東西に走るUSハイウェイ26号線であると同時に、南北に走る89号線でもあるというハイウェイだ。町をすこし南にはずれると、このハイウェイから一本のステート・ハイウェイが分かれていて、西にむかってのびていく。

 北のジャクスン湖から流れてくるスネーク・リヴァーをやがてこえるが、この河をまんなかにはさんで、ジャクスン・ホールと呼ばれている小さな高原盆地がある。周囲を標高七〇〇〇フィートから八〇〇〇フィートの山で囲まれた、平均して六〇〇〇フィートほどの高さにある盆地だ。盆地の長さは五〇マイル、そして幅は、六マイルをこえるところはめったにない。

 この、ジャクスン・ホールの盆地のなかで、総面積一〇〇〇エーカーの牧場を経営している、アール・ハーデマンという、五〇歳をいくつかこえた人物がいる。現代のアメリカにまだ生きている、数すくない、本当に本物の、西部の男だ。

 アール・ハーデマンは、この一〇〇〇エーカーの牧場を、兄といっしょに、父親からゆずり受けた。父親は、新天地を求めてオランダからアメリカに移ってきた人だった。まずアイオワ州へ入り、そこで西部の広大な大自然のことを聞いた。西部にはワイドオープン・スペースというやつがいくらでもあり、自分でそれを開拓するだけの力のある人間にはそのスペースが無料で手に入る、と聞いた彼は、ワイオミング州にむかった。

 一九一一年、一九歳の彼は、一頭の馬に一台の馬車を引かせ、標高八〇〇〇フィートの山をこえ、単身、ジャクスン・ホールの盆地へやってきた。西部のワイドオープン・スペースを目ざして進む人たちにとって、「ゴー・ウェスト、ヤング・マン!」の言葉が、途方もないリアリティをまだ持っていた時代だった。彼は、ひとりで、牧場をはじめた。

 アール・ハーデマンは、父がこうしてきりひらき、つくりあげたワイオミングの牧場で生まれ、そこに育った。九〇何パーセントまで自給自足だという生活を、生まれたときからずっと送っていて、現在でもそれをつづけているのだから、現在のアメリカではもう珍しい存在になってしまった、根っからの西部男だ。

 根っからの西部男であると同時に、自分は基本的にものすごく典型的なアメリカ人でもある、とアール・ハーデマンは思っていて、そのことを自分の誇りにしてもいる。

 アールによると、アメリカという国をつくりあげるための土台になったのは、キャトルつまり肉牛であるという。西部のワイドオープン・スペースで牛を育てるために人々は西へ来たのであり、そのような人たちがフロンティアをつくったというのだ。アールの父親は、まさにそのような人間の原型だった。自分の手できりひらいたアメリカ西部のワイドオープン・スペースをなににもまして心から愛し、その愛の結晶である牧場を、息子たちに残した。

 ワイドオープン・スペースのただなかでの牧場経営という自給自足の生活は、ようするに一日また一日と、全力をあげてのサヴァイバルの連続であり、形容すればきついの一語につきる。いろいろと便利になった現在でもそうなのだから、自分の力と馬しかなかった昔は、なおさらだ。いまでも、冬には、昔とほとんど変わらない日がくりかえされる。

 アール・ハーデマンは、ワイドオープン・スペースやフロンティア・ライフに対する深い愛を、よきアメリカ人としてのひとつの典型的な生き方として、父親からひきついでいる。

 アールは、ランチャー、つまり牧場経営者だ。カウボーイとランチャーが混同される場合が多いが、カウボーイはカウハンドあるいはランチハンドなどとも呼ばれているように、牧場に雇われる雇われ人のことだ。

 春から夏のあいだずっと、牧場の牛は放牧に出される。五〇〇〇頭からのヘレフォード種の牛を相手に、多くの場合、カウボーイはたったひとり山のなかで、春さきから夏の終りまで、すごすのだ。五〇〇〇頭の牛を夏の終りに牧場へ連れ帰るまで、カウボーイは、ありとあらゆる役を自分ひとりでこなしていく。たいへんな生活だ。

 一八八〇年ごろ、西部のフロンティア・タウンの町かどに貼られていたカウボーイ募集のポスターが、いまでも残っている。そのポスターに書かれていた募集要項は、次のようだった。

「若くて、やせた青年を求む。やせていて、頑丈な青年、一八歳未満。乗馬がうまく、連日のように死に直面することをも辞さぬ青年。孤児であると、なおよい。週給二五ドル以上」

 西部開拓期のカウボーイたちがいかにたいへんな生活を送っていたか、このポスター一枚からでも想像がつく。

 フロンティア・ライフの隅から隅まで知り尽くしているアール・ハーデマンだが、映画やテレビの西部劇を、「けっこういける」と言って、好いている。だが、西部劇に描かれたフロンティア・ライフには、まちがった部分や現実にはぜったいにありえない部分がとても多い、ともアールは言う。

 たとえば、馬の走らせ方だ。西部劇のなかでは、ヒーローもバッド・ガイズも、馬を全速力で走らせることをよくやる。全速力でしかもえんえんと長距離を走っていくような描写をしばしば平気でやるが、あんな走り方をしたら馬はたちまち死んでしまう。

 シックスガン、つまり例の六連発のハンドガンも、過大に誇張されている。アール自身、長いフロンティア・ライフのなかでもシックスガンを腰にぶらさげたことはめったになかったし、西部劇のように使ったことは一度もない。シックスガンよりも、たとえばハンティングのためならライフルでなければどうにもならないし、カウボーイの持物としてシックスガンよりもはるかに現実的で象徴的なのは、アールによれば、ロープだという。

 仔牛に烙印らくいんを押すときには、投げなわでつかまえて地面に引き倒すことを、いまでもやっている。そのほか、牧場の生活のなかで、ロープを自由自在に使いこなしていく場面は非常に多い。

 実際のフロンティア・ライフは、大自然を相手の、深い思慮に満ちた、スローなペースの生活だ、とアールは語る。

 ワイオミングのジャクスン・ホール高原盆地は、夏がみじかい。西部劇の名作『シェーン』の野外ロケーション撮影がジャクスン・ホールの近くでおこなわれたのだったが、ジャクスン・ホールのワイドオープン・スペースは、だいたいあんな感じだ。

 夏がみじかいから、野菜類は自給自足の足しにするだけで、ほかにはなにも収穫できない。牛を育て、その牛のための干し草をとるだけだ。牛一頭につき、一エーカーの土地が必要だ。一頭の牛が草を食べて生きていくためには、一エーカーの広さが必要なのだ。二年間、こまかく面倒をみて手塩にかけた牛は、業者に売り渡すときには、一頭が数百ドルにしかならない。牧場経営は、けっしてもうかる仕事ではないのだ。三〇代、四〇代のころは、真冬のつらさなどもワイドオープン・スペースの楽しみのひとつだが、五〇歳をこえると、きつくこたえるようになる。終生のパートナーである奥さんだって、おなじだ。

 ハードなフロンティア・ライフをいまでもつづけているアールだが、彼はじつは、ちょっとした長者でもある。フロンティア・ライフをつづけてきた結果として長者になれたのではなく、アメリカぜんたいの急激な都市化によって、ジャクスン・ホールの土地が値上がりしたからだ。

 いま、アール・ハーデマンが持っている牧場には、一エーカー一万ドルの値段がついている。全部で一〇〇〇エーカーあるから、不動産業者に電話を一本かけて、「売るよ」とひとこと言えば、たちまち一〇〇〇万ドル長者になれてしまう。

 観光客用のフロンティア・タウンであるジャクスンの町を中心に、アウトドア・スポーツやウィンター・スポーツのリゾートが、ジャクスン・ホールには急速にできていった。モーテルやデュード・ランチ、レストランなどが大自然のなかにばらまかれ、そういった人工的で都会的な施設をとおして、人々は、ワイドオープン・スペースにほんのちょっとだけ触れる。現代という時代のしかけはそんなふうになっていて、アール・ハーデマンの牧場も、いろんな方向からじっと狙われている。

 かつてはアールとおなじく牧場をやっていた人たちの大半が牧場をすでにやめ、土地を売り渡してしまっている。

 ジャクスン・ホールがこんなふうに都会化してきたのは、一九三五年ごろからだという。都会で成功をおさめた金持たち、たとえば弁護士とか歯科医といった人たちが別荘をジャクスン・ホールにつくったり、引退後の生活のための家をつくったりした。土地そのものとはなんら関係を結ばないこうした都会人の流入は、やがてモーテルやレストランのような施設ができることをうながしていき、いつのまにかジャクスン・ホールは都会の出店のようになってしまった。

 アール・ハーデマンは、牧場を売りたくないと言う。売ってしまったが最後、一〇〇〇万ドルのおかねを運用するシステムという、フロンティア・ライフとはかけはなれたものに頼って生きなくてはならない。これが、彼にはつらい。それに、自分の息子や娘に、牧場をひきついでもらえなくもなる。

 フロンティア・ライフは、どんどんせまく追いこまれつつある。かつて白人たちがインディアンをついにせまい居住地に追いこんだように、本物のカウボーイたちも、カウボーイ保護居住地に囲われるようになるのではないか、とアールはシャープな冗談を言う。本物は、やはりよくわかっているのだ。

 デズモンド・ウイルコックスの書いた『アメリカンズ』〔ジョディ・フォスター・ミュージアム〕という本のなかで読んだ、西部の男の物語だ。

 (底本:『5Bの鉛筆で書いた』角川文庫 一九八五年)

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