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なにしろ虚構という夢の工場だから、ハリウッドの話題はつきない

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──片岡さんは、戯曲は読みますか。結びつかないような気もするのですが。

 ときどき読みたくなって、そのようなときには読みます。最近、いくつか、読みました。ぼくは舞台劇に関してほぼなんの知識もないですし、戯曲とはなにであるのかも知らないですが、読めば面白いですからね。

 ニール・サイモンの『ブライトン・ビーチ・メモワールズ』を、まず読んだのです。これの初演は一九八二年で、サイモン自身のシナリオで映画になってますけれど、映画の台本ではなく、戯曲のほうを、ぼくは読みました。

 一九三七年、第二次世界大戦が接近してきつつある、そして大不況がまだ去っていないニューヨークのブルックリンに住んでいる家族をめぐる、それぞれの人たちの気持ちのまとまりを昔話ふうに描いた二幕物でした。ユージーン・ジェロームという十五歳の少年が、登場人物であると同時に、観客にむかって説明をおこなうナレーターのような役を果たしているのが、ぼくには面白かったです。台詞とは別に、客にむかって彼はその間の事情を説明的に喋るのです。

 本の扉にニール・サイモンの献詞があって、それには次のように書いてあります。「両親、祖父母、兄弟、いとこ、伯母、叔父、そして大不況の時代のニューヨークで、苦痛、不安、怖さ、喜び、愛、そしてフェローシップを共有してきた人たちのために」。この戯曲の基本的な性格は、これで言いつくされてるような気がします。

 時間を現代にまで引きのばすと、ユージーン・ジェロームはいま六十五歳ですよ。彼より十歳ぐらい年下でも、不況とそのあとの第二次世界大戦の影響を大きく受けていますから、その両方を自分の身の上においてはっきりと体験している世代は、五十代なかばから上の人たちほぼ全員と言っていいのです。その時代のなかで、けっして豊かではなかった、したがっていろんな意味で不安な思いをいつもしていた家族が、誇りとユーモアのセンス、そして高いところに目をむけていることによって生まれてくる志のようなものを持って、時代の動きが人々にもたらす挑戦を受けとめていく様子を、家族およびその隣人に場面をしぼって描いたのが、『ブライトン・ビーチ・メモワールズ』でした。

 根をつめた仕事で急性の弱視のような近視になっている女性が、マスカラをつけるとき、眼鏡をかけないとよく見えないけれど、眼鏡をかけるとマスカラをつけるのに邪魔だ、というジョークが、ぼくにはいちばん面白いジョークでした。

 ナレーターのような説明役が舞台に出ている、という工夫は、サム・シェパードの『フール・フォ・ラヴ』にもありました。これも映画になっていますが、ぼくは映画は観ていず、戯曲だけを読んだのです。イギリスで出ている戯曲シリーズのなかの一冊です。

──サム・シェパードの感触は、いかがでしたか。

 この作品に関して言うなら、南西部の荒涼たる風景のなかにぽつんとある安いモーテル、というような情景を舞台に、その南西部を自動車で旅していて、たとえば車のラジオでかならず聴くことの出来るカントリー・アンド・ウエスタン・ソングを次々に聴いていて、そこからインスピレーションを得てやがて出来たストーリーのような、そんな感じを、ぼくは受けますね。

 舞台には、登場人物としてではなく、わきにいる説明役のようなかたちで、ひとりの老人がいるのです。そして、主役の男女のどちらもが、その老人の子供なのだ、という設定です。その老人は、かつてはふたりの女性を妻にして、二重の生活を送っていた、というのです。妻Aのあいだに生まれたのが、男性のほうで、妻Bとのあいだにもうけたのが女性のほうであり、その男女は、高等学校の生徒であった頃にはじめて逢い、その瞬間におたがいに強くひと目惚れをし、以後ずっと、ふたりは深い愛の関係のなかにある、というふうな設定でした。そして、ふたりがそれぞれに自分たちの過去を語ると、そのつど、それはちがうよ、まるで噓だ、とわきにいる老人が否定していくのです。ぼくの記憶は正確ではないかもしれませんが、そんな話でした。結局、どれが本当なのかわからずに終わるのです。

 南西部の荒涼とした風景、そのなかを抜けていく道路、その道路に面して建っている安いモーテル、そのモーテルの部屋のなか、そしてその部屋のなかにひと組の男女がいるとすると、その男女はどのような関係のなかにあるのか、というふうに考えていってやがて完全に入りこんでしまうひとつの架空の世界の物語として、かなり面白い話でした。

 このふたりの男女は愛の関係のなかにあるのですが、その愛は、どちらにとっても、自己正当化の手段なのだ、という物語なのかなあ、ともぼくは思います。愛の関係のなかにないと、ふたりはどちらも崩壊してしまいそうです。だから、自己崩壊を防ぐためには、刻一刻と、自己正当化をしていかなくてはならないのです。ふたりが語る自分たちの物語が微妙にちがうのは、それぞれに自己が異なるのですから、その自己を正当化するためのストーリーもまた、ニュアンスがちがってくるせいでしょう。ふたりがそれぞれの過去について語るたびに、それはちがうよ、と言う老人の台詞は、あなたがたは自己正当化をしているだけだ、と言っているようでもあります。いずれにしろ、誰もが深い情緒不安の淵にかろうじて立っているという、せつない物語です。

 おなじ戯曲シリーズのなかに、サム・シェパードの戯曲を七編集めたものが入っていますし、おなじ出版社からは、アメリカで絶版となっていた『モーテル・クロニクルズ』(邦訳はちくま文庫)と『ホーク・ムーン』とがいっしょになって、出ています。エルヴィス・プレスリーを主人公にしたアラン・ブリースデイルの戯曲『今夜はひとりかい』というのもシリーズのなかに入っていて、楽しむための材料にはこと欠きませんね。

『エスクワイア』の一九八七年七月号に、サム・シェパードの戯曲がひとつ、載っていました。『本当のディラン』というタイトルで、サム・シェパードとボブ・ディランとのふたりの会話だけで進行する戯曲です。「ある日の午後、カリフォルニアで実際にあったとおりの一幕もの」だそうです。知的な興味を刺激されるでしょう。ぼくも刺激されるのですが、まだ読んでいないのです。

『冬のバイク・ライダーに逢う』というタイトルの戯曲集は、面白いものでした。ヤング・プレイライツ・フェスティヴァルという催しがアメリカにあって、これは十九歳以下の人なら誰でも参加することの出来る、戯曲コンテストなのです。そのコンテストの、一九八三年と八四年との入賞者たちの戯曲を七編、一冊のなかに集めたものです。どの戯曲も、ニューヨークでプロフェッショナルなプロダクションをしてもらったのだそうです。

 表題作の『冬のバイク・ライダーに逢う』は、少年ふたりの会話だけで成立しているものでした。バイクは、オートバイではなく、自転車です。自分のひとつの台詞によって、相手からひとつの台詞を引き出し、その次に再び自分の台詞によって相手の次の台詞を引き出す、というふうにして会話が進行し、その会話のなかで相手との距離をつめていきたいという、ひとりの少年の思いが、次第に観客に伝わるというしかけです。じつに繊細な作品で、その繊細な雰囲気は、このアンソロジーのなかのすべての戯曲に共通していました。ぼくとしては、ユニークなコメディがひとつ読めればそれでいい、という思いがあって読んでみたのですけれど。

──映画のシナリオは、読みますか。

 たまに、読んでます。ウディ・アレンの『ハンナと妹たち』(邦題は『ハンナとその姉妹』)という作品を、読みました。三人の姉妹がいて、ハンナがいちばん上なら、タイトルはハンナと妹たち、でいいのですが、ハンナがいちばん上ではないと、妹たち、という言いかたはまちがいになります。たしかハンナがいちばん上だったと思うのですが。

 この映画のシナリオが本になっていて、この本は、写真に撮ってみたくなるような雰囲気でした。白地にグレイの使いかたが、じつにきれいです。

 三人の姉妹がいて、どの女性もそれぞれに魅力的であり、いちばん上の姉と結婚していた男性が、二番めの妹とやがて結婚することになる、という話です。戯曲はそれだけを読んでも、かなりのところまで楽しめるような気がするのですが、映画のシナリオは、映画とつきあわせる必要があるみたいですね。映画のほうは、ぼくはまだ観ていないのです。

──映画を読むというか、映画についての本は、読んでますか。

 映画の制作にかかわる話は、面白いですよ。最近では、『天国の門』の制作に関する話である、『ファイナル・カット』(邦訳は筑摩書房)が、楽しめました。映画の本は、たくさん出ています。読めば面白いし、得るところはかならずあります。『アメリカン・グラフィティ』の、第二稿のタイプ原稿のコピーをなにげなく見ていたら、表紙に面白いことが書いてありました。『アメリカン・グラフィティ』は、日本でも評判になりましたし、グラフィティという言葉は日本語にさえなっていますけれど、では、アメリカン・グラフィティとはなになのですか、ときかれたら、すぐには答えることの出来ない人が多いのではないでしょうか。

 なにがアメリカン・グラフィティなのですか、ときかれて、答えられますか。ほとんどの人は、答えられないだろうと思います。原稿の表紙には、「ロック・レイディオ・イズ・アメリカン・グラフィティ」と、メモみたいに書いてあるのです。この映画のなかで使用されているようなロックンロール曲をたくさん放送するラジオ番組は、言うなればアメリカン・グラフィティである、ということです。ラジオのロックンロール番組が、アメリカン・グラフィティなのです。

 ジョージ・ルーカスについての、一種の伝記のような本があって、『スカイウォーキング』というタイトルなのですが、この本のなかには、ルーカスがアメリカン・グラフィティという言葉を思いつくきっかけについて、書いてありました。ルーカスが久しぶりに実家に帰り、高校生だった頃のことを思い出していると、突然、ロック・ラジオはアメリカン・グラフィティだ、というフレーズを思いつくのです。彼の実家は、モデストにあります。

『アメリカン・グラフィティ』の制作を思いつくにいたるまでのいきさつも、この伝記には書いてあって、そもそものきっかけというものは、たいていの場合、あっけないというか、単純というべきか、面白いですね。ルーカスは『THX1138』という映画を作ったのですが、これが不評であり、したがって失敗に終わったのです。受ける印象が冷たいとか、血がかよっていない、ユーモアがない、というような批評が、その作品に対してだけではなく、ルーカス自身にもむけられているのを知って、ルーカスはこの不評をはらいのけるために、それではもっとコマーシャルな映画を作ろう、と考えるのです。

 なにがコマーシャルなのか、自分の身の上に即して考えていくと、たとえばラジオ番組のトップ40みたいなものはたいへんにコマーシャルで、これを超えるコマーシャルなものはほかにないのではないか、と思いつくにいたるのです。自分が高校生の頃によく聴いたトップ40ともなると、それはコマーシャルなものであると同時に、曲のひとつひとつが思い出の津波をひき起こしますからね。そして、実家で週末を過ごしたときに、ロック・ラジオとは要するにアメリカン・グラフィティだ、という言葉を思いついて、タイトルが出来るのです。この文脈で言うグラフィティは、昔の話、というような意味です。アメリカ昔語り、ですね。

 ひとつのシーンをたとえば二分三十秒くらいだとすると、シーンごとにちがう曲を背景に流すことが出来そうだとか、発想はすくなくともこの映画に関してはきわめて単純でありそれ故に愉快ですし、それが正解なのだとぼくは思います。ルーカスは、この映画のなかで使う曲をはじめは八十曲ほど予定していたのですけれど、使用料がかさみすぎるので、その半分ちかくに減らされました。そして、二十九日で撮りあげてしまう早撮りの安あがり映画として、制作はスタートしたのです。映画の制作は、ありとあらゆる問題をはらんでいますから、それについて書いた本は、ほとんどの場合、たいへんに面白いのです。

──有名な映画のなかに登場する、その映画によって広く人に知られることとなる人物たちの、映画のなかのストーリーが終わった、そのさらにあとの、その後の彼や彼女はいかに、という本があると聞いたのですが。

 デイヴィッド・トムスンという人の『容疑者たち』でしょう、きっと。面白いですよ。『理由なき反抗』のなかでナタリー・ウッドが演じたジュディ・ロジャースはその後どうなるのかとか、とにかく沢山の人物たちがこの本には出てきます。『カサブランカ』のリチャード・ブレイン、イルザ・ランド、そしてヴィクター・ラズロと、三人ともの、その後について著者は書いています。それぞれに面白いです。そしてこの本は、映画についての本ではなくて、小説なのです。多くの人物についてひとりずつ書いていき、それが最後にはぜんたいとしてひとつの小説になっている、というようなことなのだそうです。

 ハリウッド関係の本は非常にたくさんあり、普通の読物とは別に、妙に研究書的なものも多く、どれもたいていは面白いです。ハリウッドそのものが、この上なく不思議な世界なのですから、それについて書けば、すくなくとも材料は面白いのですから、あとは書き手の能力でしょう。

──ハリウッド・スターの伝記や自伝も多いですね。

 ほんとに多いですね。ある時期のハリウッドでスターとなった人たちは、波乱万丈の生涯を送ったり、数奇な運命をたどったりする人が多いですから、材料の面白さは最初から保証されているのです。

 もう何年もまえですけれど、モンゴメリー・クリフトの伝記を読んだのですが、「私よりもっとやっかいな人生を背負いこんでいる人がひとりいて、その人はモンゴメリー・クリフトだ」と、マリリン・モンローに言われている男性だけあって、その伝記は面白かったです。彼の伝記には二種類あって、ぼくが読んだのは、面白いほうでした。ホノルルから飛行機に乗ってすぐに読みはじめ、太平洋を横切ってくるあいだに読んでしまい、まるで絵に描いたように日本の南岸沖に停滞している梅雨前線を横断しながら、その面白さにぼくはぼうぜんとなっていました。

 ハリウッドのスターには、可哀そうな人が多いですね。『アラン・ラッドの映画』というような本も気がむくと読むのですが、アラン・ラッドも可哀そうなのです。アラン・ラッドと言っても、いまでは誰も知らないでしょうけれど、『シェーン』の主演男優だと言えば、すこしは思い出してもらえるかもしれません。

──どんなふうに、彼は、可哀そうなのですか。

 アラン・ラッドは、ハリウッドの美男俳優でした。そしてスターになったのですから、ハリウッドの美男スターとして、等身大をはるかに超えた、とてつもなく大きな存在として、美男スターが具現すべきもののほとんどすべてを、ある時期の彼は具現していたのです。美男スターなんて呑気なものなのではないだろうかと、素人は思うのですが、じつはまるでちがうのですね。

 彼は、深い内面的な葛藤を演じることの出来るような役を強く望んでいながら、その望みがほとんどかなえられなかった、という悲劇の人なのです。外面的には美男子なのですが、内面では深く悩む、という役を彼は演じたいと思っていたのです。悩む美男ですよ。あるいは、悩んでいるように見える美男スターです。

 一九五一年のウイリアム・ワイラー監督の作品に『探偵物語』というのがあって、シドニー・キングスレーの戯曲を映画化したこの作品の、主演の探偵の役がカーク・ダグラスにいってしまったことを、アラン・ラッドは大いに嘆き残念がった、というエピソードが書いてありました。

 それから、デイヴィッド・リーンが監督した一九六二年の作品『アラビアのロレンス』のロレンス役はピーター・オトゥールでしたが、このロレンス役ほど自分にぴったりの役はないのにと、ここでもアラン・ラッドは残念がって嘆いた、というのです。

 自分にはまわってこなかった役を、次々に残念がっている美男のスター男優というものは、興味深いです。

 ジェームズ・ディーンの映画のひとつとして記憶されている『ジャイアント』での、ディーンの演じたジェット・リンクの役は、じつは最初はアラン・ラッドに提示されたのだそうです。この役を受けるかどうかに関して、ラッドは妻に相談したのです。彼の妻は、反対したそうです。主役のロック・ハドスンの次の役を受けるのは、自分がもはや主演級のスターではなくなったことを自ら認める結果となるだろうから、その役は受けないほうがいい、と妻は忠告し、彼はその忠告に従ってその役を断り、ジェームズ・ディーンにまわったのです。

 ディーンのかわりにラッドがあの役を演じていたなら、『ジャイアント』はどんな映画になっただろうか、と夢想するのは、あの役は自分に欲しかったのに、とラッドが残念がる行為と、どこかで重なるような気がしませんか。

 アラン・ラッドといえば、ほぼ自動的に『シェーン』なのですけれど、ラッドのかわりにモンゴメリー・クリフトがシェーンを演じていたなら、あの映画はどんな映画になっただろうかと思ったりすると、自分が演じたいと思っている役と、自分に実際にまわってくる役との関係のなかでもてあそばれるスター男優の運命が、一瞬、見えるような気がしませんか。

『カサブランカ』という映画は、いまではハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンのふたりを抜きにしては考えられないのですが、このふたりの役をそれぞれ最初に提示されたのは、アメリカの大統領だったロナルド・レーガンと、アン・シェリダンという女優だったのです。もしあの役をこのふたりが演じていたら、と想像していくと、ハリウッド映画というものが持っている本質的な気味の悪さのようなものを、はっきりとぼくは感じるのです。

 ぼくがいちばん好きなのは、『タクシー・ドライヴァー』の話です。この映画は、ロバート・デ・ニーロの映画ですけれど、シナリオが完成して、それを最初に送付されたのはエルヴィス・プレスリーだったと、かつてぼくはどこかで読んだ記憶があります。シナリオをまず送ってみたい相手として、プロデューサーないしはシナリオ・ライターはまずエルヴィスを考えた、ということだったかも知れませんが、デ・ニーロのかわりにエルヴィス、という可能性がすくなくとも一瞬だけは存在した、という話をぼくはどこかで読んだ記憶があります。

 カーク・ダグラスの『探偵物語』やピーター・オトゥールの『アラビアのロレンス』は、それぞれ確かに存在する映画ですけれど、そのふたつの役を切実に欲しいと思ったアラン・ラッドにとって、自分が主演する『探偵物語』や『アラビアのロレンス』は、絶対にあり得ない映画なのです。スター男優の生涯の、おおまかな輪郭は、彼が主演した何本もの映画によって作られていくのですが、彼の内面は、彼にはまわってこなかったいくつもの役によって、かたちづくられていくのです。奇妙な運命です。

──アラン・ラッドといえば『シェーン』ですけれど、あの役は彼以外に考えられない、という気もしますが。

 あの映画での彼は、完璧に近いですからね。完璧すぎてほかの作品への応用がきかない、というような印象を、ぼくは持ちます。

 彼がスターとなっていくための、ひとつの大きなきっかけとなったのは、『この拳銃貸します』という作品なのです。この作品でのラッドの役は、ごく日常的な動作のひとつとして人を殺すことの出来る男、というすこし変わった役でした。この役を彼のものにした人は、さきほど『ジャイアント』の話で登場した、あの奥さんなのです。当時の彼女はタレント・エージェントとして活躍していたのです。それ以前は女優で、美人女優としてかなり知られた存在でした。ラッドはまだまったく無名の青年で、ハリウッドの撮影所で雑役やエキストラとして働いていたのです。そんなラッドと知り合い、ひと目見て彼を気にいり、スターになる可能性を持った素材としても彼に強くひかれ、『この拳銃貸します』の役を彼女は彼のために手に入れたのです。アラン・ラッドにとって演じがいのあった役は、『シェーン』と『この拳銃貸します』と、あとせいぜいひとつかふたつです。あとは、どうでもいいような役ばかりでした。

 スクリーンの上に映写される光と影でしかない、まったく架空の役によって運命が出来ていくと同時に、その架空の世界すら存在しなかった、自分には手に入らなかった役によっても、ラッドの運命は出来ていったのです。こんな奇妙な生きかたは、どう考えても感銘的です。

(底本:片岡義男エッセイ・コレクション『本を読む人』太田出版 一九九五年)

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