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ホンダの90CCでマイアミからLAまで走ったら、ガソリン代はなんと二十ドルだったというハイウエイ・ストーリー。

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 ホンダのスーパーカブC90から発展していった軽量のトレール・モデルに、CT90というバイクがあった。一九七四年ごろにはリアの左側に丸い補助タンクがつき、完全防水のエア・クリーナーとなり、エンジンを水没させても走行ができるようになっていた。四段のギアに二速のサブ・ミッションがついていたと思う。カブとおなじくフレームはステップ・スルーになっていて、リアのキャリアに荷物をつみあげたときなど、またぐのに便利だった。

 このホンダ・トレールCT90に乗って、フロリダ州のマイアミからカリフォルニア州ロサンジェルスまで走った男性の話が、アメリカのオートバイ雑誌『サイクル』に出ていた。

 マイアミから八つの州を走破してロサンジェルスに着くまで、どんな感じだったのか、その男性、V・ジェラルド・スコーダンの話を読んでみよう。

 フロリダ州にいて失業してしまったスコーダンは、おなじ失業の身ならマイアミにいるよりも南カリフォルニアにいたほうがいいだろうと思い、足がわりに使っていたCT90に乗ってカリフォルニアに移住することを思い立った。

 スコーダンが乗っていたCT90は、はじめはUCLAの学生が乗っていたものだった。中古車としてフロリダまで流れてきたのを、スコーダンが買ったのだ。

 カリフォルニアまで走るために改造したのは、まずアクセル。オートマティック・クラッチのため左手のレバーがあいているのを利用し、右のアクセルとは別にもう一系統、左のレバーもアクセルにつなげた。

 一日の平均走行距離が四百キロ。平均巡航スピードは時速五十キロだったという。ただひたすら走りつづけるとき、アクセルが右手だけだと、しんどくなってくる。軽量バイクのリアに荷物をつみこんでいると、右手をはなして荷くずれを修正したりする必要が何度もおこってくる。クルーズ・コントロールをツー・イントゥ・ワンに改造したのは賢明だった。

 燃料タンクは、アップになったハンドルのあいだに、大型の水筒のような容器を固定し、ここから気化器にホースをひっぱった。飲み水用のキャンティーンといっしょに、くくりつけたのだ。

 リアには木製のキャリイング・ケースをつけ、この上に荷物をつみあげた。ケースの中には、CBラジオのほか、こまごましたものを収納した。

 エンジンは、中古車としてスコーダンおじさんの手に渡ったときすでに、一九七六年モデルのエンジンにのせかえてあった。4サイクルだから、ガソリンとオイルを混合させる手間が省けた。軽量バイクで長距離を能力の限度いっぱいに走りつづけるときには、手間はできるだけ省いたほうがいい、とスコーダンは考えた。

 スーパーカブC90の発展型だけに、CT90は頑丈だ。操作もメインテナンスも簡単。トレール・モデルとはいっても完璧なストリート・リーガルだから、インタステートでも走れてしまう。

 四月のある日、彼はマイアミを出発した。と同時に、長距離トラックと風とが、CT90の強敵となった。まったく平坦な道路をデッド・カームのときに走れば、CT90は時速八十キロくらいでクルーズできる。しかし、ヘッド・ウィンドをくらうと、スピードは半分以下に落ちる。クロス・ウィンドにあおられると、軽量バイクではいつだって非常に危険だ。アメリカをバイクで走ったことのある人はよく知っているはずだが、普通のお天気のときでも、吹く風の量や分厚さ、それにパワーが、日本とはまるでちがっている。

 長距離の十八輪トレーラーにでくわすと、追いこされてもすれちがっても、風圧で吹きとばされたり乱気流でひきずりこまれたりする。グランプリ・レーサーのように上体を倒せるだけ倒してハンドルにしがみつきながらトラックの風をくらうたびに、神に祈ることによって自分の心は清く美しく洗われていった、とスコーダンは書いている。

 走るのは陽のあるあいだだけ、そしてできるかぎりサイド・ロードや古いハイウェイを走って、CT90はロサンジェルスまで無事だった。燃費は一ガロン当たり百三十キロ。ガソリン代はぜんぶで二十ドルだったが、モーテルの宿泊費は百五十ドルにもなった。

 エヴァグレーズの湿地帯の中をタミアミ・トレールでまっすぐに抜け、二日目にセントピーターズバーグへ。南部特有の森林地帯を走って三日目の正午まえに、タラハシーに着いた。ここから西へむかう。まだ森林地帯の中だ。町は五十キロおきに点々とする。インタステートとほぼ平行して走っている古いハイウエイだから、カーヴが多く、地形どおりにアップ・アンド・ダウンがつづく。

 四日目にアラバマ州に入ってモービルを抜け、すぐにミシシッピ州へ。山がつづく。長距離トラックのルートなので、生きた心地がしない。トラッカーたちのギアの使い方を、路肩ギリギリに90CCのバイクで走りながら、勉強する。

 山が去り、バイユーをこえ、伝統が美しく生きているナチェズの町に入る。次の日の朝にはミシシッピ河をこえ、ルイジアナ州に入った。畑が、えんえんとつづく。追い風に押されてレッド・リヴァー・ヴァレイをシュリーヴポートまであがり、暗くなるまえにテキサスに入った。

 東部テキサスは美しいところだ。土地が豊かで緑が美しく、女性と空気がきれいだと、スコーダンは言う。イースターの休日が近い。南部パンハンドルのリュボックにむけてひた走る。

 CT90のエンジンが、ときたま、咳をするようになった。ぜんたいの調子は元気なのだが、ときたま咳きこむ。スパーク・プラグや燃料の流れ、チョークの調整などを調べてみるが、どこにも異常はない。だが、咳はやまない。

 心配になったスコーダンは、とおりかかったランチェロにバイクを乗せてもらってリュボックまでヒッチハイクし、バイク専門のメカニックに診断してもらった。バッテリーのチャージ・ケーブルがはずれていて、この一日半、バイクはチャージされないバッテリーを頼りに走ってきたのだということがわかった。

 リュボックを出ると、ペースが落ちはじめた。ニューメキシコ州のクロヴィスで標識をふと見ると、標高四千フィートとあるではないか。勾配は広大な範囲におよんでいるから気がつかないのだが、いつのまにか意外に高いところまでのぼってきているのだ。

 ニューメキシコ東部は、月面にも似た荒涼たる世界だ。インタステート40は昔のルート66であり、南カリフォルニアにむかうビッグ・リグはみなここをとおる。標高八千フィート、トラックに前後左右からはさみうちにされつつ、クロス・ウィンドやヘッド・ウィンドに叩きまくられる。『禅とオートバイ』ではないが、遠い空に偉大なる真実が見えはじめる。

 アルバカーキをこえ、マイアミを出て十一日目に大陸分水嶺を西へこえた。そして、アリゾナ州。連続する巨大な岩山を次々に見ながら、ひとりオートバイで走っていると、宗教的な感動の高みへと持ちあげられたままの時間がつづく。アメリカをバイクで走るのだったら、まずまっさきに、ここだ。

 グランドキャニオンから南へ下り、カリフォルニア州に入ってすぐに、ニードルス。バーストウからさきは、春の花の香りでいっぱいだった。白く雪をかむったサンゲイブリエル・マウンテンズをこえると、パシフィック・オーシャンに抱かれるようにして、目的地のロサンジェルスが見えた。

(底本:片岡義男エッセイ・コレクション『彼の後輪が滑った』太田出版 一九九六年)

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2017年5月2日 00:00
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