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女性ボディビルダーの魅力を支える、苦しみの個人史

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 アメリカの女性ボディビルダーたちのヴィデオ・テープをぼくは見たことがある。何人かのフィーメイル・ボディビルダーたちが画面に登場し、自分とボディビルディングとの関係について、まず手みじかに語る。

 理想の状態に近づくための、途切れることのない前進ですとか、ほんとうの自分を発見するためのボディとマインドのぴったりとかさなりあったトリップですとか、あるいは、舞踊や芝居とおなじく自分の肉体を使っておこなうパフォーミング・アートですとか、それぞれに語っていく。

 語り口調はいかにもアメリカ女性であり、そのへんにいくらでもいるごく平凡な若い女性としか見えないのだが、ジムでトレーニングしている現場になると、ちょっと様子が変わってくる。自分の体を必死になってしぼりあげている彼女たちのありさまは、たいへんに魅力的だ。

 コンテストのために、自分の好きな曲に合わせてつくった振りつけを練習し、ポージングの研究に一心不乱になっているときの描写は、迫力に満ちていた。

 なるほど、これならたしかにパフォーミング・アートと呼んでいいと思えるし、ここまでトレーニングをかさねてきたえるプロセスはほんとうの自分を発見する旅でもありうるのだろうと、納得は充分にできた。

 そして、クライマックスは、コンテストのステージだ。コンテスタントのひとりひとりが、曲に合わせて振りつけた動きをやってみせ、ポージングを披露する。どの女性も、素晴らしく美しい。きたえあげた彼女たちの体はライトにきらきらと輝き、女性として到達しうる力強いたくましさの極限を見せてくれる。

 全員がステージにならんでみせるラインアップでの彼女たちは、誰もが、異星から飛来してこの地球に降り立った女神のように、崇高な美しさの頂点で、光り輝いていた。

 完璧な健康さと性的な魅力とを土台に、夢のなかでしか存在しえないような美しさを、自分自身の肉体に実現させてしまった素晴らしい女性たち、という印象が強くあり、テレビのスクリーンに映し出される彼女たちを、ぼくは相当の感銘を持ってながめた。肯定的な面だけではなく、どこかにほんのすこしだけ不健康な雰囲気が淡い影のようにいつもあるところも、ぼくは気に入った。

 このとき以来、アメリカのフィーメイル・ボディビルダーたちに興味を持ち、たとえば『マスル・アンド・フィットネス』誌に毎号登場する彼女たちの写真を、「うはー、これはすごい」という正直な気持ちでながめてきた。そして、『鉄の女たち』というタイトルの本を、ごく最近、読んだ。

 『鉄の女たち』は《フィーメイル・ボディビルダーたちの世界》と副題がついているとおり、アメリカの女性ボディビルダーたちについて書いた、写真のたくさん入った本だ。一九八一年に、アメリカで刊行された。

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Women of Iron: The World of Female Bodybuilders
Nik Cohn,Jean-Pierre Laffont(Photographer),1981
[amazon(米国)|Wideview Books]

 ボディビルディングの世界で名前を知られている女性ボディビルダーは数多くいるが、そのなかから、スティシー・べントレー、カーラ・ダンラップ、クローディア・ウィルボーンの三人を、人物論のようなかたちでとりあげ、ニク・コーンが書いている。写真の見せ方がすこし散漫かなとも思うが、面白い本だ。ニク・コーンの文章は、例によってまっすぐに核心にせまっていて、わかりやすい。表紙に登場している美しい女性は、一九八〇年のカリフォルニア女性ボディビルディング・チャンピオンシップに出場した、ペギー・ラッセルだ。

 コンテストのステージ上で、ずらっとラインアップしている女性ボディビルダーたちは、ぼくがかつて感じたように、完璧さをきわめた健康状態、そして女性としての性的な魅力のうえに、夢のようなたくましい美しさを我が身に実現させた女神のように見えるが、じつは、ほとんどの場合、彼女たちは、こういう素晴らしい状態とは対極の、惨憺たる状態にあるのだそうだ。

 いまアメリカでおこなわれている女性のボディビルディングには大別して三とおりくらいあるようだ。

 ボディビルディングが流行だからとか、強い女がはやっているからとかの理由で、ちょっと手を出してみるという程度のもの。ボディ・アンド・ソウルのシェイプ・アップのためにしっかりとこなしていくたいへんに健康的なボディ・ビルディング。そして、コンテストを唯一の目標にして過酷なトレーニングをつづけていくボディビルデイング。

前二者は問題ないのだが、コンテストのためのボディビルディングは、『鉄の女たち』のなかでステイシーやクローディアたちが語っているとおり、地獄であるようだ。

 コンテストは一位にならなくては意味がない。だから、コンテストをめざしている女性たちは、必死に自分をきたえる。厳しいトレーニングに加えて、おそろしいダイエット、たとえばサメの生の切り身に生野菜だけ、というようなダイエットが、半年、一年とつづく。ヴァイタミンその他は、瓶入りの錠剤でおぎなう。

 まずまっさきに、女性としての生理メカニズムが、壊される。生理は一年も二年もとまりっぱなしか、すさまじい大乱調。乳房は縮みあがり、精神は不安定そのもので、例によってアメリカ的に、アッパーとダウナーを共に用いるというドラグづけにおちいる。

 見た目にはたくましくて健康的で魅力にあふれているが、じつは身も心もずたずたで、自分にとっての唯一の望みは、死にたいとかいつまでも眠りたいとか、そんなことだけになってしまった状態でコンテストのステージにあがるのだそうだ。

 コンテストのための女性ボディビルディングの、たいへんにアメリカ的な部分はこんなふうに薄気味わるくて面白い。そして、クローディア・ウィルボーンやステイシー・べントレーたちのような女性ボディビルダーたちの個人史も、アメリカそのものという感じがして、さらに興味深い。

 ステイシーもクローディアも、幼年期から思春期にかけて、そして大人になってからも、それぞれに不細工だった。見てくれがこんなにひどくては、自分がほんとうに所属できる場所などこの世のなかにあるはずがないと強く思いこみ、そのことの当然の結果として、心のなかはいつも空虚ながらんどうだった。

 身心ともにほんとうに自分らしく充実した時間など一度も知らないまま、不細工で魅力のない外見と、うつろで満たされることのない内面という、アメリカ女性の非常に多くが体験する地獄をかかえこんだまま、精神的にも肉体的にも、真の充足を知らずに転々とする。

 自分がばらばらに解体していく寸前まで到達して、彼女たちは、どたん場のひらめきのように、ほんのりとひとつのことを悟る。自分の肉体が自分の思いどおりに機能してくれたなら、心のほうもそれに呼応してなんらかの方向をみつけだすのではないだろうか、という悟りだ。

 彼女たちは、肉体のトレーニングをはじめる。そしてボディビルディングを知る。女性ビルディングに関して強い偏見が根深く生きていた時代に、男たちのジムにかよい、体をつくりかえていく。トレーニング効果が目に見えてくるようになると、体は快調だし心のなかには自信のようなものができてくる。

 コンテストへの参加をすすめられて意欲をもやし、さらにトレーニングする。そして、コンテストのためのボディビルディングによって、再び、肉体の大変調と内面世界の崩壊という苦しみの個人史を背負いこむのだ。

『ブックストアで待ちあわせ』新潮文庫 1987年所収
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』太田出版 1995年

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1987年 1995年 『ブックストアで待ちあわせ』 アメリカ エッセイ・コレクション 女性 片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』
2017年2月17日 05:30
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