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岩波写真文庫が切り取ったモノクロームのアメリカ

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 昔、といってもそれほど昔ではないのだが、岩波写真文庫という文庫のシリーズがあった。発行していたのは、岩波書店だ。

 創刊されたのは一九五〇年くらいではないだろうか。およそ考えうるありとあらゆるテーマをモノクロームの写真で見せていくということを方針にした、知識と教養的な文庫だった。

 『いかるがの里』『南氷洋の捕鯨』『野の花−春−』『赤ちゃん』『スイス』『千代田城』『野球の科学』『蝶の一生』『魚の市場』といった感じの、思いつくままかたっぱしからという印象のあるテーマえらびは、タイトルを見ただけで微笑がうかんでくる。第一号のタイトルは、『木綿』だった。

 B六判サイズ、というのだろうか、縦が十八センチ、横が十三センチの大きさで、どの巻も全六十四ページ。ぜんたいのスペースの大部分は、平均して百八十カットの写真によって構成されていた。みじかい文章が、そして写真にはキャプションのような説明文が、ついていた。一冊が百円だった。

 この、岩波写真文庫の、第五巻目は、『アメリカ人』というタイトルだった。つづいて第六巻目が『アメリカ』。そして、二十九巻目になって、『アメリカの農業』というのが刊行された。

 それからかなりあと、一九五六年になって、『アメリカの地方都市』と『日系アメリカ人-ハワイの-』とが、それぞれ出た。

 『アメリカの農業』は持っていないが、ほかの四冊は古書店でずっと以前に買っていまでも手もとにある。『アメリカ人』および『アメリカ』の二冊は、写真が名取洋之助氏で、南博氏が監修している。

 アメリカという国、そしてそこに生きるアメリカ人を正しく理解しようというまじめな意図のもとにつくられた、お勉強の本だ。

 一九五〇年といえばいまからじつに三十年以上もまえだ。そしてその三十年間に、写真によってアメリカのぜんたいをなんとかつかんでみようというまじめなこころみは、ぼくの知るかぎりではほとんどおこなわれていないようだ。

 まず『アメリカ人』を、見なおしてみる。ひとりのカメラマンがいったいどのくらいの時間をこの一冊にかけたか不明だが、とにかく非常によく撮っている。

 アメリカを支えているのは、アメリカ全土に散らばっている小さな田舎町に根をおろし、そこで着実にしっかりと働いている堅実な人々である、というテーマが一冊ぜんたいをしっかりと支えている。そして、写真がそのテーマをよく図解している。

 いまカメラマンが日本からアメリカへいき、おなじテーマで写真を撮ったとすると、この本におさめてあるような、素朴な実地見聞的な気持ちに満ちた、そして記録的な価値も高い統一感のある写真は撮れないのではないだろうかという気がふとする。

 『アメリカ人』のなかにおさめてある写真をはじめから終わりまで一枚ずつ見ていくと、アメリカはひとつの巨大な田舎国家なのだと、ごく基本的なところでアメリカをいちおう正しく認識することができる。『アメリカ人』のなかにとらえられているアメリカ人たちは、ほんとうによく働く、田舎ふうの、ごく普通の人たちなのだ。

 次の『アメリカ』は、アメリカという国土と国家とを、『アメリカ人』の場合とおなじように、ごく基本的な土台の部分からとらえてみようというこころみだ。

 《風景》《先住者》《人種》そして《繁栄》の、四つのパートから一冊が成り立っている。《風景》とは、ようするにこの場合、地べただ。アメリカ国土という広い地べたのうえに、その地べたをさまざまに利用しつつ、いろんな人たちが生きているということを見せてくれている。カメラマンも監修者も『アメリカ人』とおなじだから、アプローチやぜんたいの雰囲気は、『アメリカ人』と似ている。最後のパートにあたる《繁栄》のところでは、アメリカの産業がとりあげてある。一九五〇年というと、太平洋戦争が終わってから五年後、そしてアメリカにとっての次の戦争である朝鮮戦争がはじまった年だ。

 この『アメリカ』の取材で、アメリカの地べたが持っている底力とでも言うべきものをひしひしと感じたスタッフは、すこし間をおき、写真文庫第二十九巻に、『アメリカの農業』をとりあげることになったのだろう。

 一九五六年の六月二十五日に発行されたと奥付に出ている『アメリカの地方都市』は、ここでぼくが紹介している五冊の写真文庫のなかでは、もっとも面白い。

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アメリカの地方都市岩波写真文庫
1956[ wikipedia|岩波写真文庫の項]

 全篇の写真すべてを撮影したのは、一九五五年の夏だった。日本の練習船、日本丸に同乗し、オレゴン州のポートランドにやってきたひとりの日本人カメラマンが、撮影にあたった。彼にとって、ポートランドの町は、生まれてはじめて体験するアメリカであったという。クレジットには写真・岩波映画製作所とあるだけでカメラマンの名はあがっていない。岩波映画のスタッフのひとりだったのだろう。

 ポートランドに滞在した期間は一週間に満たなかったそうだ。そんなみじかい時間のなかで、いろんな角度からこれだけ写真に撮っていくのは、たいへんな作業であったはずだ。当時のポートランドは、人口が三十七万人。大ざっぱな地図をぼんやり見ていると内陸の町のように思ってしまうが、太平洋から河で入ってくることのできる、貿易港のある町だ。

 一九五五年の日本からはじめてアメリカに来た人にとって、大きすぎて手にあまる、というほどの規模の町ではない。しかし、まったくはじめてのアメリカを、こんなふうに写真でまとめあげるのは、やはりたいへんなことだとぼくは思う。

 そのたいへんなことを、『アメリカの地方都市』のカメラマンは誠実にやってのけている。彼にとってアメリカはものすごく珍しく、目にするものひとつひとつが新鮮な深いおどろきであったにちがいない。

 珍しさにおどろきつつ、とにかく彼は、ポートランドという町での人々の生活の様子を、可能なかぎりとらえようとしている。珍しさに興奮しすぎたりせずに、記録として長い年月に耐えていけるような写真を、ちゃんと撮っている。特別に複雑な取材は、やっていない。副題に《旅行者のみた》とあるとおり、町を歩きまわって外側から撮影した写真が大部分だ。よくこれだけ撮ったものだと、ページをくりながらつくづく思う。

 はじめて見るアメリカに対する興味の密度の高さと同時に、自分がいま撮影の対象として手に入れているひとつの町の、生活の場としての様子のぜんたい像を、カメラをとおしてつかまえていく能力も非常に高いと思う。いまの日本人は、こういったぜんたい像のようなものにはすでに関心がなくなっているのではないだろうか。

 写真にとらえてあるアメリカは一九五〇年代なかばの地方都市のアメリカそのものであり、日本人ふたりによる対話のかたちでつけてある説明文もタイム・マシーンでたずねる過去の世界だ。そしてこの本のような写真の撮り方もまた、過去のものになってしまっているようにぼくは感じる。

 ハワイの『日系アメリカ人』は一九五五年夏のマウイ島で撮影したものだ。写真にとらえてあるディテールのすべてがなつかしい。ハワイの日系人の生活が持つ特殊性のようなものを、じつにこまかくバランスよく正確にひろっている。

『ブックストアで待ちあわせ』新潮文庫 1987年所収
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』太田出版 1995年

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今日の一冊|麦畑に放りだされて

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麦畑と一緒に在ると、風はひときわよく目で観察することができ、火はあまりに獰猛で俊敏に動く。そこにむきだしの、プリミティヴな人間の動きが接する。この純度の高さこそが、労働というものだ。

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1987年 1995年 『ブックストアで待ちあわせ』 アメリカ エッセイ・コレクション 写真 岩波写真文庫 片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』 読む
2017年2月1日 05:32
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