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『ハワイ・マレー沖海戦』一九四二年(昭和十七年)

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 一九四〇年の十月、日本軍はフランス領インドシナの北部へ進駐した。現在のヴェトナム、カンボディア、そしてラオスなどの一帯だ。中国を支配しようとしていた日本は、この進駐によって東南アジアから中国へ物資が入るルートを絶とう、という目的を持っていた。アメリカやイギリスは、当然、日本のこの動きを警戒した。シベリアへ出ようか、それとも東南アジアにしようかと迷っていた日本は、東南アジアへ出ていくことを決定した。

 一九四一年の七月、今度はフランス領インドシナの南部へ、日本軍は進駐した。フランス政府との協定にもとづいた進駐だったが、これは日本に対する考えかたと態度をアメリカが限度いっぱいに厳しいものへと変化させていく、直接の大きなきっかけとなった。イギリスとオランダが、そのアメリカに同調した。アメリカが日本に対して即座にとった措置のなかで最大のものは、日本への石油の輸出の全面的な禁止だった。

 石油輸出の禁止措置を解いてもらいたいなら中国から撤兵しろ、とアメリカは日本に要求した。しかし中国の支配権をめぐる中国での戦争は、日本にとってこのときすでに聖戦になっていた。突き進むほかない、という方針を日本は採択した。アメリカやイギリスは日本を包囲することを目的に手をつなぐ宿敵である、ということになった。その年の十月には近衛文麿の内閣が総辞職し、現役の軍人の東条英機が、軍人のまま首相になった。そして十一月の御前会議で、アメリカやイギリスそしてオランダに対する戦争が決定された。

 一九三九年の十月一日、日本国内では映画法という法律が施行された。私企業の企業活動である映画の製作や配給、上映などすべてを国家が統制し、国家の目的、つまり戦争遂行に役立てることを目的とした法律だ。映画をとおして国家が国民にあたえる影響の大きさを、日本政府はドイツの例から学んでいた。

 この法律によって、ごく簡単に言うと、国家のためにならない映画はいっさい作らせないという厳しい統制を中心に、映画の上映や興行のしかたから映画雑誌の刊行にいたるまで、すべてが国家の手で縛られることになった。映画の製作や配給は国家の許可制となり、俳優や技術者たちは登録制となって国家が発行する証明書が必要となった。製作に入る前に脚本を届け出て、事前に当局から検閲を受ける制度も生まれた。

 映画法によってくだらない映画は淘汰され、いい映画のみが作られるようになるという期待論があり、反対する人は少なかったという。一般の劇映画に文化映画ないしは教育映画とニュース映画の併映が強制された。すぐれた教育映画が数多く生まれ、一般庶民と呼ばれる人たちがニュース映画をとおして時局に触れる機会を増やした。しかしそのニュース映画も、製作する会社は間もなくひとつに統制され、内容も大きく制限を受けることとなった。

 一九四一年の八月になって、内閣情報局は、映画フィルムも軍需品だから民間には一フィートもまわせない、という通達をおこなった。映画フィルムはアメリカからの輸入で、量が不足していたことは確かだった。しかしこの通達の狙いは、こちらでフィルムを割り当てるから映画製作の態勢をそれに合わせろという、さらなる統制だった。当局は目的を達した。映画会社の数やひと月の製作本数、プリント本数など、全領域にわたって統制の影響はすぐにあらわれた。ずっと以前からおこなわれて来た、言論や思想、物資などの厳しい統制や管理、検閲が変わらずに続いていくなかで、さらにその上に、いま書いたような国家による管理が重なった。

『ハワイ・マレー沖海戦』は、開戦一周年記念として製作され上映された作品だ。海軍報道部が企画し、助成金を交付して東宝に製作させた、国家による国民映画だ。真珠湾奇襲攻撃のおこなわれた次の年、一九四二年の元旦の新聞には、日本海軍の攻撃を受ける真珠湾の航空写真が一面に掲載された。おなじ一月には日本軍はマニラを占領し、二月にはシンガポールのイギリス軍を降伏させた。三月には現在のミャンマー、かつてのビルマの首都を占領し、ジャワ島も手中にした。もともと手薄のところへ先制奇襲攻撃をかけるのだから、そのかぎりにおいて、「占領す」とか「陥落せり」という言いかたは成立した。そしてそのことだけが報道された。この戦争にも日本は勝てるのだという、楽観的な期待感を多くの日本国民は共有した。

『ハワイ・マレー沖海戦』は大ヒットしたそうだ。一八九四年の日清戦争以来の、日本が国外でおこなって来た戦争に勝ったこと、そして思いがけずに長期化の様相を呈し始めていた中国を支配するための戦争にも勝つのだという、戦争の正当視と楽観的な見とおしの延長線上に、さらなる拡大を正当なものとして日本の国民は願望していた。勝つのだという願望と、現実に勝っているではないかという事実確認の場として、『ハワイ・マレー沖海戦』は機能したようだ。

 海軍が命令して作らせた映画なら、海軍は全面的に協力したのかというと、協力はほとんどしていない。作品を見ればわかる。予科練習隊の校舎や校庭での撮影、飛んでいる爆撃機のわずかな実写フィルムなどのほかは、真珠湾攻撃のときの写真を一枚か二枚提供しただけだったのではないのか。製作者たちはおかげで苦労したはずだ。勝っているではないか、という事実の中核をなす真珠湾攻撃の部分を、工夫に工夫を重ねたミニアチュア・セットでの特殊撮影で、彼らは切り抜けなければならなかった。

『ハワイ・マレー沖海戦』という映画が描く世界は、あり過ぎるほど過剰にあるものと、致命的にないものとのふたつで成立している。あり過ぎるものについてまず書くなら、それは、この戦争に勝つのだ、宿敵の米英を撃つのだ、という、根拠のほとんどない願望だ。願望は当時の国民にとっては決意だったと言ってもいい。その決意を支えるものはなにだったかというと、「肝を据えて体ごと全力でぶつかっていく」(この映画に登場する上官の台詞のひとつ)という次元の、日本人みずからしばしば指摘するところの、いわゆる精神論だ。

 外国を相手の戦争という国家の行為を、引き受けて現実に遂行していくのは誰なのか。最末端までたどっていくと、当然のことながら、そこには数多くの個人しかいない。戦争を引き受ける個人のドラマが、航空兵を志願して実際にそうなり、真珠湾攻撃に参加する若い航空兵のドラマとして、『ハワイ・マレー沖海戦』のなかに作ってある。充分とはとても言えない出来ばえだが、これで精いっぱいだったのだろうと僕は思う。

 そのドラマは昭和十一年の夏から始まっている。海軍の航空兵が夏の休みで郷里の実家へ帰って来る。彼を兄さんと呼んでいる、おそらくは親類の少年が、航空兵への憧れを年上の彼に語り、自分も志願したいと言う。彼は入隊し、土浦の海軍航空隊の飛行予科練習隊に配属される。基礎訓練の日々が始まっていく。

 その訓練のなかに、いまの観客である僕を説得するだけの科学性は、まったくと言っていいほどに欠落している。そのかわりに、上官による精神訓話が豊富にある。たとえば、不屈の軍人精神とはなにかについて、訓練生と上官との質疑応答のかたちで説明がなされていく。心で思い口で唱えるだけでは駄目だ、体ごとぶつかっていけ、というのが結論となっている。言葉つまり思考の徹底した排除、それが不屈の闘志であるということだ。

 航空兵をめざす少年は二十歳の夏を迎える。休暇で郷里へ帰って来る。妹におみやげとしてキャラメルをあたえる。食べずに取っておいたものだ、と彼は言う。訓練生に配給されるのを、食べずにためておいた、という意味だ。間もなく飛行機操縦の訓練が始まる、とも彼は言う。あの子はもううちの子ではない、と母親は言う。ひとりの若い軍人が、肝を据えて体ごと全力で戦争にぶつかっていくことの、これは母親による表現のしかただ。彼女は息子を供物のように捧げてしまった。

 飛行機に乗る訓練が始まる。教官とともに練習用の複葉機に乗り、筑波山をめざせ、操縦桿の握りが固い、などというところから始まり、夜の荒れた海に浮かぶ航空母艦のデッキへのタッチ・アンド・ゴーを繰り返す、という次元にまで到達していく。なるほど、こういう訓練を重ねていくのか、と深く納得出来るような描写は、なにひとつない。航空兵をめざした青年は二等兵曹となり、あとふたつ上がると准士官だというところまで到達する。

 夜間の着艦訓練で彼の友人が命を落とす。夏休みで帰郷した彼に、先輩が訓話をほどこす。友人の死をめぐって個人的な感情に溺れるな、と先輩は言う。自分はもはや自分ではない、自分は無だ、そしてその無のすべては国のために捧げてある。腹をでんと据えろ。日本人なら誰でもそうあるべきで、それが大和魂であり国民感情だ、と先輩は諭す。

 この先輩は、親類の少年から航空兵への憧れを聞かされたとき、その意志が本物かどうか試してみたい、俺について来られるかと言って、川の縁に高くそびえる岩の上から川に飛び込む。少年はそのあとを追う。よし、本物だ、と先輩は川を泳ぎながら言う。笑うに笑えない、泣くに泣けないとは、一例としてこのようなことだろう。

 昭和十六年の晩秋となる。日本の海軍機動部隊はエトロフ島のヒトカップ湾に集結し、真珠湾への出動命令をそこで待った。当時の日本海軍が持っていた攻撃力が、轟々と音を立てて動き始める様子は、的確に描くならそれだけで圧倒的な迫力となるはずだ。しかし、そのような描写はどこにもない。どうやら本格的な作戦行動に入ったのかな、と感じる程度の描写があるだけだ。

 ハワイの近くへいくまでは、一隻の航空母艦の内部が舞台となっている。内地の新聞も見納めか、などと菅井一郎が言っている。藤田進がいる。大河内伝次郎がいる。『嫁ぐ日まで』でやもめの父親を演じた男性もいる。青年航空兵の郷里には、英百合子の母親や原節子の姉がいる。

 ヒトカップ湾に集結してそこで出動命令を待つまでの時間は、上官による訓話で埋められている。──宿敵米国に対しいまやまさに開戦のとき。ハワイに奇襲、いっきょにこれを撃滅。米海軍の死命を制す大航空作戦。皇国の興廃この一戦にあり。本作戦は前途多難。長駆敵の牙城に迫りて乾坤一擲の決戦を敢行するものにして──。そのときどき、使う人それぞれが、どんなふうにでも主観で染め上げることの可能な、しかしそれを支える実体としては据えた腹しかないという、そのような種類と性質の言葉が、上官たちの口から滔々と流れ出ては消えていく。

 航空母艦はハワイへ向かっていく。艦長らしい人が、心からの感銘をこめて、次のように言う。集結するときも出動のときも、天気は良かった。こうしてハワイへ向かう途中は天気が悪く、我々は敵に見えない。そしてハワイに着く頃には晴れるというではないか。これは神のなせる業だ、日本はありがたい。おかげでこの作戦は完璧に実行出来る、もう勝ったよ、はっきりと見きわめはついた。

 ハワイに接近して雷撃隊が飛び立つ。ハワイは雲に覆われている。母艦ではハワイのラジオ放送を傍受している。ロイアル・ハワイアン・ホテルでのダンス・パーティの中継だ。これは録音されて残されていた本物だろう。雲間から真珠湾が見える。攻撃が始まる。特撮による場面が続いていく。

 マレー沖海戦とは、十二月十日、シンガポール港を出たイギリスの戦艦、プリンス・オヴ・ウエールズとレパルスを、日本の爆撃機が発見して攻撃し、沈めたことを意味している。これも描かれる。開戦三日で敵米英の主力を撃滅し、この作戦は意義をまっとうした、ということになって『ハワイ・マレー沖海戦』は終わっている。

 致命的にないものは、あり過ぎるほど過剰にあるもの以外の、すべてだ。アメリカやイギリスとはなになのか。日本とはなにか。国際関係とは、いったいなになのか。そのなかで日本はいまどのような位置にあり、これからなにをしようとしているのか。戦争は避けられないのか。なぜ戦争をしなくてはいけないのか。相手の総合的な戦力の正確な分析は出来ているのか。自分のほうには相手を上まわる準備や資源、そして能力があるのかどうか。どんな作戦をどのように展開し、どんなふうに勝とうとしているのか。真珠湾の奇襲攻撃をどのように位置づけているのか。そこを攻撃してどのような効果があるのか。この戦争で日本はなにをしようとしているのか。どんな結果が予測されるのか。国民はどうすればいいのか。戦争は誰の責任においておこなわれるのか。思いつくままに列挙していくと、この映画が致命的に欠いているものには際限がないように思われる。

 真珠湾攻撃の実写フィルムさえないこの映画を大ヒットさせた過去の日本の観客の手のなかにあったのは、肝を据えておのれを無として体ごとぶつかれば、ほら、勝ってるじゃないか、という主観だけだった。そしてそれだけで作られた『ハワイ・マレー沖海戦』を、彼らはおそらく有頂天で見た。この『ハワイ・マレー沖海戦』という映画は、すでに書いたとおり、開戦一周年を記念するものとして上映された。一九四二年の十二月だ。その年の六月には、ミッドウエーで日本軍はアメリカ軍に負けている。太平洋の戦場における日本軍の劣勢は、このときすでにはっきりと始まっていた。八月にはアメリカ軍はガダルカナル島に上陸し、十月にはその島をめぐる攻防戦が頂点に達し、十二月に大本営はガタルカナル島からの撤退を決定した。八月には第一次ソロモン海戦もあった。

 国内がどのような状況だったか、的確に知る方法はないものだろうか。調べれば調べるほど詳しく知ることが出来るだろう。象徴的なものは歴史年表のなかの項目として拾い上げられる、と解釈して僕は年表を見る。一九四二年の一月一日には、食塩が通帳による配給制になったという。そして二月には、衣料品と味噌醬油が、切符制となった。内閣情報局は映画会社を統合して国策に沿わせたのとおなじく、新聞も統合しようと企画していた。六月には関門海峡の海底トンネルの工事が始まった。そして一九四二年の銑鉄の生産量は、戦前で最高の量に達していた。十二月には大東亜戦争美術展の第一回が開催された。

初出:『映画を書く──日本映画の謎を解く』ハローケイエンターテインメント 一九九六年
底本:『映画を書く──日本映画の原風景』文春文庫 二〇〇一年

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2016年12月27日 05:30
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