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『路上にて』を買いそこなう

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 日本語に翻訳されたときの題名を『路上にて』という、ジャック・ケルアクの『オン・ザ・ロード』を一九六二年、大学三年生のときに読んだ。そのときのペイパーバックをいまでも持っている。シグネットというペイパーバック叢書からの、一九六〇年の第八版だ。東京のどこかの古書店で買った。神保町の露店だったような気がする。値段は三十円から五十円くらいだったはずだ。

 バリー・フィリップスによる表紙絵を使った、一九五〇年代の終わりが近い頃のシグネットの雰囲気のよく出た好感の持てるペイパーバックだ。僕がいまも持っている一九六〇年第八版のペイパーバックは、ぜんたいとして状態はけっして悪くないのだが、表紙裏がかなり汚れているし、表紙の一部分で紙の表面がこすれ落ち、フィリップスの絵の細部が見えなくなっている部分が、思いのほか広くある。おなじ頃の版で表紙が同一の、いま少し状態のいいものが欲しくなった。

 シグネット版による『路上にて』の初版は一九五八年の九月だ。そこから僕が持っている一九六〇年の第八版までのあいだで、本の状態がVG(ヴェリー・グッド)と表記されているものを、インタネット上に出店しているアメリカの古書店を検索して探し、それをクリックすればそれでいい。しかしこれまでに僕は、求めている版とは違うものを、四冊も買ってしまった。

 僕が持っている第八版のペイパーバックでは、初版から第八版までの版歴が、順番に年月をあげて明記されている。以後の版でもそうなっているものと思い込んだ僕は、まず最初に第十七版を買った。『路上にて』はよく売れて頻繁に版を重ねたはずだから、第十七版くらいなら僕の第八版とまだおなじ表紙だろう、と勝手に判断して注文した。本が届いてわかったのは、この第十七版が何年のものなのか、年号の記載がないということだった。コピーライトとしては一九五五年と一九五七年のふたとおりが記してある。一九五五年はザ・ヴァイキング・プレスからハードカヴァーで刊行されたときのもの、そして一九五七年はシグネット叢書としての版権が発生した年だ。

 事情をよく知らない人がほぼ自動的にデータ打ち込みの作業をすると、ふたとおりのコピーライトの記載を頼りに、「一九五五年版」あるいは「一九五七年版」と、ともに誤った記載をしてしまうことがしばしばある。シグネット版に一九五五年版というものはないとわかっていながら、「一九五五年版、新本の棚からいま抜き出したような絶対的なヴェリー・グッド」などという記載に、そして一ドル五十セントという安値にあと押しされて、僕の指先は、きわめて安易にクリックをしてしまった。やがて僕に届いたのは、これまで一度も見たことのない表紙の、ずっと後の版の新本同然のものだったから、それはそれでいい。

 この第十七版とほぼ同時に、さらに三冊、僕は注文した。第十七版が届き、自分の失敗を反省してから注文をしなおせば、こういうことにはならなかったはずだが、十九版を一冊、注文した。本の状態は「新本のごとし」で、値段は一ドル八十セント。十七版も十九版もおなじだろう、という妙な理屈に支えられてクリックした。送られて来たのは、これも初めて見る表紙だったが、手抜きの見本のようなデザインだった。

 そしてこの本を注文して二、三日あと、ふたたびインタネットにアクセスしたところ、僕宛にその古書店から、「ブック・ソールド」(その本は売れた)というメール送信が届いていた。僕に宛てたものではなく、業者が出品していたその本のステイタスの変化を記載しただけのものだったが、それを見た僕は、そうか、僕より先に買った奴がいるのか、などと思いながら、おなじ第十九版のVGを探して注文した。何日かあと、まったくおなじものが、二冊前後して届いた。

 もう一冊は「二十五周年記念版」という記載に気持ちが動いて注文した。先の二冊と同一の表紙の上部に細い帯を入れ、そのなかに「二十五周年記念」とうたっただけのものを、僕は受け取ることとなった。版権のページを見ると、ステラ・ケルアクとジャン・ケルアクのふたりが版権を更新した年として、一九八五年という年号が記載してある。この年に出た版だとして、一九八五から二十五を引くと一九六〇だ。一九八五年が『路上にて』にとってなにの記念となる年なのか、僕は知らない。

 僕がアクセスしているインタネット書店には、シグネット版の『路上にて』は七十五冊が出品されている。僕が探している範囲のものであることが、記載されている情報によって明確にわかるのは、そのうちの五、六冊だ。たいへん少ない。『路上にて』は版が若いものほど多くの青年たちによってまわし読みされ、最後はぼろぼろになって捨てられることが多かったからだ、と僕は推測している。

底本:『ピーナツ・バターで始める朝』東京書籍 2009年

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2016年10月14日 05:30
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