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片岡義男.com 全著作電子化計画

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評論・エッセイ

味をつけた炒めごはんにしてようやく、米はつけあわせとして食卓に乗る

 食品としての米に対する、アメリカの文脈のなかでのもっとも一般的な反応を、この広告は教えてくれている。人々が一般的に広く抱いている気持ちを代弁しないことには、いまのような大衆消費社会では、広告というものは機能していけない。だから広告のなかには、ほとんどの場合、大衆の気持ちや願望そして夢などが、そのまま表現されている。

 米を炒めごはんのようにして食べるときの、味をつけるための調味料ミックスの広告だ。その広告のヘッド・コピーを見ると、米というものはアメリカでの文脈では、blandでありboringであるというこ…

底本:『シヴォレーで新聞配達──雑誌広告で読むアメリカ』研究社出版 一九九一年

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