片岡義男の私と小田急「シモキタ・マンボ」
小田急線の電車で下北沢を通過するとき、あるいは下北沢で降りたとき、毎回ほぼかならず、シモキタ・マンボという言葉が僕の頭に浮かぶ。この10年くらいずっとそうだ。
僕がまだ子供だった頃、マンボが日本で最初の大流行となった。明るい模様の布地を使って、下北沢の生地屋さんが、若い女性向けに半ば冗談で、カプリ・パンツを作って店に出した。これが大変な好評でよく売れたという。マンボを踊るときに身につけると、体の動きが強調されて見栄えがした。街着としても若い女性たちの気持ちをとらえた。そしてそのカプリ・パンツは、誰言うともなく、シモキタ…
『おだきゅう』二〇〇一年十月号
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