「ライ麦畑」を、ぼくがつかまえる ウォッチリストに追加 今すぐ読む 小説家は「書き手」であると同時に「読み手」でもある。読み手として捉えた場合は、どんな本をどんな風に楽しんでいるのだろうか。作中に具体的な作品名がほとんど出てこない片岡義男の小説だが、男女の会話の中にわずかに登場する『ライ麦畑でつかまえて』のある場面を手掛かりに、読み手としての姿を明らかにしていく。底本:『片岡義男〔本読み〕術・私生活の充実』(シリーズ「日常術」)晶文社 一九八七年 片岡義男エッセイ・コレクション『本を読む人』太田出版 一九九五年に所収 前の作品へ ぼくのストーリー術は灰皿から始まる 次の作品へ 球場の書店に寄る 4 ディマジオと1941年の夏
ウォッチリストに追加 今すぐ読む 小説家は「書き手」であると同時に「読み手」でもある。読み手として捉えた場合は、どんな本をどんな風に楽しんでいるのだろうか。作中に具体的な作品名がほとんど出てこない片岡義男の小説だが、男女の会話の中にわずかに登場する『ライ麦畑でつかまえて』のある場面を手掛かりに、読み手としての姿を明らかにしていく。底本:『片岡義男〔本読み〕術・私生活の充実』(シリーズ「日常術」)晶文社 一九八七年 片岡義男エッセイ・コレクション『本を読む人』太田出版 一九九五年に所収