はるかに遠く子供たちが遊ぶ
僕の左の拳ほどの大きさのトマトだった。赤く熟れていた。洗ってへたを取った僕は、そのトマトにかぶりついた。かぶりついた、という言いかたを、いま初めて、文章のなかで使う。音声では一度や二度は、子供の頃に言ったのではなかったか。
トマトをナイフで切ったりせず、そのままかぶりついて食べることをするのは、いったい何年ぶりのことになるか、と僕はそのトマトを食べながら考えた。子供のとき以来ではないか。海に向けて田舎道を友人たちと歩いていくと、道の両側は畑となった。トマトの畑だ。トマトの樹にはトマトがいくつも実っていた。子供の拳をはる…
初出:『サンデー毎日』二〇二〇年八月二日号(「コトバのおかしみ・コトバのかなしみ」59「はるか遠い日の懐かしい遊び」)
底本:『言葉の人生』左右社 二〇二一年
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