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評論・エッセイ

進駐軍の残飯の日々

 アメリカと日本の戦争が始まった頃、『日本との出会い』(日本語に翻訳されたときの題名は『米陸軍日本語学校』ちくま学芸文庫 二〇二〇年)の著者、ハーバート・パッシンは、シカゴ大学で人類学を教えていた、妻と生まれたばかりの子供がいる、二十代の青年だった。
 友人の助言にしたがって、陸軍と海軍の日本語学校を受験して両方に合格し、陸軍を選び、アメリカ陸軍の語学研修生となった。研修期間を二カ月残して戦争は終わったが、パッシンは日本に進駐し、GHQの民間情報局に配属された。
 シアトルから輸送船で十四日後に東京湾に入り横浜…

初出:『サンデー毎日』二〇二〇年七月二十六日号(「コトバのおかしみ・コトバのかなしみ」58「戦後の味と香りとの奇妙な邂逅」)
底本:『言葉の人生』左右社 二〇二一年

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