ミーティングでペンディングとなる
戦後の日本を作ったのは、全国に林立する数多くの会社だった。会社は人が運営する。日本は会社の国となって日本株式会社と外国から言われ、サラリーマンの国となった。ほとんどあらゆることが会社仕様となり、サラリーマン向けとなった。カタカナ語を受け入れ、自らも大量に作っては、毎日のようにそれを使ったのが、サラリーマンたちだった。
コピー、という単純なひと言から、戦後日本の会社での、カタカナ語の海は始まった。富士ゼロックスという会社が、白い紙に乾式でコピーすることのできる装置を市販したのが一九六二年だった。コピー、というカタカナのひ…
初出:『サンデー毎日』二〇一八年十二月二日号(「時代に翻弄されるコトバたち」3「事実以上のリアルさを伝えるために選ばれたコトバ」)
底本:『言葉の人生』左右社 二〇二一年
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