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評論・エッセイ

西伊豆とペン

 二十六歳の僕は、ある日の夜、おそらく年上の編集者との待ち合わせのため、新宿のゴールデン街にあった一軒のバーに入った。カウンターには作家の田中小実昌さんがひとりでいた。夜の時間は始まったばかりだった。だからそのときの田中さんにとって、そのバーは、その夜の最初の店だったはずだ。ずっと以前から途方に暮れていたような目で僕を見た田中さんは、奇声を上げて笑い、
「なんでお前がいまここへ来るんだよ」
 と言った。そして、
「ひとり?」
 と訊いた。
「ここにおすわりよ」
 …

初出:『図書』(連載「散歩して迷子になる」題名:西伊豆でペンを拾ったら)岩波書店 二〇一一年二月号
底本:『言葉を生きる』岩波書店 二〇一二年(初出を大幅に改稿・加筆)

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