好きな日本語
「ん」を自分のものにしたのは、いつ頃だったか。いまの僕が使うのとほぼおなじ「ん」を自分のものとして持つにいたったのは、たどりようのない記憶を少しだけ無理にたどると、十二、三歳の頃だったのではなかったか。「ん」とは、アイウエオ図五十連音の五位十行に入らず、ひとつだけはみ出しているあの「ん」のことだ。
僕が使うほとんどの場合、この「ん」は音声としての日本語だ。ごく普通の状況での音声を平仮名で書くと「うん」となる。しかし言いかたにはいくつかある。明るく肯定的に、力を込めてはっきりと、そして短めに「うん」と言い切る言いかたが、も…
初出:『図書』(「散歩して迷子になる」二〇〇八年四月号〜二〇一一年七月号に連載)岩波書店
底本:『言葉を生きる』岩波書店 二〇一二年(初出を大幅に改稿・加筆)