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わたしの片岡義男 No.9持田泰「ポスト高度経済成長期文学としての初期片岡義男」

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持田泰(もちだ・やすし)さんは変電社 社主。1972年生まれ。デザイン会社、グルメ系Webサービス、モバイルアプリケーションベンダーなどを経て、現在某Web本棚サービス会社に所属。2012年12月にデジタルアーカイブを中心に変な電子書籍を漁る「変電社」を企画。2015年からパブリックドメインのデジタルパブリッシング復刊活動中。『野川隆著作集1: 前期詩篇・評論・エッセイ 1922 ー 27 (變電叢書)』を電子刊行。
変電社:http://hendensha.com/
ヤンキー小説、あるいはロードサイド文学の起源

 初期片岡義男の背骨には「リアリズム」がある。「ハードボイルド」文体で描くスタイリッシュな都市風俗作家くらいの認識が一般に流布し、「内面」を切り捨てた心地よい客観描写が片岡作品の特徴としてよく挙げられるが、初期片岡義男はむしろアウトサイダーとして――「観察者」として戦後日本、後期昭和の風景、ポスト高度経済成長期の日本を活写している。この「活写」ということが同時代作家の中でもユニークなまでに際立っていて、2015年電子出版EXPOの批評家・佐々木敦との公開対談「スローなデジにしてくれ〜片岡義男 全著作電子化計画〜」で、片岡は初期創作において「日本人同士の日本語の会話が書けないんですよ、恥ずかしくて」と述べ、その状況から脱却するための手段として、「マンガを書けばいいんだって。マンガ的なストーリーを文章で書けばいいんだということが、わかったんですよ」と「マンガ」の骨格に「小説」の肉付けた経緯を明らかにしているが、これはすなわち「読む」と「観る」ことの中間領域のような片岡独特の客観描写の由来が、とっさに恥じてしまう「日本語=日本文学」の外で「マンガ」のように映像的に「見たまま」を書いた「映像の文」であったことの告白でもある。

 この技術は正岡子規『叙事文』(『日本』1900年3月)における「只ありのまゝ見たるまゝに其事物を模写する」という所謂「写生文」に通底する。その子規の「写生」とは「写生は画家の語を借りたるなり」と言うように西洋画法における「只ありのまゝ見たるまゝ」描くところの写実主義=リアリズム絵画を念頭に置いた「映像の文」である。何故子規が「映像の文」を推進したのかといえば「見る」ことを文章の倫理に据えるということは「伝統」というラベルの下で繁茂したまま萎びた「様式」の数々を一撃で駆除できるからだ。これはモダニズム・プロレタリア短歌から日本浪曼派に傾倒した歌人前川佐美雄の「写生」批判から逆にクリアに理解できる。前川は「文化の伝統を持たない田舎者が一生懸命自分を叩きあげてゐるだけの図であって、国民としての志も、また何の信仰を持たないものの糞努力に過ぎない」(『文庫』1941年8月)と喝破した。「写生文」とは「文化の伝統を持たない田舎者」が「只ありのまゝ 見たるまゝ」を書くための「糞努力」である。その「糞努力」=「リアリズム」の始祖、19世紀仏画家ギュスターヴ・クールベは、風景の中の「灰色の四角なもの」を一心に描いて、描き上げてから初めてそれが「薪」であることを知ったという。この事前に「薪」を知った上で「薪を薪であろうと描く」ことが、子規の批判した陳腐=「月並」であれば、「薪を薪と知らずに描く」からこそ「文化の伝統を持たない田舎者」の「視力」が立ち上がる。

 初期片岡義男はその「視力」を持ちえた。「田舎者」という言葉が悪いのであれば文化の伝統コードを持ち合わせていない「野生」と言い換えてよいが、片岡義男をデビューさせる名目として創刊された文芸誌が『野生時代』であったのだから、角川春樹の眼もやはり良かったのだ。事実アメリカ1920年代文体「ハードボイルド」も全く同じ工程から出た。大時代的な名探偵が颯爽と登場して弁舌爽やかに推理を披露して真犯人を言い当てるような「伝統的探偵小説」を拒否し、実際に経験してきた探偵稼業をそのままの「只ありのまゝ見たるまゝ」書く報告書スタイルで簡潔に描いたのがハードボイルドの始祖ダシール・ハメットである。それまでの「文化」も「伝統」も捨て開けた地平の先を視るのが子規の「写生文」でありハメット の「ハードボイルド」であり片岡義男の「野生」である。

 その「野生」が鮮烈に顕れたのが片岡義男の初期少年小説群だろう。その少年たちは田中角栄「列島改造」後に産まれた日本の「ロードサイド」の昭和50年代風景(それは70年代でも80年代でくくられるものでもなく)の中にいる。『スローなブギにしてくれ』角川文庫版(1979年)に収録されている『青春の荒野ってやつ』は暴走族抗争事件を鮮やかに描いた作品であるが、しかつめらしく社会問題テーマとして「暴走族」を扱うわけではない。少年達の目線で少年達の息づかいで少年たちの言葉遣いで描く。彼らは境遇でグレたりスクエアな大人たちに反抗して、夜の校舎の窓ガラス壊して回ったり盗んだバイクで走り回ったりするような「月並」の不良ではない。ノンポリ・郊外地・中産階級出生とする彼らはナナハンバイクに跨りファイヤーパターンの車に乗り込み、国道上(オンザロード)で刹那的に享楽的に速度と戯れる。

 片岡の少年たちは村上龍が描く少年たちのような「内面」から沸騰し湧き立つような暴力――1960年代カウンターカルチャーへ短絡する凶暴さを抱えてはいない。朴訥とぼんやりとしていながら風と光と匂いと音と機械の振動のサイバネティックスな体感の中で息をして、「おい、美治、踏み込め」と言われるよりも早くアクセルペダルを踏む。そしてマンガ雑誌片手にバイクごと跳ねられ不意に息の根を止める。その命の落とし方はあっけなく神話的なまでに軽い。私の少年時代の友人が引っ越した先で些細な喧嘩で取り出された相手のナイフで刺されてそのまま死んでしまったことを思い出す。国道は少年たちに約束された死地である。死地はテールランプとコカコーラとマルボロとマクドナルドのネオンサインで彩られる。読み解けないアルファベットを綴ったTシャツ姿で風を切って滑り込む少年たちの「内面」は速度から振り落とされる。昭和50年代東京40キロ圏郊外の少年たちは「16号線」上の動物であり、片岡義男はそんな「野生」を「薪を薪と知らずに描いた」。

 日本文学の領域でこの特別な時代をくっきりと感光させたものを僕は片岡義男少年小説以外寡聞にして知らない。戦後の日本の文芸史の中で様々な作家と比較しても片岡義男の変わらない新しさとその孤立は今なお際立っている。

変電社|社主 持田泰

今回の一冊 電子版『青春の荒野ってやつ』(1976年)

『青春の荒野ってやつ』表紙

自ら「青春」などと呼ぶことはない
ただ何と呼べばいいのか、わからないだけ

大人からは単なる暴走族にしか見えない集団
そのリーダーには、一定の行動基準がある
世間におもねらず、走る行為だけを楽しむ
アウトローも気取らず、ただ必死に生きる

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2018年3月13日 00:00

わたしの片岡義男

不定期更新。作家、ライター、編集者……さまざまな立場から片岡作品への思いを語っていただきました。読んだことのある作品でも違った面が見えてくるかもしれません。