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より良き日本語の人

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 日本の最たるものはなにかと訊かれたなら、それは日本語です、という答えしかない。日本を日本らしさに満ちた日本そのものに保ち続ける力で最大のものは、日本語という言葉が発揮する力だ。ここで僕が言う日本語とは、戦後五十数年間の日本国内で日本人が縦横に駆使し、そのことをとおして戦後の日本を作ってきた日本語、というほどの意味だ。

 日本国内を日本国内たらしめている最強の力、それは日本語の力だ。戦後の日本はその日本語の力で機能してきた。特化したと言うならこれを越える特化はないほどに、日本語は戦後の日本のなかで特化をとげた。敗戦から出発した戦後の日本が、ひと頃まで盛んに言われた経済大国にまで到達するという途方もないものだったことを考えると、日本国内における日本語の特化も、ちょっとやそっとではなかったはずだという仮説が立つ。

 戦後の日本をひとつにまとめあげ、ひとまず頂点へと導いていったその全過程において、日本が経済で強くなっていくのに比例して、日本国内での日本語の力は、国内という文脈をさらによりいっそう国内という文脈へと固め続ける内向きの力として、存分に発揮された。

 日本国内での政策にしろ仕事にしろ、とにかくありとあらゆる現場において、人がなにかをしようとすると、そこでは日本語が使われた。すべての情報は日本語によって行き交い、すべての論議は日本語によってなされた。戦後の日本が現在までの時間のなかでなしとげたことすべては、日本語によって考え出され、日本語で支えられて継続し、日本語によってことが運ばれた。

 戦後の日本に生きた日本人が向かった方向へと彼らを推進するために、日本語はその固有の性能をあますところなく発揮した。戦後の日本について考えるとき、このことはいくら強調しても強調のしすぎにはならない、と僕は考えている。

 ただし、このことについて書くのは、たいへんに難しい。日本語が最大限に発揮したその性能と言っても、それは数値にはならない。具体的な証拠となる事物も、直接にはなにもない。日本語が発揮した力とはこれですよと、手に取って差し出すことの出来るものはなにもない。現在の日本が持っている状況のすべては、戦後の日本人が日本語を駆使して作り出したものだ、というような言いかたを証拠とするほかない。

 広い視界で見ると、問題は見えやすく、わかりやすいかもしれない。たとえば戦後の日本と外国との関係、というような広がりのある視界だ。戦後の日本は、多くの外国との関係の密度を、高めただろうか。深い根が複雑にからみ合った結果として、もはや絶とうとしても絶つことの不可能な相互協力の関係を、たとえばアジアのさまざまな国とのあいだに、日本は作っただろうか。それらの国にとって日本は良きお手本となっているだろうか。日本は魅力に満ちた国だろうか。資本や人材がアジア各地から流入を続ける、アジアにとっての希望の星だろうか。

 戦後の日本の経済力の拡大と比例して、外との関係はこんなふうになっていて当然かとたいていの人は思うが、じつは日本には顔がないと言われているのが、もっとも正しい現実だ。日本には顔がないと、いまも外国から言われているのは、日本が作りたくわえてきた力が、いかに内向のみを指向する力であったかの、もっとも大きな証拠だということにならないか。日本の力は、外に対していかに無関心であり続け、その結果として、外に対していかに無関係のまま、ここまで来たか。

 日本から顔がなくなるもっとも端的な現場は、すでに言いつくされたとおり、国際会議という場だろう。会期中は確かに会議は開催されていて、各国から人が出席し、議題が論じられている。日本からも出席しなくてはいけない。仕事だからしょうがないと言いつつ、日本から誰かが出席する。

 なるべく当たり障りのない発言と行動に終始し、ストレスや負担を最小限に保ちつつ、やれやれ終わったとばかりに帰国する。「この問題に関しましては日本も多大な関心を持っており」などと会議の席上では言うけれど、それはそのときだけのことだ。多大な関心に釣り合った行動はいっさい期待出来ないことを、すでに世界じゅうが知っている。日本には顔がないとは、こういうことだ。

 なぜこうなったか。日本にとって世界各国は、ひとつにまとめて要するに外国でしかない。日本国内が自分たちの関心領域のすべてであるという考えにつらぬかれていると、国外はそれがどこであれ、自分にとって切実な場であるとは思えなくなる。会議に出るときだけしかたなくつきあい、終わって帰国するとすべてを忘れる。

 日本には顔がないとは、日本はなにもしない、なにも出来ない、なにをしていいのかわからない、という段階の問題ではない。外に対して自分のほうから行動を起こす必要を、なにひとつ日本は感じていない、という次元の問題だ。

 国内用語である日本語は、一歩だけ外へ出るとたちまち、このような大問題を作り出す。その国内用語としての日本語の延長として、一歩だけ外へ出たときに簡便に役に立つ英語が手に入らないものかと、戦後の日本人は夢見てきた。

 日本は外に向かってきちんと発言しない、顔がない、外に対してなにもしない、といった事態が生まれてくるのは、結局は日本人の語学力の問題だと言われ続け、いまでも多くの人がそう思っている。語学力の問題ではない。日本人のありかたの問題だ。

 いつもの日本語を必要に応じて英語へと転換し、外国を相手に手軽に手っとり早く用を足すことが出来るならそれで充分だ、それ以上のものは必要ない、と非常に多くの人が思っている。そしてそのような英語の習得をめざして、勉強を試みたりする。いつもの日本語をかろうじて薄皮一枚の英語でくるむことにしかならないのだが、非常に多くの人はそのことに気づいていない。

 世界ぜんたいを運営している言葉は、いまは英語だ。アメリカやイギリスの枠を越えて、英語は世界の共通語となった。そのことに支えられて、アメリカやイギリスの文化や国内文脈に引きずられることのない、そのようなものと基本的にはなんの関係もない、したがってその意味では純粋英語と呼んでいい種類の英語が、発達をとげた。そしてそれはすでに広く普及している。英語がどうしても必要な日本人が習熟してもっとも好ましいのは、このような英語だ。

 アメリカやイギリスの固有の文化というものに邪魔されないだけでも、このような英語は習得しやすい。勉強の相手とすべきは、英語という言葉の正用法の、厳しいルールだけとなるからだ。正用法の厳しいルールとは、英語として正しい言いかた、つまり目的や状況にふさわしいものの言いかたの、ぜんたいのことだ。

 これをきちんと自分のものにすれば、英語を喋っても書いても、誤解の余地なしで明快に、意味は相手に伝わる。これが出来るなら、相手の言っていること、書いていることなどもすべて、誤解の余地なく明確に、受けとめることがたやすく可能だ。相手がどこの誰であろうと、さながら民主主義の円環のように、そこには共通した言語環境が生まれる。背負っている過去や歴史、文化などがどれほど異なろうとも、誰もがこの共通言語環境に入ることが出来る。このようなことを可能にする能力や構造を、英語という言葉はもともと持っている。だからこそ、いまはひとまずその英語が、世界の共通言語なのだ。

 その共通言語環境のなかに参加する人たちが、それぞれに背負っている過去、歴史、文化などの異質さは、理想としては、おたがいにとって肯定的に有利に作用する。異質さは独特なアイディアの発生源なのだから。このアイディアを、しがらみを離れた論議の場で議論していくと、もっともすぐれたアイディアがやがてかたちをとり、必要に応じてそれは実行に移されていく、という状況が生まれる。

 世界共通の言語環境に日本人が入るのを妨げているもっとも大きな壁は、日本人が半分は自分をごまかすために言っている、外国語の学習への適性などではない。人は前提としてさまざまに異質であり、なおかつ、しがらみを離れて論議の場に移ればまったく対等であり、そこで論理の言葉をつくして議論していくと、誰にとっても共通して作用する新しい価値を作り出すことが出来るというプロセスのぜんたい、そして各部いたるところが、日本人には承服出来ない。

 昔は確かにそのようだったけれどいまはもう違うよと、非常に多くの人が言う時代が来るかどうかの責任は、英語という言葉のほうにはない。日本語の呪縛から抜け出す能力を培うかどうかに、すべてはかかっている。

 生まれ落ちて以来なじみ親しみ、日常言語としてのすさまじいまでの精緻さの隅々まで、反射的に正しく駆使することの出来る、多くの場合ひとつだけである自国語とは、それを自国語としている自分そのものであり、自分のありかたのすべてだ。自国語とは、良くも悪くも自分の国であり、そのなかに生きる自分なのだ。

 思考や行動の根幹から、微細さをきわめた片隅にいたるまで、自国語によって誰もがいかに強く縛られているかについて考えると、考えたぶんだけ外国語は近くなる。戦後の日本人が駆使した日本語が、もっとも強く作用したのは、どのような方向に向けてだったか。

 これがわかれば、戦後の日本の本質がはっきりする。そしてその本質を作った日本語が、言葉というものが発揮すべきまっとうな機能から、どれだけかけ離れて機能してきたかもすべて明白となる。この離れ具合やその度合いが現在の日本であり、いまの日本の人たちの日本語であり、外国語からの遠さなどでもある。

 人と人とを結びつけ、そこになんらかの関係を作り出す。言葉というものが発揮する機能の基本はこれだ。関係の基本的な機能は、おたがいにどこまで世界をおなじくしているのか、違っているのはどこなのかなどについて、はっきりさせ続けることだ。なにがどこまでおなじなのか、なにがどの方向へどのように違うのか、不断に相互確認するために使わざるを得ないもの、それが言葉だ。

 世界を同じくする部分は、共通する価値だ。その価値をもっと広げ、共有部分を大きくするためには、論理のための言葉の絶えざる交換と積み重ねが必要だ。戦後五十数年間の日本で、日本人によって駆使された日本語から、これが悲劇的なほどに大きく欠落していたのではないか、と気づいている人の数は少なくない。なぜそれが大きく欠落したのか、その理由や原因は、戦後の日本を正しく観察するなら、ただちに手に入る。

 すでに何度も繰り返し書いたとおり、戦後の日本は絶対会社主義による会社立国だった。会社が日本をここまでに作って支え、日本は会社主義そのもののような国になった。ひとつの会社に所属している人たちにとって、その会社とは、もっとも端的な日本語で言うなら、「こっち」だ。そして「こっち」以外のすべては、それが会社であろうがなかろうが、すべて「あっち」だ。「あっち」と「こっち」とは、どこまでいっても、相手を排除し続ける。それが会社という組織の基本であり、会社立国であった戦後の日本の、基本原理だ。

 自分の都合である「こっち」は、それを邪魔するすべての「あっち」を排除しようとし、どの「あっち」もすべての「こっち」を排除しようとする。相互に反復され増幅されていくこのような排除作用が、無数に重なり合って動く会社の国が、戦後の日本だ。

 どの相手とも排除し合うというシステムを、戦後の日本はひとまず最高の価値とした。どの会社も、自分のところの営業品目以外、なんの興味も関心もない。「こっち」の営業品目にないものは、どこかの「あっち」が勝手にやればそれでいいことであり、しかも「こっち」は「あっち」を排除し続けるのだから、どの会社においても会社がすべてであり、会社の外に世界はないという、極限的と言っていいほどに内向したエネルギーによって、どの会社もそれぞれ強力に統制されている。

 会社の営業品目にないものは、それがなにであれ、会社にとってはすべて関心の外だ。それらはこの世に存在しないも同然であり、そのようなものとしてそれらは邪魔にならない片隅へと押しやられ、そこに捨てられ忘れられる。

 戦後の日本の人たちは、会社立国の日々を生きてきた。自分の利益に結びつかないものとはいっさい無関係であるとする、おたがいに可能なかぎり排除し合う論理は、戦後における日本語の使われかたをそれにしたがわせたという意味で、最大の影響をあたえた。会社にとって必要ないもの、無関係なもの、邪魔なものは、すべて片隅へと押しやってそこに打ち捨てて忘れるという原理は、五十数年という時間のなかで人々の日常にまで浸透した。

 自分にとって具体的な利益や得に結びつかないもの、面倒くさいもの、考えるのも見るのも嫌なもの、自分の世界を囲む枠の外にあるもの、自分の知識や理解力を越えているもの、自分とは無関係だと思えるものなどを、すべて片隅に向けて押しのけ、そこに閉じ込めるかのように捨ててしまうという方向に作用する言語活動が、もっとも広くいきわたった。したがってこれが普通だと誰もが思っているような、日常の言語活動となった。このような言語活動が必然の結果として生み出した状態が、いまの日本社会の質や程度なのだと思わなくてはいけない。

 会社の原理を追っていくと、ある程度まで追ったところで、結論は誰にでも見えてくる。会社のなによりの関心事は効率の高さだ。効率を高めてそれを維持するにあたって、なんらかのかたちや意味で邪魔なものすべてを、完璧と言っていいほどの厳しさで会社は排除する。この原理は、目に見えやすい部分から見えにくいところまで、社会の質ぜんたいに対して、決定的に作用した。

 見えにくい部分への影響の典型的なもののひとつは、歴史つまり文化の蓄積のなかに深く根を持った、したがって多くの人々に変動することなく共有される確固たる価値といったものが、面倒で邪魔くさく、役にも立たなければ利益にもつながらないものとして、片隅へ押しやられたことだ。そしてこのことは、人と人との健全な関係のありかたを粉砕する方向へと、作用力を広げた。

 絶対会社主義のために徹底して使われた日本語が、人々の日常にまで浸透することをとおして、いまの日本のすべてが出来た。いまの日本のなかで、いまの自分たちの日本語によって、なにがどの程度までおたがいに伝わっているのか、自分たちの言語能力を反省する手がかりとしてもっとも有効なのは、会社の原理をめぐる多くの反省だろう。

 どの会社も営業品目だけを世界のすべてとしている。だからそこは、最初からきわめて限定された、狭い世界だ。狭いがゆえに、そしてその狭さが社内という世界のすべてであるがゆえに、共通の言語はどの会社でも成立している。その共通言語は、社内の部署ごとに細分化され特化された結果、言語を越えて暗黙の了解の次元に達している。

 社内という世界で営まれるこのような言語生活を、いっきに日本という国まで最大限に拡大してあてはめてみると、それはそのまま日本の人たちの言語生活なのだ。いまの日本人の日本語がかかえる最大の問題点はこのあたりにある。

 会社内の各部署には、暗黙の了解にまで達した観のある、内部化されきった、そしてその意味ではたいそう特殊な言葉がある。そのような言葉の総体が、社内の言葉だ。これと原理的にはほとんど同一の、そこだけの言葉、その内部だけの言葉が、日本をぎっちりと埋めている。ごく限定された狭い領域の言葉が、いまの日本には無数にある。

 このような状態の日本にとって、もっとも苦手なもののひとつは、日本のありかたを世界というぜんたいのなかで、きちんと説明するための言葉を持つ、ということだ。世界という複雑きわまりない、しかも常に揺れ動いているものを、可能なかぎりの多視点により、細部からぜんたいにいたるまで、正確な三次元として正しく俯瞰し、そのなかに日本がどうあろうとしているのか説明する言葉を、日本は持っていない。そのような言葉の必要性すら、まだ本気では感じていない。社内原理や部署原理の、日本における到達点だ。

 社内という特殊な世界の原理は、そのまま国内のすべての部分にいきわたり、日本国内という限定されきった世界を作っている。日本国内のあちこちいたるところという、無数の場に張りついた日本語から脱出するためには、しがらみを離れて対象を抽象化し、純粋に論じ思考するための、より良き日本語という外国語を自分のものにする必要がある。それが自分のものになったとき、外国語を学ぶにあたっていまの日本人の多くが遭遇する、自らの内部にかかえた数多くの障壁のほとんどが、消えているはずだ。

(『日本語で生きるとは』1999年所収)


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2016年5月30日 05:30
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