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発情期少年の興味にこたえて、アメリカのSFがはじまった

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 アメリカでは、一九三〇年代からずっと、SFが娯楽のジャンルとしてつづいてきている。いま急にブームになったものではないのだ。

 アメリカのSFは、どんなところにそのルーツを持っているのだろうか。エドガー・アラン・ポー、ジュール・ヴェルヌ、H・G・ウェルズたちの影響のもとにスタートしたのはたしかなのだが、アメリカという文化のなかで、どんな事情をかかえてスタートしたエンタテインメントなのか、そのへんを勉強してみたい。

『グレート・ボールズ・オブ・ファイアーSFイラストレーションにおけるセックスの歴史』という面白い本がある。ハリー・ハリスンが文章を書き、昔から現代にいたるまでのセックスのからんだSFイラストレーションが、カラーとモノクロで、多数収録されている。この本のなかでハリスンが書いているアメリカSFのルーツは、次のようだ。

 アメリカの日曜日の新聞には、マンガのページがある。いろんなタイプのコマ・マンガが何本も、主としてカラー印刷でひとつのページに集められ、連載されている。アメリカのSFがスタートした一九二〇年代の終わりごろから一九三〇年代のはじめにかけては、この日曜日のマンガのページが、大不況の時代を生きる人たちにとっての重要な娯楽のひとつだった。

 この連載マンガは、シンジケートと呼ばれるエージェントが全米各地の新聞と契約して、配給していた。人気のあるマンガは、アメリカじゅういたるところの新聞に連載され、いろんな人の目に触れていた。

 いまも昔も、自分の読んでいる新聞になにか気に入らないところがあると、アメリカの読者たちは、すぐに編集部あてに抗議の手紙を書く。この投書が市民運動として盛りあがり、とてもいい結果を生んだりすることもあるのだが、たいていの場合は、あの記事はけしからん、この書き方は気にくわない、といった一方的な批判や非難の手紙であることが多い。そして、編集部にとっては、読者からの生の反響であるこのような手紙は、紙面づくりに関して自主規制のルール・ブックのような役を果たしてしまうことがしばしばだった。

 マンガのページにおいても、そうだった。たとえば、普通に家庭を持っている男性が妻以外の女性にキッスするシーンがマンガのなかにあったとして、彼がその女性の体に両腕をしっかりとまわし、深々と抱いていたりすると、これに関して抗議の手紙が殺到する。妻以外の女性をあんなふうに抱くのはけしからん、というのだ。一通や二通なら無視できるけれど、定期購読層の土台を構成しているような人たちからどっと投書がくると、新聞社もシンジケートのエディターも、どうしたって臆病になっていく。若いきれいな女性がピクニックしているところに太いヘビが出てくると、あのヘビは男性の邪悪なシンボルに見えました、あんなけがらわしいものをマンガに登場させるのは、これから厳重につつしんでください、という投書が、ちょっと信じがたいことだが、たくさんくる。性的なことがらを無茶くちゃに抑圧してしまう力は、昔のアメリカではとても強かった。いまでもその傾向は大いに残っている。

 こんなわけだから、新聞に連載されるマンガは、性的なこと、そしてそのほか数多くのタブーに、こまかく気を配った。

 若い女性の脚や、かたちよく張り出した胸をすこし丁寧に描くとたちまち読者から批判された一九三〇年代のはじめに、女性の脚や胸をマンガのコマのなかで効果的にたくみに描いて批判されなかったのは、アレックス・レイモンドの『フラッシュ・ゴードン』という、SFマンガだけだった。

 アレックス・レイモンドの絵のうまさやストーリーはこびの巧みさによって、若い女性の姿態が必然性を持たされていたのはたしかだが、日常とはかけはなれたどこか遠い秘境や宇宙空間でくりひろげられるSFでは、若い女性の肉体の存在が、ほかのエンタテインメントのジャンルにくらべると、比較的ゆるやかに許されていた。

 映画『スター・ウォーズ』を監督したジョージ・ルーカスは、『スター・ウォーズ』というSFエンタテインメントをつくるにあたって、彼のルーツとして大きく意識したもののひとつに、『フラッシュ・ゴードン』をあげている。ルーカスも、子供のころ、新聞のつづきマンガで、『フラッシュ・ゴードン』を夢中になって読んだのだ。フラッシュ・ゴードンの宇宙での冒険は少年の彼を夢中にさせただろうけれど、そこに登場する若い女性の脚や胸にも、ひそかに夢中にさせられたはずだ。

 SFは、はじめのころは、サイエンティフィクションと呼ばれていた。そして、まず最初は、少年むけに書かれ、つくられていた。おさない少年のための、荒唐無稽な冒険物語だ。

 少年は、しかし、日一日と成長している。成長すればそれにつれて、発情してくる。発情してくれば、女性やセックスに対して、興味を持ってくる。この、発情期がようやくはじまった少年たちの、エロチックなファンタジーや性的な興味に最初にこたえたのがアメリカではSFだった、とハリー・ハリスンは書いている。

いまから見ればじつにおとなしい、ほほえましいものなのだが、たしかにセックスの香りはある。性的なことに対する抑圧の強い社会の小さな片隅から、じわっと出てきたものにふさわしく、昔のSF雑誌の表紙絵を見ていると、抑圧とフェティシズムの見本帳のようで、薄気味わるい気もする。現在のまともなSFとは、区別して考えなければいけないだろう。

 絵と活字による通俗エンタテインメントの世界は、昔は非常にこまかくジャンル分けされていた。正義の白人が極悪非道な東洋人と戦って常に勝つということだけを専門のテーマにした、通俗読み物の定期刊行物があったりした。

 日常の世界とはまるでちがったところで展開される冒険物語であったSFは、魅力的な肉体を持った若い女性を、主として物語そのものとは無関係に、もっとも登場させやすいジャンルだった。

 彼女たちは、どこよりもまず、表紙絵に登場した。なかにおさめてある物語とは関係なく、しばしば半裸体の若い女性が、異星の奇怪な生き物やロボットにとらえられてもだえている絵を表紙にしたSF雑誌が数多く登場し、どれもよく売れた。ドナルド・ウォルハイムが編集長だったSF雑誌『エイヴォン・ファンタジー・リーダー』の例を、ハリスンはあげている。この雑誌は最初のころはお化けとお化けが格闘している絵を表紙にしていてまったく売れず、やがてお化けと若い女性との格闘の絵に変えたら、とたんに売れはじめた。SFイラストレーションにおけるセックスの歴史が、ここからはじまった。コミック・ブックのSFスーパーヒーロー物語シリーズに登場する、グラマーで美人のスーパーヒロインたちも、発情期少年たちのおなじような欲求の反映のもとに登場したのではないだろうか。

 セックスのからんだSFイラストレーションは、ヨーロッパからの影響とアンダグラウンド・コミックスの影響のもとに、新しい世界を開きつつあるが、いまのアメリカン・コミックスはつまらなさのデッド・エンドにつきあたっている、とハリスンは正しいことを書いている。

『アール・グレイから始まる日』新潮社 1983年所収
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』太田出版 1995年

今日のリンク:|フラッシュ・ゴードン.com|アレックス・レイモンド

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〔新聞連載の「フラッシュ・ゴードン」。本サイト編集部による参考図版として掲載〕


1983年 『グレート・ボールズ・オブ・ファイアーSFイラストレーションにおけるセックスの歴史』 『フラッシュ・ゴードン』 『ブックストアで待ちあわせ』 アメリカ エッセイ・コレクション 片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』
2015年12月18日 05:30
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