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梅雨の日に傘をさして学校へいったら

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 東京から山口県の岩国へ、そしてそこから広島県の呉へ。戦後に小学生となった僕は、呉に移ったとき五年生だったと思う。今日からあの小学校へ通うのだと言われた小学校へ、初日はまともにいってクラスの全員に、転校生として紹介された。二度目にいったときは六月のなかばで梅雨が始まっていた。雨の日にこうもり傘をさして学校へいったのは、このときが最初だった。

 全校生徒諸君がさして来た傘が、校舎の端の大きな板壁に沿って、ぎっしりと斜めに立てかけてある様子は壮観だった。フロアはコンクリートのたたきで、傘から落ちた雨雫で存分に濡れていた。一年生から六年生まで、壁に数字が書いてあり、僕は五年生だったから5のところに傘を真面目に立てかけた。

 登校二度目のこの日、いまでも記憶しているのは、この傘の様子と、二時間目の音楽の授業だ。いつもの教室から音楽室へ移動して授業はおこなわれた。初めて見る若い女性が先生で、その日の課題は「夏は来ぬ」という歌が歌えるようになることだった。

 先生が歌いながら何度かピアノを弾いた。Cメイジャーの八小節で、いい曲だ、と十歳の僕は思った。彼女が弾いたのは真面目な重たいピアノで、歌声はかすかに震えたような可憐なものだった。「夏は来ぬ」はすぐに覚えた。先生は一小節ずつ、全員に歌わせて指導した。

 明治二十九年、いまから百二十年前の歌だ。この年には樋口一葉が亡くなった、とだけ言っておこう。なにしろ百二十年も前の歌だから、歌詞は美しい日本語だ。講談社の『日本の唱歌 上・中・下』という三巻の文庫の上巻に収録してある。「日本の初夏の田園風物を描いて遺憾がなく、さすがに歌人佐佐木信綱の作である。曲もほとんど完全なヨナヌキ長音階でありながら、きめが細かく、単調さを感じさせず、美しい出来である」

 その美しい日本語の歌詞は五番まである。一番はいまも覚えている。あのときのあの先生のピアノのおかげだ。せっかくだから歌詞のすべてを引用しておこう。

 

卯の花の匂う垣根に、時鳥ほととぎす

早も来鳴きて、しのびもらす 夏は来ぬ。

 

さみだれの注ぐ山田に、しず

すそぬらして、玉苗植うる 夏は来ぬ。

 

橘の薫る軒場の窓近く

螢飛びかい、おこたり諫むる 夏は来ぬ。

 

おうちちる川べの宿の門遠く、

水雞くいな声して、夕月すずしき 夏は来ぬ。

 

五月やみ、螢飛びかい、水雞なき、

卯の花咲きて、早苗植えわたす 夏は来ぬ。

 

 この日本語を僕が覚えた小学校五年生のときすでに、描かれているはずの「日本の初夏の田園風物」はなにひとつ身辺になかった。卯の花はいまにいたるまで見たことがない。白い花だ、ということは知っている。垣根を毎日のように見た過去が僕にあるか。卯の花の咲くような垣根はなかった。時鳥は文脈から推測して小鳥だが、見たことはなく、「忍音」と表現されているその鳴き声を聞いて、おやもう時鳥が鳴く季節か、などと思ったことは一度もない。それでも夏はその季節になれば来るのだが、いまこうして書いているワープロでは、「きぬ」と入力して画面に現れるのは、着ぬ、絹、衣の三つだけだ。少なくとも僕のワープロのなかでは、夏はもう、来ない。

 美しい日本語は、言葉としては残っている。活字で本のなかに印刷された言葉だ。僕がそのような言葉のほんの一端を知ったとき、そのような言葉が描いたはずの日本の風物は、とっくに消えていたと僕は思う。実体はかたっぱしから消えていき、言葉だけが残る。

 では実体はどうなるのか。残る言葉が美しいのだから、次々に変容しつつ現在であろうとする実体は、醜くなるだけだと思えば、多くの人たちにとって精神の均衡は保てるはずであり、そのなかに僕もいる。

 ごくたまに学校へいくと、授業のひとつひとつがたいそう興味深く、そこで教わったことはいまでも覚えているほどだ。「夏は来ぬ」という歌はそのひとつだ。小学校五年生のこの梅雨の日に学校へいかなかったら、「夏は来ぬ」という歌はいまでも知らないままなのではないか。六年生のときに音楽の授業はもう一度だけ体験した。そのときに覚えたのは「われは海の子」という歌だ。この歌も素晴らしい。歌詞は七番まであるが、教室では三番まで教わった。

『群像』2017年1月号


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2020年3月17日 07:00
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