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父親に間違えられた僕

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 いまから三十年以上前、僕は僕の父親に間違えられたことがある。僕を僕の父親だと思った人がいたのだ。

 ラハイナ・ショッピング・センターの奥のほうに、いまはもうないかと思うが、かつては小さな食堂があった。建物の一角にあるその店は、中年の女性ひとりによって切り盛りされていた。調理場。出来た料理を客に渡す配膳のカウンター。そしてレジスター。店のなかはそれだけで、食べるためのスペースは外にあった。

 注文して代金を支払った客は、料理が出来たことを告げられるまで、店の外で待った。呼ばれてなかに入り、カウンターでトレイに料理を受け取った客は、壁に太いロールで掛けてあるプラスティックのナイフ、フォーク、スプーンのひと組が入っている透明なヴィニールの袋を、ミシン目から切り取って、シャツの胸ポケットに差したりするのだった。

 店の入口の脇に、陽よけの天蓋が大きく張り出したスペースがあり、そこに簡単な作りのテーブルと椅子が、いくつか無造作にならんでいた。どこでもいいから好きなところにすわって食べるのだ。食べ終わったら、使い捨ての食器すべてを大きな塵箱に捨て、アルミのトレイは配膳カウンターに返しておく。

 気温のたいそう高い、よく晴れた日の午後、僕はそこで遅い昼食をひとりで食べた。日常はおなじことの繰り返しをその基本とするなら、そのことの具現のような食事だった。ハム・アンド・エッグスにトースト。マカロニ・サラダ。パイナップル・ジュースにコーヒー。ハムではなくベーコンにすると、それはひとつの大きな変化だった。テリヤキ・チキンにスティームド・ライス、そしてトマト・サラダともなると、それは変化を越えて飛翔とでも呼びたいほどだ。

 テーブルに向かっている僕の正面にはショッピング・センターの建物があり、その出入口のかたわらに、まださほど年配にも見えない日系の男性がひとり、なにをするでもなく立っていた。僕を観察するような視線が、ときおり彼から僕に届くことに、食べている途中で僕は気づいた。なぜだか理由はわからないが彼はこの僕を観察している、と僕は思った。

 やがて食べ終わった僕は、水滴のたくさん出来ている分厚い大きなグラスを両手で持ち、冷たい水をひと口、またひと口と飲んでは、駐車場を眺めた。停めてある自動車の列を、晴天の日のラハイナの、熱い陽ざしが直射していた。かたわらにふと、僕は人の気配を感じた。顔を向けるとそこに、さきほどまでショッピング・センターの出入口で僕を観察していた、日系の男性がいた。

「食べ終わったようですから、ちょっと話をしていいですか」と、地元の英語で言った彼は、「あなたはカタオカさんのナンバー・ワン・ボーイかね」と訊いた。ナンバー・ワン・ボーイとは、いちばん初めに生まれた男の子、つまり長男のことだ。僕は確かにそうだし、名前はカタオカだ。だから僕は、「そうです」と答えるほかなかった。

 急に親しげな笑顔となった彼は、「ロング・タイムよのお。ハウ・ユー・ビーン」(久しぶりですね。お元気でしたか)というような言葉から始めて、しばらく見かけなかったけれど、どこにいたのか、元気そうだ、会えてうれしい、こうして久しぶりに話も出来て、などと言ったあと、右手を差し出して僕と握手を交わした。そして僕に自分の名を告げると、僕に話しかけてきたときとまったくおなじように、ふっとその場を離れ、ショッピング・センターの建物に入っていった。

 ぼけている、というほどではないのだが、過去の一定の時期から現在までのあいだに経過した時間の量についての認識が、少しだけ曖昧になっている人だ、と僕は直感した。その彼が言ったカタオカさんとは、ラハイナに住んでいた僕の祖父のことだ。そしてその祖父の長男、つまり僕の父親が、僕だと思ったのだ。祖父や父親がラハイナにいたのは、そのときすでに、ずいぶんと昔のことだった。

 昔のラハイナで僕の祖父や父親を毎日のように見かけていた時期から現在まで、どのくらいの時間が経過したかについて、彼は明らかに正確な尺度を失っていた。しかし、そのことに問題はなにもない。遅かれ早かれ、誰もがこうなる。ある日の午後、まったく予期しないままにいきなり見かけた僕を、彼は僕の父親だと思い込んだ。ということは、少なくともそのときの僕は、彼がラハイナでよく目にしていた僕の父親に、おそらくそっくりだったのだろう。ラハイナにいるときだけは僕はラハイナの人になる。だからそのぶんだけさらに、僕はかつての父親に似ていたのだ。

初出:「先見日記」2005年4月19日
底本:『白いプラスティックのフォーク──食は自分を作ったか』NHK出版 2005年

 


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2020年5月18日 07:00
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