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彼が愛した樹

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 メイン・ストリートに面したサンドイッチの店から出てきたぼくは、ごく軽い満腹の状態で、歩道の縁に立った。まっ青な空から、明るい陽ざしが、きらきらと降り注いだ。

 目の前に、ダッジのピックアップ・トラックが一台、歩道の縁石に右の前輪を触れさせて、アングル・パーキングしていた。赤い、見るからに頑丈そうなピックアップだった。

 見るともなしにそのピックアップ・トラックを見ていたぼくは、そのトラックのぜんたい的な雰囲気に、次第にひかれていった。赤いペイントはいたるところはげ落ち、ボディの全域にわたって、大小さまざまなでこぼこが、無数にあった。そのときぼくがいたその小さな町は、カンザス州の広さのなかにいまにものみこまれてしまいそうな感じの、じつに小さなファーム・タウンだった。だから、この赤いダッジのピックアップ・トラックも、どこか近くの農場のファーマーが使っているものにちがいない、とぼくは見当をつけた。ひとつの機能的な道具として、徹底的に使いこまれていくプロセスのまさに途上に、そのピックアップ・トラックは、あった。

 無骨に、がっちりと、質実剛健に造ってあるそのトラックは、ただ見ているだけでうれしくなってくるほどに、実用一点ばりだった。だが、はげ落ち、色あせした赤いペイントの下にあるふとした小さな曲面、たとえばヘッドライトのまわりやエンジン・フードの前端がラジエーター・グリルにむかって落ちていくところなどに、アメリカらしいラインの流れがはっきりとあり、見かたによってはそれは洒落ているとも言えた。

 陽ざしのなかでぼくはそのピックアップ・トラックのまわりを歩き、いろんなこまかな部分を、そしてぜんたいを、つくづくながめた。

 運転席のドアの前に立ったとき、ドアが開いた運転席に人はいないとなぜか思いこんでいたぼくは、すくなからずおどろいた。そのおどろいているぼくに、トラックから降りながら、ひとりの男が親しみをこめて語りかけてきた。赤く陽に洗けた顔の、五十歳にあとすこしという年齢の、白人男性だった。農業をやっている男であることは、すぐにわかった。

 彼のピックアップ・トラックをなぜぼくがながめまわしていたかを説明すると、彼は、まるで十年をこえる友人どうしのように、なんの屈託もなく、人なつっこさのありったけを全開にして、自分のそのピックアップ・トラックにまつわるいろんなことを語ってくれた。

 町の周辺を案内してやるよと、ついには言うので、ぼくは助手席に乗りこんだ。町のメイン・ストリートを端から端まで走り抜けるのに、自動車だと三分もかからない。そんな小さな町だから、ぼくたちは、ほんの数分後には、茫漠たる広がりのなかをどこへとも知れずのびている二車線のカントリー・ロードを、ミラーの風切り音も轟々と、走っていくこととなった。

「ちょうどあそこに──」

 と、彼は、道ばたの草原の一角を指さした。

「この樹が立っていたんだ」

 なにもない草原の一角は、あっというまに後方へ飛び去った。彼が言う、この樹とは、二枚の写真にうつしとられた一本の大樹だった。

 絵葉書ほどの大きさのモノクロームの写真が、正面のガラスの左右の片隅に、一枚ずつ透明なビニールのカードケースに入れて、貼りつけてあった。

 大地に堂々と根を張ったその樹は、太い幹をやや斜めに空へむかってのばし、陽光にきらめく葉を無数につけた枝を、何本もかかえこんでいた。素朴だが自然のままに、したがって形よく、枝の集合体は巨大な量感となって空に広がり、すこやかにあっけらかんとたくましく、そしてほんのちょっと不気味に、立っているのだ。

 いい写真だった。空の青さや風の香り、そしてその風にそよぐ葉の葉音が確実に体感できるような力をたたえた写真だった。この道路を、彼は、毎日、ピックアップ・トラックで走るという。かつてその大樹があった場所は、往きには道路の右側であり、帰りには道路の左側となる。だから、往きには、正面のガラスの右の片隅に貼った写真のなかの大樹を、彼は見る。帰りには、左側の写真を見る。道路の左側から撮った写真だ。

 この大樹は、彼のお気に入りだったという。舗装もされていなかった一車線の道路が二車線のブラックトップに広げられたとき、工事の一環として、大樹は切り倒されてしまった。切り倒される数日前、彼は町の新聞社の友人に頼み、この樹の写真を、二枚、撮ってもらった。それ以来、あの大きな樹は、彼のピックアップ・トラックの運転台にある。

底本:『コーヒーもう一杯』角川文庫 1980年


1980年 『コーヒーもう一杯』 ピックアップ・トラック
2016年3月11日 05:30
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