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小さな白い落下傘

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 いまぼくはタンポポの実を見ている。タンポポの実は、透明なアクリルの直方体のなかに閉じこめてある。幅と奥行きが五センチ、高さが七センチほどの直方体だ。タンポポの実は、この直方体のなかに浮かんだように静止している。いろんな角度から見ることができる。

 タンポポの花が開ききり、その花が三日か四日で終わると、実が開きはじめる。一般的には実とは呼ばず、種と呼んでいるようだ。この実が、丸く開ききったものが、いまぼくの手のなかにある透明アクリル直方体の内部に閉じこめられている。タンポポの花は、小さな花がたくさんより集まったものだから、実も、小さな実がたくさん集まっている。このひとつひとつが、小さな落下傘のように、風に乗って飛んでいくのだ。白い、ふわふわした、パラシュートみたいな部分は、冠毛という。そこから細い茎がのびていて、その下に、実がついている。

 本来なら風にまかせてひとつひとつ飛んでいくべきものが、こうしてアクリルの内部にほぼ永遠に幽閉の身となっているのだから、見るたびにふと悲しい。

 このささやかなデスク・アクセサリーを、ぼくはバークレーで買った。バークレーは、サンフランシスコから湾をへだてた、やや北よりの対岸だ。

 テレグラフ・ストリートにザ・ネイチャー・カンパニーという店があり、そこで買った。おなじバークレーのカレッジ・アヴェニューにも店があるし、突端にサンフランシスコがあるあの半島の根もと近くのパロ・アルトにも、スタンフォード・ショッピング・センターのなかに店がある。

 洒落た感じの室内装飾の小物店という印象の店だが、店名が示すとおり、商品はすべて自然愛好というテーマで統一されている。

 ふとこの店に入り、なんとなく品物をながめていて、小さなものをいくつか買った。タンポポの実を閉じこめた透明アクリルの直方体も、そのうちのひとつだった。

 タンポポの実をこうして見ていると、ひとつひとつの小さな実が風にちぎられて飛んでいくありさまを、思い出す。小さな白い落下傘が飛んでいくところをぼくは何度も見ているが、もっとも壮観だったのは、秋のはじめ、まだ夏の香りが強く残っている快晴の日の午後に見た光景だ。四国の、太平洋側の田舎町の裏手にある丘の、スロープのなかほどでだった。

 スロープの下のほうに、タンポポの密生したところがあり、開ききったそのタンポポの実が風にあおられ、いっせいに落下傘を飛ばしていた。

 丘の頂上にむかって立ちのぼる上昇気流に乗り、あたりいちめん、小さな落下傘で白く埋めつくされた空間が、そのまま、うえにむかって動いていく。快晴の日に丘の下からうえにむけて雪が降りしきるありさまを想像していただけると、そのときの光景にかなり近い。

 陽ざしの香りがかんばしく風はあくまでもさわやかで、すこし遠くに太平洋の銀色のきらめきが見えていた。丘のつらなりのなかをぬう田舎道は、静かだった。かすかに頬に感じられる風と上昇気流に乗って、タンポポの小さな実が、びっしりと空間を埋めて飛んでいく。それはそれは素晴らしい空間体験だった。

 あのときの空間が、透明なアクリルの直方体のなかに、見えかくれする。

 バークレーのザ・ネイチャー・カンパニーでは、都会を襲う夏の雨嵐と雷鳴を録音したカセットも買った。

 位相のちがう四つのスピーカーにつないだカセット・プレーヤーを持った自動車でこのカセットを聴きながら、夏の雷鳴のなかを、東北自動車道を北にむけて走ったときは、じつに面白かった。雷鳴と雨嵐とが、それぞれ二重に、ぼくをとり囲んだのだ。

底本:『コーヒーもう一杯』角川文庫 1980年


1980年 『コーヒーもう一杯』 バークレー 自然
2016年4月15日 05:30
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