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ナポリタンをシェアしたくない昭和の子供

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 外寸で直径が六十五ミリ、高さはちょうど百ミリのスティール缶だ。プル・リングで開けることができる。二百九十五グラムのパスタ・ソースが入っている。二人前から三人前として使えるそうだ。缶から鍋に空けて、かき混ぜながら弱火で温めたのち、スパゲッティにかければそれでいい、「完熟トマトのナポリタン」というパスタ・ソースの缶詰だ。

「トマト、玉葱、赤ピーマン、ニンニク、ぶどう糖、マッシュルーム、チキン・ブイヨン、醸造酢、コーンスターチ、食塩、大豆油、白ワイン、バター、野菜ブイヨン、香辛料」以上の原材料の一部に小麦とゼラチンを含む。この缶詰ひとつとスパゲッティがあれば、たちどころにナポリタンが出来る。

「完熟トマトをたっぷり使い、野菜とじっくり煮込んだナポリタン・ソースです。素材のうまみを活かしているので、スパゲッティをはじめ、いろんな料理にお使いいただけます」ということだ。そのいろんな料理の一例が、「簡単アレンジレシピ」として缶の側面に印刷してある。この缶とスパゲッティだけでナポリタンは出来るのだが、いま少し具を増やし、具だくさんナポリタンにするためのレシピだ。ピーマン、人参、えのきたけ、ウインナーソーセージが加わる。フライパンでこれらを炒めて塩・胡椒をし、そこにスパゲッティとこの缶のソースを加えてさらに炒め、皿に盛ったらお好みで粉チーズを。「素材を加えてアレンジ自在。化学調味料無添加」。

 缶の次は袋に入った「和えるパスタソース」だ。「〇歳から百歳までの食べ物」と直訳できる英文が小さく添えてある。「ナポリタン・ソース。茹でたパスタにそのまま和えるだけ一人前×二袋」というその二袋が、ひとつの袋に入っている。一人前のソースは七十五グラムだ。茹でた百グラムのパスタにひと袋のソースをかければそれでいい。ソースを温める必要はない。

 ソースの入っている袋には工夫がしてある。袋のいっぽうの端は横幅の半分だけを引き裂いて開く、「便利な細口タイプ」となっている。おなじ袋のもういっぽうの端は、その横幅ぜんたいが開いて、「たっぷりかける広口タイプ」となっている。このような工夫がほどこされていると、それを使う人にとっては「料理のレパートリーが広がります」ということだ。かけるソースの量を微細に加減しなくてはいけないとき、細口タイプは確かに便利だろう。袋の端から端まで開いてどっとぶちかける、という作りかた以外の料理を目ざせば、料理のレパートリーが広がる可能性は充分にある。「おすすめのパスタの太さは一・六ミリ~一・八ミリです」

「たまねぎ、にんじん、赤ピーマン、にんにく、トマトケチャップ、トマトペースト、砂糖、醸造酢、ハム、ドミグラソース、マッシュルーム、植物油脂、食塩、卵白、酵母エキスパウダー、でん粉、ポークエキス、チキンエキス、香辛料、調味料(アミノ酸など)、香辛料抽出物、コチニール、色素、発色剤(亜硝酸Na)〈原材料の一部に乳成分・小麦・大豆を含む〉」以上がこのナポリタン・ソースの原材料だ。原材料をこうして書き写していると、工場でどのように作られていくのか、その過程がなんとなく見えるような気がする。

 五、六歳から十歳くらいにかけての僕にとって、文字を読んで言葉とその実体との関係を覚えるためのもっとも手近な教科書は、アメリカの缶詰に印刷してある原材料名や食べかた、応用レシピなどだった。いくつも暗記していて、大人に向けていきなりそらんじて、奇妙がられたり感心されたりする子供だった。ふたつの袋に入っているこのナポリタン・ソースにも、「応用料理例……チキンライス」が二人前で記されている。四百グラムのご飯、つまり茶碗三杯のご飯に、鶏のもも肉を百五十グラム、そして適量のサラダ油と、このナポリタン・ソースをひと袋。鶏もも肉は一センチ角に切り、フライパンにサラダ油を熱して炒め、火がとおったらご飯を加えて炒め続け、ナポリタン・ソースひと袋を加えてさらに炒め、お好みで塩・胡椒を。

 袋の次はボール紙の箱だ。

「アルデンティーノ・ナポリタン」の、一人前二百五十グラム、三百七カロリー、「ロング・パスタ・ソース・セット」だ。「野菜の甘味とケチャップのコクがとけあうナポリタン。おいしさがパスタにからむ」という「ソース付レンジ用パスタ」であるこの製品のスパゲッティのほうは、「プラ」と表示されている材質の丸いボウル状の容器に、百五十グラムが入っている。ボウルに貼りつけてある透明なシールを指定の点線まで開き、おなじく「プラ」の別袋に入っているソースをスパゲッティにかけ、シールでボウルを覆いなおしたのち、ボール紙の箱に入れた上で、電子レンジで一〇〇〇Wなら一分十秒で、「ザク切りトマトに赤ピーマン、玉ねぎなどの野菜の甘味とケチャップのコクがうれしい」ナポリタンが出来上がる。

 パスタの原材料は次のとおりだ。「デュラム小麦のセモリナ、植物性たん白、植物油脂、食塩、砂糖、酸味料、乳化剤、酸化防止剤(カテキン)、甘味料(スクラロース)」そしてナポリタン・ソースの原材料は、「たまねぎ、トマト、にんじん、赤ピーマン、にんにく、ピーマン、セロリ、パセリ、トマトペースト、トマトケチャップ、マッシュルーム、砂糖、植物油脂、でん粉、食塩、酵母エキス、香辛料、たん白加水分解物、酸味料、原材料の一部に大豆を含む」となっている。

 もうひとつある。「野菜の旨みアップ 香ばしい炒め感が魅力のソテースパゲッティナポリタン」の一人前二百六十グラムという、冷凍食品だ。「フライパンでソテーしたときのあの香ばしい炒め感。程よい酸味のトマトソースに、玉ねぎ、にんじんなどの野菜の甘味とベーコンの旨みがとけこんだ、ジューシーな味わい。ソーセージ・ピーマン・ダイスポテトなど、たっぷりの具材をご賞味ください」。ぜんたいがひとつの袋に入っている、調理済みの冷凍食品だ。電子レンジを使うなら一例として五百Wで五分三十秒だが、「フライパンの場合」という作りかたのほうが素朴で楽しい。フライパンに凍ったままのすべてを入れ、八百㏄の水を注ぎ、蓋をして強火での加熱を四十分。フライパンに油は必要ない。よく溶けて熱くなったのを混ぜ合わせ、皿に盛る。これで完成だ。原材料を書き写すことは省略したい。すでに紹介した三種類のナポリタンと、ほとんどおなじだからだ。

 以上、四種類のナポリタンの、どのパッケージにも、作れば出来上がるはずのスパゲッティ・ナポリタンの完成例が、カラー写真で印刷してある。原材料が四種類ともほとんどおなじだから、その当然の結果と言っていいだろう、パッケージに印刷してある四とおりのナポリタンは、見分けがつかないほどに、おたがいによく似ている。ひとつのフライパンで作ったナポリタンを、四つに取り分けたもののように見える。

 このような平等感を正当に評価する視点を日本の僕たちは持つべきだ、と僕は思う。パッケージ上のカラー写真では平等感というイメージでしかないが、作って食べるなら、平成二十年の日本庶民が、おそらくまったく無自覚に享受しているはずの、スパゲッティ・ナポリタンにおける平等の実体が、食べ終えるまでのつかの間ではあるけれど、確実に存在する。

 そして「炒め感」という言いかたを僕はここで初めて見た。おたがいに調和する材料が的確に炒められているものを食べるときの、炒めものっておいしい、と湧き上がる気持ちを、「感」のひと文字で端的に言いあらわそうとしているのだろう。無数の個人がそれぞれに主張する自己の微細な差異を、「感」というひと文字の内部にからめ取り、最大多数をいっきょに納得させようとする試みだ。「たっぷり具材感のうれしい食べごたえ」という表現をごく最近どこかで見た。「最初のひと口で納得の、一流シェフならではの味のお洒落感」という文章も記憶している。

 さて、この四とおりのスパゲッティ・ナポリタンだが、作るのはきわめて簡単だから、ふとその気になって、四種類ともいっときに作ってしまいそうだ。作るのはいいとして、どのように食べればいいものか。どれをも自分で食べ、出来ばえを比較してみたいと思うから、自分で食べるほかない。一日にひと種類ずつ、四日続きのナポリタン。食事ではなく、おやつという正しいありかたで。おやつとして僕が食べる最初のナポリタンはどれか。

「ナポリタンは好きですよ、子供の頃から。御馳走だったもの。うれしかったなあ、ナポリタンは。だからいまでも、店でナポリタンを注文したら、ひと皿を自分だけでぜんぶ食べたい。人と分けたくないです。最近はみんな、気楽にシェアするじゃないですか。ナポリタンは分けたくない」と言った五十代なかばの男性がいる。「昭和二十年代に子供だった日本人の意地ですからね、これは」とも彼は言っていた。気持ちはよくわかる。このひと言のなかに、あの時代のすべてがあると言ってもいい。

底本:『ナポリへの道』東京書籍 2008年

 


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2020年8月14日 07:00
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