アイキャッチ画像

すでにそうなってそこにある

縦書きで読む

LinkedIn にシェア
LINEで送る
Pocket

 一九四九年に製作された『黄色いリボン』というアメリカの西部劇が日本で公開されたのは一九五一年、昭和二十六年のことだった。二〇一九年から振り返ると六十八年前だ。対日講和条約と日米安全保障条約のふたつが調印された年だ。『黄色いリボン』の日本でのDVDはいまも市販されている。僕は新品価格五百円で入手した。「西部劇史上に燦然と輝く名作!!」と、パッケージのいちばん上にあり、その下の『黄色いリボン』という題名が黄色だ。

 この『黄色いリボン』の原題は”She Wore A Yellow Ribbon”という。彼女が首に黄色いリボンを巻く行為が、少なくともこの映画の物語のなかでは、重要な意味を持っている。そのことをそのまま反映させた題名だ。日本での題名だと、黄色いリボンというものが、ただ静的に提示してあるだけだが、英語の原題では、wearという動詞の過去形を使って、彼女は首に黄色いリボンを巻いた、と彼女の行為が動詞で表現されている。

 Wearという汎用性のかなり高い英語の言葉は、カジュアル・ウェアやスポーツ・ウェアのようなかたちでは、とっくに日本語になっている。動詞で使われないだけだ。Wearableというような言葉もすでにウエアラブルと片仮名で書かれて、立派に日本語だ。

『黄色いリボン』には歌詞のついた主題歌があり、それはアメリカでも日本でもヒットした。その歌の譜面を眺めると発見がある。Around her neck she wore a yellow ribbonというメロディに相当する日本語歌詞の部分では、「あのこの黄色いリボン」と歌われていて、題名とおなじくここでも、黄色いリボンは静的に提示してあるだけだ。その黄色いリボンが彼女のものである、ということがわかったのは、題名より少しだけましだ、と言っておこうか。「誰に見せよか首飾り」という日本語の歌詞もある。見せよか、つまり、見せる、は動詞であり、ここには動詞があらわれるけれど、彼女が持っている黄色いリボン、という静的な状態の提示は、ぜんたいとしてはなんら変わらない。

 彼あるいは彼女がそうしたからそうなった、という動詞による行動とその結果を言いあらわすことに、日本語は熱心ではない。そのかわりに日本語が得意としているのは、いつだかわからないけれどすでにそれはそうなってそこにある、という状態の表現だ。日本語は動詞を使った文章で行動やその結果を言いあらわさない。すでにそうなってそこにある、という状態を言いあらわすのが得意だ。

 点線に沿って切り離してください、という言いかたがある。点線に沿って、という日本語を英語にすると、Along the dotted lineとなる。日本語の「点線」は名詞であり、その名詞は「点線」という状態を表現している。英語だと、いくつもの点を打って作った線、というような言いかたになる。だからthe dotted lineであり、dottedはdotを動詞として使ったその過去形だ。日本語がドット・ラインなら英語ではドテッド・ラインになる、というような理解のしかたもあるだろう。

『ハートブレイク・ホテル』という歌の、歌詞の最初の部分は、日本語の歌詞を見ると、「恋に破れた若者たちで、いつでも混んでるハートブレイク・ホテル」となっていることが誰にでもわかる。恋に破れた、という状態の若者たちで、いつでも混んでるハートブレイク・ホテル、というもうひとつの状態の物語だ。英語の歌詞も見ておこう。Well, since my baby left me, I found a new place to dwell, it’s down at the end of lonely street at Heartbreak Hotel.というかたちで登場するひとりの男性主人公の、行動の物語だ。

 まもなくの発車となります、という言いかたを考えようか。東京のいたるところにある数多くの駅で、一日に何度この言葉を聞いているだろう。まもなく発車します、という言いかたこそ正しいのではないかと思うが、そのような思いとは別の経路を思考がたどると、まもなく発車します、という言いかたは、あまりにはっきりし過ぎているがゆえに、駅や電車の客である人たちにとって失礼にあたるのではないか、という考えが頭をもたげてくる。

 動詞があらわになったものの言いかたは、それを受けとめる相手にとって、失礼になるのではないか。失礼になる可能性があるとするなら、それは前もって排除したほうがいいということになり、その結果として、まもなくの発車となります、というような言いかたが用いられるようになる。動詞はどこにもない。発車します、という言いかたは、ものの見事に名詞となり、発車となります、と姿を変える。

 路線バスの運転手が、ドアが閉まります、と言ったすぐあと、ドアを閉めます、と言い変えることがある、と三十代の女性編集者が教えてくれた。ひとつだけのドアと自分との距離はたいそう近く、そのドアの開閉には自分のみが直接にかかわっているから、動詞をあらわにした言いかたのほうを、運転手はなかば自動的に採択するのではないか、と彼女は言っていた。

 山形で作ったトマト・ジュースの瓶に、次のような文言を印刷した紙が貼ってあった。山形産のトマトだけを使用しています。この文言が、山形産のトマトだけを使用しました、という言いかただったなら、この日本語はどこかがおかしい、と多くの人たちが思うのではないか。日本語では動詞があらわになるのは、よくないことだ。「しました」と「しています」の違いは、明確にある。「しました」は単純に動詞表現であり、「しています」は、したことによって生み出されてここにあるこの状態、というものを言いあらわしている。「使用しました」という言いかたは、「使用する」という動詞の単なる過去形であり、過去形の少しだけ丁寧な言いかたに過ぎない。

 ダーク・ロースト・ブレンド、というような片仮名は、もはや日本語だ。深煎りされた珈琲豆を何種類か混合したもの、という意味だ。このような片仮名よりも、deeply roastedという英語を見たほうが、僕にとっての安心度ははるかに高い。動詞がひとつそこにあり、その動詞はまぎれもなく機能しているからだ。動詞を見ることによって覚える安心感、というものは確実に存在する。ダーク。ロースト。ブレンド。どれもみな日本語だ。名詞的に状態を言いあらわしている。ブレンドという日本語の意味は、blended coffee beansのことだ。

 白いTシャツの胸にドラえもんが描いてある。彼はマイクロフォンに向かって歌っている。そのかたわらにひと言、ROCKという英文字が添えてある。このROCKは名詞なのか、それとも動詞なのか。ロックは日本には名詞で入った。日本に入ったとたん、rockは名詞になった、と言うべきか。ロックというもの。ロック音楽。ロックという現象。ロックという流行り物。ロックに夢中な状態。

 しかし英語ではrockはまずなによりも先に動詞だ。この動詞としてのrockを日本語で言おうとすると、たとえば、ロックする、というふうに、「する」という動詞が必要だ。『監獄ロック』のEverybody let’s rock.は「踊ろよ監獄ロック」になる。ロックはかならずしも踊りではない。音楽だけの問題でもない。行為、やりかた、考えかたなど、思考によって支えられたアクションの、総体だ。

『フリースタイル』2019年10月


1949年 1951年 2019年 DVD ROCK She Wore A Yellow Ribbon Wear すでにそうなってそこにある アメリカ ウエアラブル ダーク・ロースト・ブレンド チョイス トマト トマト・ジュース ドラえもん ハートブレイク・ホテル フリースタイル ロック 動詞 対日講和条約 山形 日本 日本語 日米安全保障条約 映画 東京 歌詞 点線 状態 発車 監獄ロック 英語 西部劇 路線バス 運転手 過去形 電車 黄色いリボン
2020年6月23日 07:00
サポータ募集中