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散歩して鮫に会う

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 空気の香りや感触が、ある日、冬を抜け出して春のものになっていることに、僕は気づいた。海を見たくなった。春になった日の海の匂いや音を、あるいは海の巨大さを、体の内部に受けとめたくなった。

 だから僕は海へでかけてみた。東京駅から特急電車に乗った。考えごとをしているようなしていないような、快適な状態でぼんやりしていたら、すぐに房総半島の外側へ出た。

 適当な駅で特急を降りた僕は、駅から海にむけて、ひとりで陽ざしのなかを歩いた。歩いている人は、僕のほかにはひとりもいなかった。そして海岸にも、人はいなかった。外房の海岸と海は、僕のひとりじめだった。

 長く続いている海岸を僕は歩いた。海の匂いに接するのは、昨年の秋深い頃以来だった。胸に吸いこんだ海の匂いは、体の内部や気持ちの奥に眠っていた海の匂いについての記憶を、完全に覚ましてくれた。波の音が懐かしかった。そして太平洋の圧倒的な巨大さは、僕の以前から変わらない好みそのままだった。

 堅くひきしまった砂の上を歩いていくと、鮫が一匹、波打ちぎわに対してきれいに水平に、横たわっていた。なんらかの理由で海中で絶命したあと、波によって海岸に打ち上げられた鮫だ。全長は三メートルを越えていた。そしてその三メートルのうち半分は、長くとがった尻尾だった。僕ひとりではかかえ上げることができないほどの、大きな尾長鮫だった。

 その鮫を観察しながら、僕はそこで小一時間ほど過ごした。砂の上に重く横たわって動かない鮫は、もはやどうにもならないただの物体だったが、その鮫のいろんな部分を眺めたり触れてみたりすることが出来たのは、楽しいことだった。

 胴体が尻尾になっていくすこし手前で、胴体の側面から横に水平に突き出ている尾ひれが素晴らしかった。深い角度で斜めに削りこんだような形の顔は、鋭さそのものだった。顔のずっとうしろにある長いひれは、体に巻きつけると半周するほどの長さだった。その形状や強靱さは、目のまえに広がる海というものの、すぐれて芸術的な抽象化の典型のように、僕には思えた。

 その鮫をそこに残して、やがて僕はさらに海岸をひとりで歩いていった。何度ふりかえっても、鮫はおなじ場所に横たわり続けていた。長い尾のある全長三メートル以上の胴体を、尾とともにまっすぐに砂の上にのばし、波打ちぎわに対して美しく平行に横たわる鮫の姿が、僕の記憶のなかに刻みこまれた。散歩の終点を銚子にした僕は、そこで魚料理のタ食を食べ、特急で東京へ帰った。

底本:『アール・グレイから始まる日』角川文庫 1991年


1991年 『アール・グレイから始まる日』 房総 散歩
2016年3月7日 05:30
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