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道路への関心と小説

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 『佐多への道』という本を何年かまえに僕は英語で読んだ。アラン・ブースというイギリスの人が、北海道の宗谷岬から九州の佐多岬まで、出来るだけ都市化されていない田舎の部分を選んで、ひとりで歩きとおした紀行文だ。歩くということ、あるいは、歩いていく道についての記述も面白かったが、中心となるテーマは、自分たちとはまったく異質なものに見えてしまうものに対する日本人たちの反応のしかたであり、それを僕はもっとも興味深く読んだ。

 日本を南の端から北の端までつらぬく一本の道というものに、僕もずっと以前から関心を持って来た。自分にとっての、完全に個人的な文脈での、日本をつらぬく一本の道を持ってみたいという関心だ。

 この関心を小説に移してみよう、と僕は思いはじめている。日本じゅうを歩きまわり、やがては一本になる道を部分的に見つけてはつないでいく作業を積み重ねながら、その道がある程度の長さになったなら、その道を舞台に小説を書いてみたい。

 魅力的な場所はたくさんあるし、おなじ場所でも季節によって表情がちがってくるから、なかなか道は一本にまとまらない。それでも、近畿地方から東北にかけて、かなりの距離がつながって来た。だから今年の夏いっぱいを季節的な背景にして、その道の上で展開されるドラマを小説にしようと、僕はいま思っている。

 小説を作っていくとき、手がかりのひとつとして、僕の場合は道路がいつも重要な役を果たしている。ストーリーの進展の中心的な軸を、登場人物たちの道路による移動にしておき、その移動のペースに彼らの気持ちの動きをうまく重ね合わせていくと、すくなくとも僕好みの小説が出来ることだけは確かだ。A点からB点へ、そしてB点からC点へと、現実の道路を思い浮かべているだけで、短編小説がひとつ出来てしまうことなど珍しくない。

 高速道路も小説の舞台として相当に面白いはずだと、僕は二十年くらいまえから思い続けている。誰か書くかと期待しているのだが、日本の高速道路を背景にした小説は、まだ生まれていないようだ。作家たちはなにをしているのだろうか。

 日本の端から端まで、すくなくとも本州なら、高速道路だけで走りとおせてしまうはずだ。数多くの自動車がさまざまな物を日夜を問わず運搬しているダイナミズムを背景に敷いて、それと対照的な男と女の物語を描いたなら、きっと面白くなるにちがいないと僕は思っている。

 冬が終わって春になる頃のような季節の変わりめに、北海道から九州の端をへて沖縄にいたるまで、高速道路を利用して移動していくあいだの時空間のなかでの何組かの恋愛関係を描いていったら、書くほうにとっても生理的な快感が体験出来るのではないだろうか。

 道路は人間のさまざまな営為のなかでももっとも人間的なものだ。人間のドラマにとっての背景として、それが力を発揮しないはずがないと僕は思う。

底本:『アール・グレイから始まる日』角川文庫 1991年


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2016年4月20日 05:30
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