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まっ赤なトマトの陽焼けした肩

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 トマトは何色ですか、といま人に訊けば、その色は赤です、という答えが返ってくるだろう。年齢が下がるほど、トマトの色はその赤い色を濃くするのではないか。子供たちに言わせれば、トマトの色はこれ以上ではあり得ないほどの、まっ赤だろう。

 遠い記憶は曖昧だったり淡かったりを越えて、すでに消え去っていると言っていいようにも思うが、僕のなかにあるトマトの記憶は、かなり正確だと思う。いまどこでも普通に市販されているまっ赤なトマトを、子供の頃には一度も見ていない。日常の食品のなかで、トマトじたいがまだいまのような位置になかった。数多い野菜のなかにあって、その端っこのほうに、明らかに肩身のせまいありかたで、存在していたように思う。

 自分のところの畑に出来ているトマトは、いつ見ても赤くはなかった。熟していく途中だからそれは当然のことだが、中心になる色は淡い緑色であり、熟していく程度に比例して、その緑色が黄色になりそこからほんのりと赤くなり、その赤さが少しずつ深まりつつ、トマトぜんたいに広がっていく、という印象があった。

 そのトマトは、投げて遊ぶボールだった。友人たちと連れ立って夏の海へ遊びにいくとき、畑の前をとおりかかる。自分のところの畑がいたるところにあった。畑の縁まで入っていき、実って大きくなり色づき始めているトマトを、三つほどもぎ取って海へ持っていく。そして海のなかでトマトをボールのように投げて遊んだ。トマトを使ったキャッチ・ボールだ。しっかりと実って内部が充実している感触のあるトマトは、外皮が強く張っていて、海のなかで投げ合うボールとしては好ましいものだった。投げたトマトが海の表面に落ちると、それはいったん沈んだと記憶している。そのままにしておくとやがて浮かんでくるのだが、沈んだのを海にもぐってつかまえる競争など、飽きることはなかった。

 飽きることはないのだが、トマトの皮はやがて破れた。いったん破れるとそのトマトは急速に崩れていった。崩れる途中のトマトは、海に浮かんでいる友だちの頭にぶつけるのに最適だった。最後は泳ぎながら食べてしまったと思う。海水の塩味がトマトの味や匂いによく調和していた。

 畑にトマトはたくさん実った。だからトマトは食卓にも出た。無造作にいくつかに切って皿に載せてあった。塩をかけて食べたと思う。けっしてまずくはない夏の味だったが、ご飯のおかずとしては成立していない、というようなことをなんとなく思った記憶が、あるような気がする。薄くスライスしてトーストに載せたりはさんだりすれば、それはBLTのTなのだから、ご飯よりは合うだろう。トマトを盛んに食べるのは肉食と関係がある、という話をどこかで読んだが、戦後の日本ではご飯の一部分がパンへと移行する度合いに比例して、トマトは赤くなり、現在の位置へと上昇していった、と僕は感じる。

 そうなるまでは、いま書いたような夏の味である以外に、トマトには使い道がなかったのではないか。ブレンダーでジュースにすると不思議な色になった。砂糖を加えて少しだけ甘くすると、不思議さはそのままに、そのかたわらに美味さがほのかに加わった。トマトが持っているさまざまな良さに対して、そのように手を加えて初めて、子供の体は肯定的に反応したのだろう。

 子供の頃のこのようなトマトとおなじ平面に、価値としてはまったく同列に、さらに二種類のトマトが僕にはある。ひとつはキャンベルの缶詰のトマト・ジュースとトマト・スープだ。ジュースはいまはないようだが、トマト・スープは健在だ。キャンベルのなかで日本でもっとも好まれているのは、このトマト・スープではないだろうか。

 缶を開けてなかみをボウルに出すと、スープもジュースも素晴らしく赤い色をしていた。畑でもいで海へ持っていき、友だちと投げて遊んだあのトマトもトマトだが、これだけの色の違いはどこからどのように発生するものなのか、子供には見当もつかなかった。

 思いっきり大きな落差が、両者のあいだにあって当然だろう。トマト・スープは何種類かのシーゾニングとともにバターも加え、プュレーになっている。空けたその缶に一杯の水を加えて温かくする。よりクリーミーな感触と味が好きなら、水ではなくミルクにするといい、などと缶に印刷してある。トッピングは工夫しだいでどうにでもなる。

 畑で収穫され、工場へと運ばれていく途中のトマトを、カリフォルニアで見たことがある。案内してくれた人は、「ケチャップ用だよ」と言っていた。「デルモンテの工場へ向かうんだ」とも言ったような気がするが、ケチャップすなわちデルモンテ、という連想が僕の頭のなかに創作した記憶かもしれない。収穫してトラックに積み、そのトラックが運河まで運んで、そこで巨大なバージに積み替える。外皮がことのほか丈夫な品種だから、そのような運搬が可能になるのだ、ということだった。

 リヴァーではなくキャナールとその人は言っていた。運河ないしは水路だ。その呼び名にふさわしく、キャナールは遠くまで直線でのびていた。バージの船体をぎっしりと埋めているトマトの大群は、ものの見事にまっ赤だった。完熟、というやや下品な言葉が、いまの日本でトマトに関して使われることが多い。単なる完熟をとおり越して、この世のものではないようなまっ赤なトマトが、カリフォルニアの強い陽ざしを受けとめながら、バージで運河をいく光景は壮観なものだった。

 キャンベルのトマト・ジュースやトマト・スープのあの赤い色は、このとき見たカリフォルニアのトマトの赤さなのだ。そしてこの赤い色は、滋養強壮といったものの、アメリカにおけるひとつのきわめて目立った例なのではないか。赤い色には、力強く広がり拡大していくイメージがある。パワーだ、エナジーだ。それは活動力であり機能する力であり、最終的には達成へと収斂されていく。トマトの赤い色はそのスープやジュースへと転移された上で、少なくともある時代までは、このような心理的な効果を発揮した、と僕は思う。

『サタデー・イーヴニング・ポスト』という雑誌の一九二一年の号に掲載されたキャンベルのトマト・スープの広告を、僕はかつて見たことがある。一般的な家庭雑誌に掲載されるさまざまな商品のなかでも、キャンベルの缶詰スープの広告は、戦前から戦後へ、そして六十年代から七十年代にかけて、雑誌の広告ページのなかで主役のひとつだった。その頃のキャンベルには、トマトを素材とした製品とし、次のようなものがあった。スープ。ジュース。ケチャップ。トマト・ソースのポーク・アンド・ビーンズ。カクテル・トマト・ジュース。肉の入ったスパゲッティ・ソース。トマト・ソースにチーズを加えたスパゲッティ。

 一九二一年と言えば日本では大正十年だ。この頃からキャンベルのトマト・スープはアメリカで広くいき渡っていたのだから、そこから現在にいたるまでに開発され蓄積された技術、さらにはトマトを栽培し食品へと加工することのすべてにかかわる知識は、膨大なものとなっているに違いない。

 品種改良、と気安く人は言うけれど、毎年の種を取るだけでも、大変な苦労だろう。トマトの血統とも言うべきものが、まっすぐに継承されるよう、脇へそれていかないよう、注意を払わなくてはいけない。知識のすべてを投入し、入念に作り上げたジョージア州のローム層の土壌で、苗木を育てる。正確にタイミングを計って、苗木を各地の農場に移植する。分厚い苔にくるんで冷蔵した苗木だ。移植するにあたっても、守らなければならない要件は無数に近くある。収穫するトマトの品質を、高度なところで一定の水準に維持しないと、それまでに開発され蓄積された調理技術や缶詰の技術が、生かしきれない。そうなると、最終的な製品の出来ぐあいに、ばらつきが出る。

 トマトが夏の強い陽ざしを浴びすぎると、深みのある濃厚な赤い色へと、ぜんたいが均一に熟していかないという。陽は受けすぎてもいけないのだ。陽ざしを受けすぎたトマトは、へたのある側の丸みをおびて下へ落ちていく部分、つまり果実の上側の、人にたとえれば肩に相当する部分が、おなじく人になぞらえて言うと、陽焼けしすぎて水ぶくれになったような状態を呈する。これを避けるために、へたのすぐ上に、分厚くて強靭な、ちょっとやそっとのことでは枯れたりしおれたりしない、ほどよい大きさの葉が何枚か重なり合って生えてきて、トマトを収穫するまでそのまま生えているという品種を、キャンベルは一九五十年代にすでに開発していた。

 子供の頃にうちの畑に実っていたトマトは、きわめて素朴な正真正銘の具体物であり、それ以上でも以下でもない。キャンベルの缶詰トマト・ジュースやスープは、おおがかりで手が込んでいて、工場製品としての側面を強く持っている。それゆえに、と短絡して思考するわけではけっしてないけれど、雑誌に掲載された広告も含めて、僕の受けとめかたとしては、アメリカによくあるファンタジーのひとつだ、という言いかたをしておきたい。

 このふたとおりのトマトが、おなじ価値でおなじ次元に同列でならぶなかに、僕にとってのもうひとつのトマトがある。ハワイのマウイ島のトマトだ。子供の頃に畑でもぎ取っていたトマトの、対極にあるトマトだ。僕の体験したかぎりでは文句のつけようのない、見事にまっ赤に熟した、完璧な具体物としてのトマトだ。

 以上の三種類のトマトが、僕にとってのトマトだ。いまの東京のスーパーで、誰でも買うことの出来るさまざまなトマトのどれもが、同一次元にならんでいるこの三種類のトマトのあいだにいくつもあるはずの、隙間のなかに位置している。食べることに関してさほど熱心な気持ちになりにくいのは、三種類のトマトが僕の頭のなかに、いまでもなお、あまりにもしっかりと固定されているからだ。

 ジュースに対しては、僕のなかで一定の熱意が維持されている。ファンタジーとしてのトマトに近いからだろう。缶からグラスに注いでしまえば、水や食塩を加えていない果汁百パーセントのものなら、どのトマト・ジュースもファンタジーそのものだと言っていい。高さ十センチ、直径が五センチの缶が、日本におけるトマト・ジュースの缶の標準であるようだ。

 この缶ひとつのトマト・ジュースをすべて注いで美しく余裕を残して一杯になるゴブレットを、何年か前に手に入れた。スペイン製だという。本来はワインを飲むためのものだ。ほどよい分厚さと重さのある、好ましい複雑さを持った、しかし目的意識の明確な、気持ちのいいゴブレットだ。持ち手から底にかけて、ごく淡い緑色が微妙に溶け込んでいる。

 プル・トップの缶を空けるたびに、ああ、あの三角の穴を空けたい、と僕は思う。プル・トップなど影もかたちもなかった頃、たとえばリビーのトマト・ジュースの缶を空けるときには、三角形の穴がぐいとひと息に空く、短い棒のような缶空けを使っていた。円形の天板の左右両側に、三角形の穴をひとつずつ空けるのだ。こちら側の穴から空気が入って、なかのジュースを押し出してくれるんだよ、と教えられたときには興奮した。その興奮はなかなか醒めず、ジュースの缶に、あるいはジュースであろうとなかろうと、次々に三角形の穴を缶詰に空け、なかのものを出しては僕は遊んでいた。

底本:『白いプラスティックのフォーク──食は自分を作ったか』NHK出版 2005年


1921年 1950年代 2005年 NHK出版 『白いプラスティックのフォーク』 アメリカ カリフォルニア キャンベル ゴブレット サタデー・イーヴニング・ポスト ジュース ジョージア州 スパゲッティ スープ デルモンテ トマト トマト・ソース ハワイ ボール ポーク・アンド・ビーンズ マウイ島 白いプラスティックのフォーク 缶詰
2020年5月21日 07:00
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