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スヌーピーの漫画『ピーナッツ』全集は読むだけでライフワークになる

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表紙を見て僕の今年が始まった

『ピーナッツ』の日めくりカレンダーを今年も手に入れた。

 昨年と一昨年は、いま住んでいるところから各駅停車の電車でひと駅の町の店舗の、その季節になると拡大されるカレンダー売り場の片隅で見つけた。

 そのさらに前、つまり3年前は、新宿南口の紀伊國屋書店の洋書売り場の、人のあまりとおらない場所に、1月なかばを過ぎて値段をつけなおした大小さまざまなカレンダーが、ワゴンに入れてあった。その片隅に、『ピーナッツ』の日めくりを僕は見つけた。

『ピーナッツ』の日めくり以前は、『ニューヨーク・タイムズ』のクロスワード・パズルの日めくりカレンダーを、10年くらいは使った。毎日、この新聞にふさわしい難度で、クロスワード・パズルがひとつ載っている。ひとり熱中して鉛筆でアルファベットを枠のなかに書き入れて過ごす時間は、日課の一部分だった。

 今年は『ピーナッツ』の日めくりを店舗で見なかった。

 インターネットで探したら日本には日本語で解説されたものしかないとわかったので、イギリスに注文した。ユナイテッド・キングダムのブック・ディポジトリーという会社で、合計はジャパニーズ・イェンで1545円だった。注文のクリックをしてから1週間ほどで届いた。

 表紙を見て僕の今年が始まった。

『ピーナッツ 2017 CALENDAR』とある下に、チャーリー・ブラウンとスヌーピーの絵がある。スヌーピーは画面の右へ向けて、うれしそうに全速力で走っていく。正面を向いている笑顔のチャーリー・ブラウンは、左手を上げている。

 走るスヌーピーは時間というものの象徴か。

 矢のごとく過ぎ去っていく時間は、地表を全速力で走るスヌーピーでもあるだろう。そのような時間のなかを生きるすべての人を、チャーリー・ブラウンが象徴している、と僕はこの表紙絵を解釈した。

 チャーリーが着ている黄色の半袖ポロ・シャツの胴まわりにある黒いジグザグは、時間というものを図案化した一例だろう。

日めくりの裏側にも退屈させない工夫

 今年の『ピーナッツ』の日めくりがイギリスから届いたのは1月の28日だった。土曜日なので次の29日と合わせて、二日分が1ページだ。

 宗教上の理由から土・日には活動をしない人たちのために、カレンダーや手帳では、土・日の二日が一日分のスペースになっていることが多い。

 どのページの上にもPEANUTSとあり、その下にコミック・ストリップが一回分、カラーで印刷されている。かつて新聞に掲載されたもののなかから、選ばれたものだ。なんとなくつながっているような選びかたなのだろう。

 ページのまんなかは、メモを書き込むための白いスペースで、その左下には、表紙とおなじく、走るスヌーピーと左手を上げたチャーリー・ブラウンの絵がある。その右側には、曜日と月、そして日付がある。

 厚さ25ミリほどの日めくりが、黒いプラスティックの台座に貼りつけてある。その台座の一部分が、立てかけるためのステイだから、それを所定の角度まで起こすと、日めくりはめでたくデスクの上に立てることが出来る。

 斜めに立ったその角度はじつに適正なものだ。デスクの上の日めくりカレンダーにふさわしい角度だ。日めくりの厚みとデスクの表面との距離もきわめて正しい。

 日めくりの裏には、パズル、豆知識、塗り絵、謎々などが、一日にひとつ、印刷してある。豆知識とは、昔の子供雑誌でよく使われた言葉で、ひと口で言えるような、ほんのちょっとした面白い知識、というほどの意味だ。

 1月6日の裏には、豆の日、という豆知識があった。1月6日は豆の日だという。どこの国のことなのかわからない。アメリカだろうか。豆ほど栄養的に優れたものはなく、食べやすく食べかたもさまざまに工夫が出来る、と豆が褒めてある。

 スウドク・パズル、というものもあった。小さな正方形の枠が縦にも横にも九列で81個、規則的にならんでいる。スウドクはおそらく日本語だろうけど、ここではどのような意味なのか。どの列にも1から9までの数字がひとつずつ入るようにならべる、というパズルだった。すでに数字の印刷された枠がいくつかあるから、それがそのつど、乗り越えるべき小さなパズル的な障害となる、という工夫だ。

 1月9日の裏は謎々だった。「その物の名を口にしただけで壊れてしまうほどに繊細なその物は、なにか」という謎々だ。

 英語の謎々の文言を日本語にするのは難しい。「口にしただけで」というところが鍵だろう。口にするのだから、それは言葉だ。その言葉を言っただけで、その言葉が言いあらわしている状態が壊れてしまうような、その言葉とは。

 答えは次の日の裏に印刷してある。Silenceだ。

 僕がこれまでに体験した謎々でいちばん好きなのは、「アリゾナの所有者は誰ですか」というものだ。正しく答えることが出来ますか。所有者はアリゾナのなかにいます、という言いかたでヒントを提供しておこうか。答えを教えているのとほとんど変わらないヒントだ、と僕は思う。

Noと言うスヌーピーが体現しているもの

 チャーリー・ブラウンがひどく嫌っている立木に、kite-eating treeという木があることを、1月20日の4コマで知った。

 なるほど、上げていた凧が落ちてきて木にからみ、数日後にはなくなっている状態のことを、凧が木に食べられた、と表現したのだ、と僕はひとりで感銘を受けて喜んだ。

 1月27日も4コマだった。その3コマ目は白黒で、歩いていくスヌーピーだけを描いたコマだから、背景を白いままにしておくなら、そのコマはたちまち白黒の世界になる、という秀逸がアイディアだ。そのスヌーピーは、Not me. と言っている。「僕は嫌だ」とでもしておこうか。

「あなたが猫だったら、いい猫になれたのにねえ」とフリーダに言われたスヌーピーが、ひとりで歩きながら、「僕は嫌だ」と言っている。猫である自分は嫌なのだ。その理由が最後のコマで説明してある。

 Noと言うときのスヌーピーは、確立された個という存在を体現している。フリーダはファーロンという名の猫を飼っていて、スヌーピーに対してはなにかと批判的な態度だ。

 1月30日の裏には、マハトマ・ガンディーの次のような言葉があげてある。

「もっとも深い確信から発せられたnoのひと言は、ただ単に気に入られたいがために、あるいはさらに悪いことには、対立を避けるために発せられたyesよりも、はるかに勝っている」という言葉だ。

『ピーナッツ』の全集がアメリカで完結し、いまも刊行されている。かつて新聞に掲載された作品のすべてを集めることが出来たということだから、『ピーナッツ』のすべてがこの全集のなかにある。1950年から1970年までの十冊を、僕はひとまず手に入れた。

「読むだけでもライフ・ワークになりますよ」と忠告してくれた人がいる。いっこうに構わない、僕は読む。新聞への連載が始まったときから読んできたから、全集を第一巻から読んでいくのは、かつて読んだ『ピーナッツ』との再会でもある。

 もっとも再会したいのは、次のようなものだ。

 チャーリー・ブラウンがサンドイッチを作っている。出来上がったサンドイッチを彼がナイフで切ろうとすると、ルーシーが走ってきて、「切らないで」と叫んで制止する。「切ったらいちばんいいところがなくなるのよ」という彼女の台詞に、英語で再会したい。

『現代ビジネス』講談社 2017年4月2日


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2020年2月21日 11:40
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