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プラモデル

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 国電の駅を出てから踏切まで、どんなところをどのような経路で歩くのだったか、もう覚えていない。

 現場へいって実際に歩いてみれば、思い出すだろう。しかし、あの頃からもうすでに十年以上が経過しているから、現場のほうだってずいぶん変化しているはずだ。

 ごく平凡な商店街のなかを歩いていくのだった、ということだけは覚えている。マーケットのなかをとおってもよかった。駅を出てから踏切まで、何とおりかの歩き方があった。

 踏切は、あかずの踏切として、地元の人たちには、あまり好かれていなかった。雨のはげしく降るうそ寒い日に、傘をさしたまま二十分以上、踏切のまえに立ちつくしたことを、ぼくはいまでもはっきりと記憶している。

 この踏切を渡り、ふたつめの露地を左に入って百メートルほど歩いた右側に、ぼくたちのアパートがあった。正確には、ぼくたちのアパートではなく、彼女が住んでいる部屋のあるアパート、だ。

 二階建ての、ほんとうに日本じゅうどこへいってもあるような、平凡さをとおりこしてある種の高みを持った普遍性を獲得しているような、そんなたたずまいのアパートだった。

 彼女の部屋は、鉄板の階段をあがった二階の、東の端にあった。六畳と四畳半に台所とせまい浴室に洗面台、そしてトイレという、ごくありきたりの間取りだった。北、南、東の三つの方向にそれぞれ大きな窓があり、重く曇った冬の日でも、部屋のなかは奇妙に明るかった。

 彼女がいると、部屋のなかは、さらに明るくなるような印象があった。

 ぱっと人目をひく派手で明るい顔立ちの美人であった彼女は、動作が優美であると同時に適度にめりはりがきいていて、これも彼女の明るさをさらにひきたてていた。

 性格も陽性だったし、声はくっきりとして涼しく、とてもよかった。

 この部屋にぼくがいつづけた六か月ほどの期間に、足しげくかよった期間をさらに加算すると、一年と三か月くらいのあいだ、ぼくはこのアパートの平凡な部屋に、親密ななじみを持ったのだった。

 最初にぼくがこの部屋に足を踏み入れたのは、夏のまっさかりの、ものすごく暑い日の夜中だった。

 タクシーで踏切の手前まで彼女を送っていき、ぼくはそのタクシーでまるっきり反対の方向に一時間以上はなれたところにある自分の部屋へ帰っていこうとした。

 だが、夜は、むし暑すぎた。タクシーのなかはクーラーがきいていて涼しいのだが、その涼しさが苦痛であるほどに、外の夜はむし暑かった。

 外が暑ければクーラーのきいたタクシーのなかにいればいいようなものだが、あまりにむし暑いと、クーラーの人工的な涼しさのなかに自らを閉じこめておくのが苦痛になってしまうことが、ときたまある。その夜は、そんな夜のひとつだった。

 泊まっていってもいいのよと彼女は言ったから、ぼくは彼女といっしょに踏切の手前でタクシーを降り、歩いて踏切を渡った。

 彼女の部屋で熱いシャワーを浴び、パンイチ(パンツ一枚のこと)で六畳の部屋のまんなかにぼくはすわりこんだ。

 三方の窓をぜんぶ開けて明かりを消すと、とてもこんな風があるとは思えなかったようないい風が部屋のなかを抜けていき、冷房のタクシーで深夜の国道を飛ばして自分の部屋へ帰るよりははるかに快適だった。

 これが金曜日のことで、土曜、日曜と、ぼくはその部屋にいつづけた。

 日曜の午後、彼女といっしょに近所へ買物に出たことを覚えている。

 マーケットのなかで、ひげ剃りを買った。無精ひげを生やしたままだと頬をくっつけあったときに痛いのだと、彼女が言ったからだ。ジレットの、両刃のひげ剃りを買った。

 シェービング・ソープは、夏が終わるころまで普通の石鹸で代用させていたが、夏の終わりに、シェービング・マグとそのなかに入れるシェービング・ソープ、そしてブラシを、彼女が買ってくれた。

 秋が深まるころまで、週末になるとぼくは彼女のその部屋へいき、彼女といっしょにいた。

 秋がいよいよ終わって寒くなってくると、ぼくはその部屋にいつくようになってしまった。

 アパートから歩いて三分とかからないところに古風な銭湯があり、部屋の風呂を使うかわりに、ぼくたちはよくこの銭湯へいった。

 初冬の夜の暗い住宅街のなかを、彼女と手をつないで銭湯へ歩いていくとき、ああ、これでこのままぼくも駄目になっていくのかなあと、ちょっと悲観的なことを他人事のように考えたりして、楽しかった。

 ぼくは、ひとりの女性とある期間以上いっしょにいると、自分が駄目になっていくような気がしてくるという、へんなくせを、昔から持っている。

 このくせを自覚しはじめたのは、高校生の頃だ。ある期間以上、と書いたが、この「期間」は、ほんの二、三時間から十年以上と、非常に幅が大きい。

 彼女のほうはそんな悲観的なことはまったく考えず、美しい世話女房のようにしていた。そして、それはそれで、とてもよかった。

 冬になると、彼女は、六畳の部屋に電気ゴタツを置いた。

 週末ずっといっしょに部屋にいるときなど、この電気ゴタツは非常に快適だった。このときまで、ぼくは、電気ゴタツのような軟弱でしかも陳腐なものは、ほとんど体験していなかった。彼女のアパートでの電気ゴタツが、ぼくにとっての電気ゴタツの初体験と言っていい。

 冬の週末を彼女といっしょに電気ゴタツですごすと、かなり身をもちくずしたような気分となってくる。

 午後、いっしょに散歩に出たりする。アパートから五分も歩くと、荒川の土手だった。この土手を、あるときは河下へ、そしてまたあるときは河上へ、何度か彼女といっしょに歩いた。

 荒川へいくまでの商店街のはずれに、昔なつかしいという雰囲気の駄菓子屋さんが一軒、あった。

 年の暮れも近くなったある日曜日の午後、この店で、彼女といっしょに、タコを買った。タコあげのタコだ。

 荒川の土手で、このタコをあげた。うまいぐあいにちょうどいい風のある午後だったので、タコは高くあがった。対岸にとどくほどにあがり、彼女はよろこんだ。糸を持たせてあげると、高くあがったタコの糸を持つのは生まれてはじめてだと、彼女は言った。しばらく楽しんでから、近くにいた小学生たちにそのタコをあげ、ぼくたちは散歩をつづけた。

 こんな冬の午後の散歩の帰り道だったと思うが、商店街のはずれの、街道に面した古い木造の建物の文房具屋さんになにかの用で入ったとき、店の一角がオモチャ売場になっていて、そのなかにプラモデルがたくさんあるのを、ぼくは見た。

 アパートの部屋の電気ゴタツに入ってこのプラモデルをつくったらどんなだろうかと思ったぼくは、うっすらとほこりをかむっている数多くの箱入りプラモデルのなかから、DC-3やDC-7、あるいはロッキードのスーパーGコンステレーションといった、すこし古めのプロペラ式の飛行機をえらび出し、買いこんだ。

 暮れから正月にかけて彼女は田舎の実家に帰るものとぼくは思っていたのだが、彼女は帰らずにアパートの部屋にいた。ぼくは正月になってもいくところはどこにもなかったから、彼女といっしょにすごした。

 十二月の二十五日くらいから一月は七日ちかくまで、電気ゴタツとプラモデルの日々だった。

 一月はすぐに終わり、やがて春が来た梅雨のなかばまで、ぼくは彼女の部屋にいついていた。彼女の部屋が、自分の部屋のようになってしまった。

 夏が再び来た。週末のたびに、ぼくは彼女の部屋へいった。夏のまんなかに彼女は田舎へ帰って見合いをし、夏の終わりには、その見合いの相手と結婚の話がきまった。

 秋ふかく、彼女は、アパートの部屋をひきはらった。実家で結婚式をあげ、夫の勤務地である地方都市へ、移っていった。あのプラモデルたちは実家の自室に置いてあります、と一度だけくれた葉書に書いてあった。

底本:片岡義男エッセイ・コレクション『「彼女」はグッド・デザイン』太田出版 1996年


2015年12月27日 05:30
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