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海岸の古びた一軒家でソリッドな食事をし煙草をすわない

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「サーフィンは単なるアウトドア・スポーツではない。ウェイオブ・ライフなのだ」とか「サーフィンはトータルなライフ・スタイルだ」と、アメリカ製のサーフィン映画のなかでナレーターがいつもくりかえしている。そのとおりだ。サーフボードに乗って、一度でもいいから波をつかまえ、すべり降りた経験を持ってしまったら、サーフィンの魅力に完全にひっかかってしまい、以後、サーフィンはウェイ・オブ・ライフにならざるをえない。

 サーファーは、朝早く起きる。暗いうちから起き出し、海岸へいく。一日24時間を自分のためにとても有効に使おうと思ったら、早起きするにかぎる。それ自体が完璧にライフ・スタイルであるような、素晴らしい時間割りは、早起きからはじまる。

 ソリッドな食事を腹におさめる。サーファーは、へんなものを食べない。単純ではあってもきちんとした内容の食事が、波に乗るためのクリアなエネルギーをつくりだしてくれる。かなりの大きさの波でも、うまくつかまえてすべりおえるまで、数秒からせいぜい十数秒なのだが、そこにたどりつくまでのパドリングは、なみのシティ・ボーイがいきなりやったら、あまりの重労働に気分が悪くなってダウンしてしまうほどのきつさだ。きっと、ダウンする。ものすごく体力を使うのだ。だから、それだけのエネルギーをいつも自分のなかに持っているためには、食事をきちんとしておかなければならない。一日や二日だけではなく、毎日ずっと。ラーメンにコーラでは、ぜったいにいけない。

 酒や煙草など、ぜんぜん必要ではない。サーフィンにほんとうにまきこまれてしまうと、自分の生き方にとって必要ではないもの、無駄なものなどには、いっさい手を出す気がしなくなってしまう。なにか特別に厳しい修業のように思えるかもしれないが、実際にやってみると、とてつもなく楽しく突き抜けた世界であり、こんなにいいことが地球にまだ残っていたのかと、泣きたくなってしまう。

 いやなこともそれなりにいろいろあったりするけれども、サーフィンはやはり無限に近く楽しい。まっ青な空の下で、熱い透明な太陽の光を浴びながら、海の波を相手に格闘して遊ぶ。もし興味を感じないとしたら、その人は、よほど重症の都会病だ。

 サーフィンを中心にすえたこのようなウェイ・オブ・ライフを送っていると、波というものの想像を絶した素晴らしさにうたれるあまり、その波を映画に撮りたくなってくる。波や仲間の波乗りぶりを8ミリに撮り、仲間うちで楽しんでいたサーファーたちは、昔からいた。こういう意味でのホーム・ムーヴィ的なサーフィン・フィルムは、20年あるいはもっと以前から、サーファーたちのあいだでは知られていた。ワイキキの観光みやげの8ミリ映画にも、サーフィンを撮ったものがずっと以前からあった。

 いまでは、サーフィン・フィルム自体、ひとつのライフ・スタイルになっている。自分もサーフィンをやりながら、あるいは、サーファーたちの生活にごく近い生活を送りながら、波をフィルムにとらえ、一流のサーファーたちのライディングをカメラにおさめていく。ノース・ショアに近い古びた一軒家で、簡素だけれども充実した生活を送りながら、ほとんど毎日、16ミリや8ミリの撮影機を持っては海岸へ出ていく。陸から、望遠レンズで波のうえのサーファーを追う。水中でも使える撮影機で、水に入って撮ったりもする。ヘリコプターからも撮る。サーフィン・フィルムを何本も見ていると、ワイメアの冬の大波とか、パイプラインなどは、たいていの撮影者が陸のほぼおなじ位置から撮っているのがわかる。沖のおなじ場所にできる波をもっとも効果的にフィルムにおさめようとすると、カメラの三脚を立てる位置が似かよってくる。

 信じられないほどに美しいサーフ・ライディングのシークエンスが、カラーの映画フィルムに撮られ、日がたつにつれ、どんどんたまっていく。ある程度までフィルムがたまると、こんどはそれを一本につなげてみたくなる。編集だ。ビューアーで何度もくりかえし見ては、つなぎ合わせる順番を頭のなかで組み立てる。どんなシーンをどうつないでひとつの流れにしてみせるかが、サーフィン・フィルムをつくる人の腕の見せどころの重要なポイントだ。サーフィンに対するその人の理解度が、ここでほんとうに試される。

 適当にどんどんつないでしまう、というわけにはいかないから、サーフィン・フィルムの編集には、えんえんと時間がかかる。しかし、ものすごく楽しい。うまく流れができはじめたときのうれしさや快感は、ちょっとしたものだ。

 自然に、音楽が聞こえはじめる。フィルムに合わせてサウンド・トラックに入れる音楽だ。自分の好きな曲や歌が、次々にうかんでくる。それをそのままサウンド・トラックに使うこともあるし、仲間うちだけだって、そのくらいこなせるミュージシャンはいくらもいる。

 こんなふうにして一本、また一本と仕上がってくるサーフィン・フィルムが、すでに映画のジャンルのひとつとして、立派に独立している。映画のジャンルなんてどうでもいいけれど、サーフィン・フィルムを、自分ですべてをこなしつつ作っていくのは、なんともいえず充実した楽しいウェイ・オブ・ライフなのだ。

 日本でも、サーフィン・フィルムがすでに何本も公開されている。誰が観ても楽しいフィルムを作るので有名なバッド・ブラウンの名作『ゴーイン・サーフィン』も公開されたし、サーフ・ライディングをかっちりとらえた、いいシークエンスのつまった『マター・オブ・スタイル』も、公開ずみだ。

 そして、ついに、『ファイヴ・サマーストーリーズ・プラス・フォー』も、公開された。サーフィン・フィルムの傑作『ファイヴ・サマー・ストーリーズ』に、新しく撮ったシークエンスをつけ加えた新版だ。日本のサーファーでは、ハワイやカリフォルニアで観た人たちも多いだろう。サウンド・トラック盤のLPは、湘南や東京のサーフ・ショップで売れつづけている。サンフランシスコの山のなかでメンバー全員が共同生活を送っている、ホンクというグループがつけた音楽だ。真剣に取り組んでいて、とてもいい感じを出している。

 サーフィンやサーフィン・フィルムがいかにウェイ・オブ・ライフやライフスタイルでありうるか、この映画を一本観ただけでも、直感できるとぼくは思う。

 サーフィン・フィルムは、観るたびにショックだ。空も陽も波も、そして海岸も、あまりに美しすぎる。手つかずのままだから、あるいはさまざまな規制や保護によって、手つかずに近い状態にかろうじて守られているからきれいなのだが、その美しさとの触れ合いを人間がサーフィンをとおして持つとき、空も陽も波も海岸も、限りなくいとおしい。

『サーフシティ・ロマンス』晶文社 1978年所収
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『僕が書いたあの島』太田出版 1995年


『サーフシティ・ロマンス』 サーフィン サーフィン・フィルム 片岡義男エッセイ・コレクション『僕が書いたあの島』
2015年12月16日 05:30
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