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内容のある良き忠告

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ー2004年4月7日ー *ページ末「まえがき」参照

 攻めてくる外敵を相手に、自分たちを守るために自衛の戦争をするのはどこまでも正しいことであり、したがってその戦争は正しい正義の戦争である、というのがアメリカの伝統だ。イギリスの支配を脱して新大陸に建国した歴史から見て、このような考えかたが伝統となるのはごく当然のことだろう。建国当時の民兵を募っておこなったクラシカルな戦争の時代から時は移り、アメリカの言う正しい戦争の範囲はいまでは極限に近いところまで拡大されている。

 自衛とは文字どおり自分たちを守ることだ。守るべき自分たちとは、究極のところ、自分たちが信じている理念、あるいは自分たちが拠って立つ価値観や倫理観といったものだ。自分たちが営む生活のすべて、つまり自由と民主であり、これを守るための戦争は正しい正義の戦争となる。自由と民主を世界に広めるのも、それらを守る行為の範囲内に無理なく収まる。だからいまではこれが、アメリカにとっての正しい戦争となっている。

 日本を相手に戦って勝利した太平洋戦争は、アメリカが現在までに体験した正しい戦争のなかで、最大スケールのものだ。最大の正しい戦争に勝利したのだから、その勝利はもっとも輝かしく美しい勝利だった。日本がその戦争を戦った相手であった事実は不変だが、戦後の日本はアメリカの提唱した自由と民主のなかに組み込まれ、冷戦という次の戦争でのもっとも重要な最前線となり、協力者ともなった。戦後の民主化された日本は、アメリカによる民主化の試みの、世界に誇り得る見事な見本だった。

 冷戦の後の湾岸戦争、そのあとのアフガニスタンやイラクに対する戦争行為、そしてさらにはテロに対する戦いという新しい戦争にいたるまで、さらにはそこから将来に向けて、日本が全面的に協力することをアメリカは期待していたし、いまでも期待している。期待と言うよりも大前提だと言ったほうが正確だろう。アメリカがおこなう正しい戦争というものが、日本による協力の上に乗っているからだ。日本が協力しないでいると、それはアメリカがおこなう正しい戦争への参加の拒否となる。そしてその拒否は、太平洋戦争という過去をさかのぼって、アメリカそのものの根源的な否定へと直結していく。

 湾岸戦争のときの日本は、おかねだけ出したと言われた協力のしかただったが、一般的なイメージとしてはそうなっているだけで、現実には日本の協力に不足はどこにもなかった。日本にある米軍基地が持つ戦争機能は充分に使われたはずだ。このような協力だけでも、戦後から維持された同盟関係を考えに入れるなら、ごく小さな協力だったとはとても言えない。

 アメリカが宣言したテロとの戦いへの全面的な支持の表明を、日本の首相は9・11から一週間後にはおこなった。日本にすればおそらく最大限に迅速な対応だったのだろう。支持を表明すると同時に、自衛隊の派遣を含む七項目の支援策も、日本は発表した。正式に、表立って、国をあげて、国として、同盟国として、アメリカの戦争に協力するためには、自衛隊を派遣するほかにもはや手段はないからだ。憲法の第九条についてはアメリカもよく知っている。しかしそれは日本の国内問題だからなんとか切り抜けろ、という意味のことをアメリカは、日本が主体的に判断すべきこと、という言いかたに託した。

 自衛隊は派遣された。現実に果たす機能は別にして、規模だけを見ると象徴よりも冗談に近いが、アメリカにとってはそれで充分であり、アメリカはこれ以上ないほどに本気で自衛隊の派遣が決定されるのを待った。正しい戦争をめぐる建国以来のアメリカの伝統が日本は自衛隊をイラクに派遣するかしないかという、小さな一点に載ってしまった。世界最強国アメリカの、アメリカらしさとしか言いようのない側面のひとつだ。そしてこれに関して、その後のアメリカは、戦略的な意味で多分に反省したはずだ、と僕は思う。二代目ブッシュ大統領と小泉首相とのあいだで、日米関係のあいだの距離は、いきなり事実上のゼロにまで縮まった。ふたりの人となりがそうさせる部分も確かにあるけれど、それを越えてはるかに大きな理由は、アメリカが日本を必要としているからだ。

 戦後の日本にとって、軍事力としてのアメリカはなにだったか。湾岸戦争のとき、先代のブッシュ大統領は、日本をイークオル・パートナーと呼んだ。対等なパートナー、つまりアジアの安全保障をめぐるアメリカとの共同作業者だが、これは外交辞令だ。単に持ち上げただけ、パートナーとは従者のこと、といった反応が当時の日本には多く見られた、と僕は記憶している。このとき彼が日本をイークオル・パートナーと呼んだのは、念押しを越えて、もっと積極的な関与を日本に対して促すためだった。それまで日本は一貫してイークオル・パートナーではなかった、ということだ。では、なにだったのか。

 安全保障と軍事をめぐってアメリカが日本にとってなにであったかを考えると、答えは自動的にあらわれる。日本にとってアメリカは、あたえてくれる人、強制する人、仕切る人、押しつけてくる人、やってくれる人、まかせる相手、預ける先、頼れる人、守ってくれる人などだった。けっしてイークオルなパートナーではなかった。アメリカの要請になんとか応じたり提供したりする側として、まがりなりにも日本はやってきた。安保の破綻にいたるような事態にはならなかったが、アメリカとの共同作業者にはならず、そうなることによってなにごとかを学べたはずの機会を、日本は五十年分ほど失った。

 安保の歴史をとおして、日本は一歩も二歩もうしろに下がった状態でとおしてきた。軍備は言うとおりに補強するし、基地機能や予算の提供は充分だが、自分たちとの共同作業で遂行する軍事的な安全保障に関して日本がいったいどこまで本気なのか、アメリカにとっては確かな判断のつきかねた半世紀だった。安保のアメリカ側における中心である軍事的な最硬派の人たちにとっては、それでも充分だった。日本にある基地の自由使用が、必要なときには確保されるなら、ひとまず不足はない。非核三原則は軍事的合理性から見て、アメリカにとってはそもそもつきあえる話ではないし、事前協議はどうかというと、冗談言うなよという程度のものだから、どちらもないに等しく、日本はそのことを黙認してきた。日本が対等で積極的な協力者ではなかった事実は、このあたりに象徴的にあらわれている。

 対等で積極的な協力者ではなかった日本は、アメリカの求めに応じて提供する人だった。なぜ提供するのか。アメリカの軍事力に去られると怖いからだ。撤退したあとに出来る空白は、日本の安全保障にとって最大の弱点となり、それはたいへんに怖いことだから、どうか日本を去らないでと懇願する人として、求められればたいていのことには応じる人となり、そのようにして日本は戦後を現在まで過ごした。その日本が湾岸戦争ではイークオル・パートナーと呼ばれたのだから、次の戦争では日本は現実にそうならなくてはいけないことになった、と理解すればいい。

 9・11。アフガニスタン。そしてイラク。アメリカの戦争行為を日本政府は支持したが、支持の表明だけではもはや決定的に足らない。アメリカが日本に望んでいたのは、陸では三千人規模の戦闘部隊の派遣だった。そして海ではイージス艦だ。自分のところのイージス艦と情報を瞬時に共有することの可能な強力なレーダー基地、そしてミサイル攻撃基地がひとつ増えるのだから、これは欲しかっただろう。その次は給油艦だろうか。日本から内容のある給油艦が提供されれば、自軍にかかる負担はそれだけ確実に軽減されるのだから。どのような戦場能力をどの程度の規模で提供するかは、日本が主体的に判断してきめること、とされた。アメリカが規定するコアリション・フォーセズとしての、ごく標準的なありかたを日本が引き受けることを、アメリカは求めた。

 最終的に日本政府は決定したけれど、なにしろ場数を踏んでいないどころか、戦後の日本にとっては最初の体験だったから、二転三転どころではなくじつに見事に迷走した。しかしついに、戦場の状態が続いている他国へ、自国の軍隊を日本は送り出した。アメリカにとってこれは、日本がようやく見せた本気だった。僕の判断ではまだ本気ではないのだが、いくら象徴的な数と能力の部隊であれ、もはやそれを冗談と呼ぶことは誰にも出来ない、したがってこれ以上に決定的なことはない、とアメリカは思った。

 二〇〇三年十二月二十三日、日本経済新聞のインタヴューを受けたリチャード・アーミテージ国務副長官は、次のように語った。「自衛隊派遣の基本計画の決定を語ったときの首相をTVで見て、そのたいへんに強い言葉に私は涙が出そうになった」。あのときの首相の言葉は、けっして強いものではなかった。偏っているがゆえに不充分な、したがって弱い言葉だった。おそらく悲痛であったはずの決意は不安で大きく裏打ちされていたから、その不安を打ち消そうとして興奮した言葉でもあった。しかし国務副長官には強い言葉に思えた。それはそれでいい。安保の歴史のなかで日本が初めて本気を見せた劇的な瞬間だったのだから。

 冷戦という戦争を戦うために、占領日本に関してアメリカは方針を転換させた。新憲法の日本に軍事同盟と軍備を押し込めた。アメリカの要請に応じる日本は、安保という同盟と同時にスタートした。それから半世紀を越える時間のあと、アメリカの要請に応じてイラクへ自衛隊を送るという、まったくおなじ質のアクションを日本は踏襲した。日本が決定的な一線を越えるのを、国務副長官は涙して見守ったのだったが、戦後の始まりのところですでに日本は一線を越えていた。

 おなじインタヴューのなかで国務副長官は次のようにも語った。「おたがいの意見が一致する領域では、日本とアメリカはパートナーであり、意見が一致しないところでは、内容のある良き忠告を日本から受けて自分の益とする側に、アメリカはまわる。その反対もあり得る。日本とのこうした関係を、いまアメリカは切実に求めている」。要請に応じて派兵するだけではイークオルなパートナーにはなれない、という教訓を日本政府はこの言葉から引き出さなくてはいけない。意見が合わないときには内容のある良き忠告をすることが常に出来てこそ、対等なパートナーなのだから。アメリカと意見の合わない領域はいたるところにあるはずだ。そしてアメリカが必要としている日本は、半世紀を越えてさぼってきた日本だから、日本にとっていまもっとも出来ないのは、アメリカに対して内容ある良き忠告をすることだ。

底本:『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』NHKブックス 2004年

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*「まえがき」より

影の外に出る

 二〇〇三年の夏が終わろうとする頃から、主として報道をとおして、次のような言葉がこの僕の目や耳にも、しきりに届くようになった。日本の主体的な判断。国益。対米協力。国際社会への貢献。イラク復興の人道的支援。非戦闘地帯。アメリカ追従。状況を見きわめる。隊員の安全には配慮する。テロとの戦い。秋が来てそれが深まっていくにつれて、これらの言葉が飛び交う密度はいちだんと濃くなっていった。印象としては、いわく言いがたい奇妙な違和感のある言葉ばかりだった。このような言葉によって、いったいどんな内容のことが、どのような人たちによって、どんなふうに語られ論じられているのか、僕が興味を抱くにいたった最初のきっかけは、僕がどの言葉に対しても感じた、たったいま書いたとおりの、いわく言いがたい種類の奇妙な違和感だった。

 考え抜かれた末のものであれ、ろくになにも考えてはいない結果のものであれ、人の口から他の人たちに向けて出て来る言葉というものは、その人がその問題に関して考えをめぐらせた証拠のようなものだ。こういう言葉で言いあらわされる思考とは、いったいどのようなものなのかという淡い興味を持った僕は、おなじような問題をめぐって自分でも考えてみることにした。考えた結果として、自分にはどのような言葉が可能になるのか。自分でも言葉を使ってみることによって、自分が感じている違和感の内側へ、多少とも入ってみることが出来るかどうか。

 この本に収録してあるいくつかの文章の最初のものには、二〇〇三年十月二十日の日付がある。文字どおりこの日に書いた、というわけではないが、この日付の近辺でまず僕はこれを書いた。誰に依頼されたわけでもなく、どこに対して責任があるわけでもない、自分ひとりだけのために書いてみるという、きわめて個人的な営みとしての文章だ。軽く読めるタイプのほんのちょっとした時評のような文章だ。そのように書きたいと思ったからではなく、こんなふうにしか書けないからという理由で、こうなっている。

 書き始めて僕は面白いことをひとつ発見した。気楽な文章であるとは言え、相手にする領域はたいへんに広い。日本国内だけではなく世界のいたるところで、時々刻々と発生してはただちにさまざまに変化しながら複雑に重なり合う事態、といったものぜんたいをカヴァーしなくてはいけない。ごく基本的な材料を手もとにためておくだけでも、作業としてはかなりの時間を必要とする。これはしかし当然のことだからそれでいいとして、問題はその奥にある。

 世界じゅうで時々刻々と発生しては変化していく事態がどこまでも続くのだから、そのなかに巻き込まれると、そこから出られなくなる。つきあいは際限なく続くから、たとえば文章を書く仕事をそこでするなら、どこまでも書き続けなくてはいけない。書くためには考えるのだから、こういう世界で仕事をする人たちはすべて、考え続けなくてはいけない。時々刻々に合わせて考えるだけでは足らない。そのずっと向こうを正確に見とおす視線で考える必要がある。

 考えることをどこかでやめると、考えを停止したことによってそこから先に発生するマイナスは、借金が雪だるま式に大きくなっていく、というようなことに例えることが出来る。思考を停止した人が最も陥りやすいのは、べきである、べきではないという、すでにその人のなかで出来上がって固定されている価値観によって、すべてを性急に裁断してしまうことだ。その人の価値観はその人の財産であり、少しだけおおげさに言うなら、それはその人の既得権益のようなものだ。これを守ろうとして活用される、べきである、べきではない、という価値観は、持続させることがもはや不可能なほどに効用のつきた制度であり、現在という現実に対して、これほど無力なものはない。


2004年 9・11 『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』 アメリカ ジョージ・W・ブッシュ 太平洋戦争 小泉純一郎 戦争 戦後 日本 湾岸戦争
2016年12月11日 05:30
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